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おじさんと認めないおじさん

カエル男です。

身も心も若くありたい、というかそうしなきゃこの先色々としんどくない?と思った話です。

小生、今年で39歳でして、アラフォーもアラフォー、来年には40歳になります。人生あっという間ですね。ついこないだ30歳台になったと思ってましたが、もうすぐ40歳台です。でも、あまり、自分はおじさんだ、という自覚がないんです。

ひと足先に40歳になる、1歳上の兄も、同じことを言ってました。子供も産まれ、そこそこ責任ある立場になってきましたが、全然おじさんになった自覚がない、と。そこそこ責任ある立場なのに未だモヒカンみたいな髪型をしているくらいですから、本当に自覚がないんでしょう。

一方、同じく1歳上の嫁ちゃんは、よく自分のことを「おばさん」と言ってます。ママ友さんと話す際、子どもの友達と話す際、バイト先の同僚と話す際など、多少シーンは限定的ですが、よく「おばさんはねー」と言っているのを耳にします。

それと比べて、私は自分のことを「おじさん」と自称したこと、ほとんどないです。嫁ちゃんから「私がおばさんなんだからアナタもおじさんよ」と言われることありますが、しっくり来ておりません。

私が社会人1,2年目の頃、当時30歳台後半の先輩のことを、おじさんだなぁ、とは思ってました。20歳台の子から見たら、まごう事なき「おじさん」なんだと思います。

でも、待って下さい。
超がつくほど高齢化社会と言われているなか、お年寄りの方々の割合は、増えております。この先○十年は、どんどん増えてくるでしょう。

そんななか、40歳台を捕まえて「おじさん」と言っていたら、世の中おじさん・おじいさんばかりになってしまいます。

65歳以上が高齢者と位置付けられており、年金をもらえるようになりますが、受給年齢の引き上げとかも言われてます。言ってしまえば、高齢者の定義が後ろ倒しになっている訳です。

絶対的にはおじさんですが、相対的にはおじさんではない、と言えます。流石に、40歳手前の身で「まだ若いです!」とは恐くて言えませんが、少なくても「おじさんです!」と言うには早いかなぁと思っています。

「言葉は呪い」と言われるように、言葉は人を形作ってしまい、意識も変えてしまうので、おじさんと自称し続けていけば、身も心もおじさんになってしまうでしょう。

高齢化社会を迎えるにあたり、今の40歳台には暫くバリバリと働いてもらい高齢者を支える役割がありますし、DXだAIだと流行りのデジタルツールやITにも明るくならなければいけません。

そんななか、自分のことをおじさん呼ばわりして、老化を早めていて、いいんでしょうか?

何歳からかは分かりませんが、明らかに自分が老いたなぁと実感するまで、明らかに外見的におじさんになってしまうまで、自分のことはおじさんと認めず、日々生きていきたいと思います。

では。

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