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【対談】落語家 笑福亭笑利氏(後編)

社会がより良くなる一助に、と思い様々な方との対談を重ねています。
今回は落語家の笑福亭笑利氏との対談の後編です。

<笑福亭笑利氏 略歴>
笑福亭鶴笑氏に師事。古典や新作落語、人形を用いたパペット落語、紙切り芸、歴史上の人物を描いた歴史落語等を得意とする。師匠や自身の体験からボランティア活動にも熱心に取り組んでいる。

黒住 お母さまがきっかけで人のために落語をされるようになって、芸人としての変化はありましたか。

笑利氏 以前は、例えばベタな笑いを避けたり、皆が想像できるものは絶対にしないなどの妙なこだわりがあったのが、すごく変わりました。お客が欲しがることを欲しい時に出すのがプロだと思うようになったのです。これが私の中の今の落語論・お笑い論ですね。

黒住 コロナ禍のステイホーム期に、インターネットを活用した新しい表現でも私たちを笑わせてくれたことが非常に印象的です。

笑利氏 私にとって、お客さんが喜んでいるのが一番大事なのです。主役はお客さんで、私も私ですらない何かであるというようなことを少しずつ気付いてきました。

黒住 その流れの中で、師匠の笑福亭鶴笑さんに出会われたのですね。

笑利氏 はい、このようなお笑い論を身に着けた上で、私は落語家になってもボランティアをし続けたいと思っていたのです。それを理解してくれる方はいないだろうかと思ってインターネットで調べてみますと、一番に師匠のホームページが出てきました。イラクとかアフガニスタンの戦地や難民キャンプに乗り込んで笑いを届けていらっしゃった。心から感銘を受けました。

黒住 出会うべくして出会われましたね。ですが、外国人の方には落語の意味が伝わらないのではないですか。

笑利氏 師匠はパペット落語といって、人形を使った芸もするのです。紙切り芸や手品もします。そういう見ただけで分かるものや単語だけで笑わせられるような技を持っているから、どんどん笑わせられるのです。この人はとんでもない人だなと思いました。

黒住 凄まじい方ですね。もう少し具体的にお聞きしたいのですが、何かエピソードはありますか。

笑利氏 例えば活動の初期に、とある難民キャンプで紙切り芸をしても子供たちが誰も笑わなかったことがあったそうです。ウサギのシルエットを切っても全然反応が無くて「こういうものは受けないのかな」と思って現地スタッフに尋ねました。すると「現地の子供たちは生まれてからずっとここにいて教育を一切受けていない。だからウサギの絵を見せられても、それが何かが分からないから笑えない」と教わったのです。
師匠は、笑えるということはすごく幸せなのだと思ったそうです。基礎教育があるから私たちは笑えるのです。「この子たちが笑える世の中になってほしい」と強く感じたことが原動力となり、今日も活動されています。

黒住 素晴らしすぎます。予備知識に捻りが加わって面白くなるのですね。つまり、面白くて笑うことができるというのは、面白いことを面白いと認識できるからであって、それ自体が既に有り難いわけですね。
さて、笑利さんのお話に戻しますが、西日本豪雨の時には、笑利さんが岡山に何度もボランティアに来て下さいました。私がよく行っていた笠岡の町に一緒に行って、復旧作業に明け暮れた日が鮮明に思い出されます。

笑利氏 当時、真備町ばかり報道されて、近隣の被災地はあまり知られず支援が不足していたのですよね。

黒住 だから私たちは、あえてこの町に寄り添わせていただいていました。現地では浸水被害が何百軒もあって、住む人たちは疲労に加え、なかなか支援の手が行き届かない状況に、寂しい心になっていたと思うのです。

笑利氏 すごく印象的だったのは、浸水した家のおばあちゃん。作業に行くと縁側に一人で座っていて「もうどうでもいい」という感じで気力がなくなっていた。けど、会話をしていると少し笑顔になってくれたのです。どのようなときでも、気持ちを明るく持てることは大切だと実感しました。

黒住 私たちも私たちで、被災現場に立ち、その当事者の方と会うと神妙な気持ちになるものです。床下に潜った土砂かきなども初めての作業ばかりで、真面目にしていても、誰かがうっかりドジをすることなどがありました。そのような時、自然とボランティアスタッフ同士に笑いが生まれる瞬間があったのです。どれだけ悲しいことがあっても、そこに笑いや笑顔が発生すると、光が灯った感じがしました。

