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自己紹介&若手宗教者のひとりとして今思うこと。

私は、岡山に本部を持つ神道黒住教の神職、黒住宗芳(くろずみ むねよし)と申します。

先に申し上げさせていただきますが私のnoteでは決して、勧誘や考えの押しつけをするものではありません。また、黒住教のPRが目的ではなく、ひとりの若手宗教者の思考の共有・備忘録だと思って気軽にお読みいただければ幸いです。

さて、では気を取り直して自己紹介から始めます。

はじめまして。
当エントリーよりnoteを始めさせていただきます。

現在29歳、東京の大学を卒業した後に民間企業(一部上場 人材紹介会社)にて2年と少し勤務し、2016年の夏から現職となります。

様々な分野の人との繋がりや自分自身の価値観から、宗教者の立場でありながら、一般的な視座を大切に保ちつつ、これからの時代に求められる宗教のあり方を模索しています。

日々色んな気付きや葛藤もあり、いつかブログでも始めようと思いながら先送りにし続けてきましたが、Covid-19の影響で世の中の気持ちが落ちている時だからこそ、少しでも誰かの役に立てることが無いかと思い、覚悟をして筆をとります。

さて、黒住教について知らない方がほとんどだと思いますし、宗教と聞くと良くないイメージを持つ方も少なくないと思います。少しだけ説明させてください。

黒住教は江戸時代後期(1814年)に、もともと岡山藩主の池田氏の守護神社である「今村宮」の神主をしていた黒住宗忠を教祖とする神道教団です。今の教主は父親で、私は将来8代目の道統を継ぐ立場になります。
かつて教祖が、当時は不治の病とされた肺結核を、日の出を拝むことにより天照大御神と一体になり、病を克服し悟りを得たという奇跡的な体験に習い、毎朝お日の出を拝むことを大切にしています。

なお私のnoteでは、教団のことを積極的に発信する気は特になく、決して、いわゆる布教とか黒住教のPRが目的ではなく、ひとりの若手宗教者の思考の共有・備忘録だと思って気軽にお読みいただければ幸いです。

この記事のヘッダー写真は黒住教本部のある「神道山」にある日の出を拝むための檀から撮影したものです。元旦には毎年2,000人ぐらいの方が初日の出へのお参りに来られ、一般に開けた存在です。

正直私も、教団に戻るまでは恥ずかしながら、元日ぐらいしか能動的に日の出を見る機会はなかなか作ってこれませんでした。しかし日の出を見るたびに、本当に気持ちがよく、心が清められる感じを受けてきたのは今も昔も変わりません。

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ついつい自分たち人間が絶対的な存在だと勘違いしてしまいそうな今の時代ですけど、私たちは自然と共に生きています。自然の中で生かされて生きていると言った方が正しいかもしれません。

太陽があるから木々が育ち、それらが光合成することで酸素を生み出し、動物や人間が生かされている。これは信仰とかではなくて真理だと思います。

雨が降っていたってその雲の向こうには毎日上がるお日さまに対して純粋な感謝の気持ちを持つように、上手くいったら「おかげ様」、辛いことがあっても「大丈夫」という前向きな生き方を自然が教えてくれている気がします。

先ほど「信仰」という言葉を使いました。つまり信じるということですね。
宗教や神様相手じゃなくても人はよく信じるということをします。私がよく話すのは、例えば、亡くなったおばあちゃんの形見のネックレスをいつも身に着けてる人がいるとしたときに、その人は仮に宗教や神様は一切信じていなくても、天に昇ったおばあちゃんがいつも見守ってくれているという、ある種の安心があるんじゃないかなと思います。安堵の気持ちがあるからあっぷあっぷにはならず、真価を発揮できるかもしれません。その人にとってはおばあちゃんが神様的な存在だと言えるでしょう。

信仰の対象や形は時代によって変化していきていますし、“べき論”で語られる世界観ではありません。信仰というのは言い方を変えれば、希望とか拠りどころとか、安心なのかもしれません。

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人はだれしも希望を持っています。
絶望の淵にあっても、希望を求めて人は祈ります。
どんなに苦しくても、「明日」への希望を抱かない人はいないはずです。

では、信じることや、祈ることによって何が起こるか。

私の経験的には、心が楽になる感じがします。きっと大丈夫だ、と。
心が楽になって余白が生まれることによって、他人からの助けの手や小さなことにも有り難いと気づくことのできる心の目が開く感じがします。このことを私は自分自身の中に「応援の受け皿」をいかに用意できるかということだと思っています。

七五三や、厄除けのお祓いなどで神社に参拝する方もおられると思いますが、お祓いしてもらったから良いというよりかは、「祓ってもらったからきっと大丈夫!」と前向きなマインドセットすることによって、いわば自分自身が祓われた(清められた)状態になることが大切な本質だと私は考えています。

タマゴが先かニワトリが先か論のように思えてしまいますが、希望を持ち・何かを信じ・祈ったり願ったりする姿勢が、心豊かに生きていく上で大切なことのひとつだと思います。

Covid-19の影響で様々な活動や生活に滞りが生じては、多くの人が下を向きがちです。なかなか心は晴れないけれど。

まずは、上を向いて。

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前じゃなくて上。

つんのめってしまわないよう、心大らかに上を向いて日々感謝して暮らしていきましょう。

お読みいただき有難うございました。

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