スポーツは良い を押し付けないで
野球はやっぱ最高だよね。
さすが、プロのバスケットは違う、絶対面白い。
卓球の天才だよ。
ゴルフの歴史を塗り替える快挙です。
わかった。
わかりました。
あなたが興奮しているのも、良いものだと思っていることもよーくわかっています。
でも、違った感じ方をする人もいると、何故考えてくれないのでしょうか?
陸上など一部を除いて、スポーツは勝ち負けです。
陸上でも金銀銅メダルで勝敗らしきものを明確にします。純粋に人間の限界に挑戦する美談だけでは無いのです。
勝敗は関係ないと言いながら、ひいきが勝つと歓声を上げますよね。
結局勝ち負けが大事なのでしょう?
最低限でも、負けるより勝つ方が気持ち良いでしょう?
負けることの美学に酔うなんて、希少な回数でしかありません。
勝ち負けを気にしながらスポーツを見ることが大嫌いな人間もいます。
勝負事、勝ち負け、ギャンブル、将棋や囲碁やボードゲームも含めて、嫌いな人間もいます。
LGBTを容認しようとしているあなたたちが、「野球はちょっと・・・」という返事に、まるで人間じゃないような反応をする。
表面は繕っていても「エー 野球が嫌いなんてお前それでも人間か?」という『心の大声』が聞こえてきます。
苦労の末に勝ち取ったテニスの王子様。
卓球の天才少女。
数え上げればきりがありませんけど、他人の勝敗でも気になってしまって、スポーツ観戦が嫌いな人間もいるのです。
その最も顕著なものが甲子園です。
地元がそろって応援し、試合の経緯に一喜一憂することが地元民の義務のような風潮。
知事まで甲子園へ出向いて応援します。
選手も「応援してくれる県民の皆さんのために・・・」と言い、これが県民・都民・府民・道民の感動を生む。
サムライ日本は、日本の期待を背負うのが常識だという風潮。
オリンピック出場選手は日本を背負っているという常識。
アスリートに日本を背負わせることに違和感、いや、勝手に押し付ける『常識的な市民』に嫌悪感すら覚えます。
アスリートはアスリートとして、自分の道を追求すれば良いのではないでしょうか。
他人が勝手に日本を背負わせる権利がどこにあるのでしょう?
他人が勝手に日本を背負わせて、試合に代理出場させて、勝負のスリルと興奮だけを味わっているようにしか見えません。
税金がアスリート育成に使われているから日本を背負うのは当たり前 という理論はローマ帝国の剣闘士に対する主人の言い分のように聞こえます。
スポーツを煽っているマスコミも所詮は商売です。
視聴率や販売数や売り上げが会社としては大事な大事な事です。
だから、取材が楽で結果に責任もないスポーツは丁度良い材料です。
事故や事件のように取材が厳しいことなどありません。
起こる場所も時間も誰がやるのかも全て分かっているのですから。
そんな楽な素材であるスポーツをマスコミが手放すはずがありません。
逆に美談として祭り上げ、消費者の視聴や購買意欲を上げようとします。
スポーツ評論家も煽ります。
だって、自分の分野が無視されると収入が無くなってしまいますからね。
だから、「すごい試合です」「これは必見です」と消費者を煽ります。
政治だって利用できるものは何でも利用します。
高校野球の応援に出向く知事は、他の仕事を放り出して『地元を背負って頑張る高校生』を『応援する知事』として、票田を狙います。(根っから野球好きな知事も居ますけどね)
スポーツが好きな人は嫌いだとか言っているわけでは、ありません。
好きな人が居ることは認めます。
ただ、あなた方の価値観を押し付けないでください。
あなた方が『常識的な市民』だと勝手に思わないでください。
まるで第二次世界大戦時の『愛国者』騒動のようです。
もっと視野を広げて、自分は世界の一部分しか見ていないのだと自覚してください。
違う価値観が存在することを、口先だけではなくて、脳みその奥底から認識してください。
まとめると、スポーツ好きさん達はどうぞ楽しんでください。
でも、そうでない人間がいることを認識して『ほっといてください』
世界を自分の思い込みだけで評価しないでください。
bye
ありがとー