笑利氏 それは私も感じました。わざとふざけるのではないですが、偶然生まれた笑いで救われることがあると思います。私は、笑うことで人生の角度は0.1度でも上がると信じてこの仕事をしています。気持ちが沈んでいても、0.1度でも心の角度が上がると、十年後には大きな開きになっているのではないかと期待するのです。例えば落語を聞いてちょっと笑って、それがきっかけで少しでも前向きに暮らすことの積み重ねで、十年後の人生に大きく影響してくれたら芸人冥利に尽きます。

黒住 私の立場でもある時、友人の厄年のご祈念(ご祈祷)をおつとめしたときに、「おかげさまで厄を恐れず前向きに過ごせそうだ」と言ってもらえたことがあります。自分の存在がきっかけになれると嬉しいものです。私たちは、人と前向きな感情の間に介在することに意味があるのかもしれませんね。笑利さんは施設などに出向かれることも多いと伺いましたが、どのような反応ですか。

笑利氏 私は特に特別養護老人ホームで落語会をよくやります。お身体が弱って車椅子に乗られていたり、認知症気味だったりする方も多く、反応が無いことも実は多いのです。行きはじめの頃は、「スベったかな」と感じてかなり戸惑っていました。ですが、ある老人ホームで落語をしていて、紙切り芸で誰かの似顔絵を作りますよと声を掛けた時、一人のおじいさんが元気よく手を挙げて、とてもいい笑顔で声を上げて下さいました。後で職員さんから「あのおじいさんは、もうしばらくの間誰とも喋らないし、笑わなかったのです。自ら挙手するような人でもないのです」と驚いて言われました。
自分のお笑いがちゃんと届いていると手応えを感じた瞬間です。だから「反応に出ないだけで、この人たちの中の何かを呼び起こすことができるかもしれない」と思って、今は全く反応がなくても、全力で取り組んでいます。

黒住 その領域で向き合われているのですね。

笑利氏 あくまでも私の中でのことですが、笑わせるというより細胞に届けるような感覚なのです。たとえ反応が無くても、この人の中の何かのスイッチを押すことができれば、人生の角度をまた上げられるはずです。

黒住 非常に共感します。黒住教では、自分の下腹に鎮まる本体を大切にするという捉え方が教えられていています。説明すると、宗忠神がお日の出を拝んで天照大御神と一体になって悟ったのは、その光の分け御魂が自らの下腹に「ご分心」として鎮まっていて、“生かされて生きている“ということでした。それは決して宗忠だけのことではなくて、すべての生きものがそうだということです。太陽の、天地自然の力を下腹にいただいて、生かされて生きている。つまりは皆が神の子であるという世界観。
だから江戸時代にも関わらず平等を説けたのです。今のお話にあったような、話さず笑わないお年寄りにも、その人の本体に働きかけ、お笑いが届いていると思うと大変感慨深いですね。

笑利氏 「魂は歳を取らない」という話を聞いたことがあります。様々な表現があれども、より良く生きる本質は同じように感じました。

黒住 この対話を通じて、言葉や概念が若干違っていても、人間の肉体というのは器に過ぎないのであって、その中にあるもっと大切なものが活性化されることが大事だということを再確認することができた気がします。

笑利氏 それぞれの立場でやるべきことがありますね。

黒住 被災地や施設などでの活動の場でも、今後も一緒に活動できることがあれば嬉しいです。

笑利氏 「笑」という漢字の成り立ちは巫女が踊っている姿だという話を思い出しました。文字自体に祓いの意味があるのかなと。天の岩戸と天照大御神の神話にも、近いものを感じます。

黒住 言われてみると、まさに「笑いは祓い」の原型のような話にも感じます。お日の出にちなんだ取り組みや企画をもっと精力的に展開したくなってきました。

笑利氏 色々なこととの相性が良いでしょうから楽しみにしています。

黒住 私も、人々の需要や時代に合った工夫を凝らしていきます。早速ですが来年の一月九日(特志信徒・道づれ新春開運祈願祭での初笑い落語)、そして二月三日(大元・宗忠神社の節分祭)にもお越しいただくことになっています。季節の節目に、参拝者や岡山の地域の方に笑いを届けてもらえたらなと思います。今日は有り難うございました。

以上

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