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【対談】落語家 笑福亭笑利氏(前編)

より良い社会を目指す活動は多様です。
そこに携わる方々の志や想い、実際の取り組みを伺って発信することは、神道黒住教が目指す「まること」の世の中の実現に向けて有意義だと考えます。今回は落語家の笑福亭笑利氏と私黒住の対談の前編です。

<笑福亭笑利氏 略歴>
笑福亭鶴笑氏に師事。古典や新作落語、人形を用いたパペット落語、紙切り芸、歴史上の人物を描いた歴史落語等を得意とする。師匠や自身の体験からボランティア活動にも熱心に取り組んでいる。

黒住:笑利さんには毎年お正月明けに、神道山にて落語会をしていただいて有難うございます。

笑利氏:それ以前の宗忠神社での会をきっかけに、いつも有り難く楽しみに来させてもらっています。

黒住:笑利さんと出会うまでは落語家の知り合いはいませんでした。歴史人物の創作落語をされていると聞いて、初対面なのに「黒住宗忠という人がいて…」「宗忠さん落語をやりましょうよ」と熱弁した記憶があります。

笑利氏:そうでした。いつかやりたいですね。歴史物はかなり気合が入ってしまい、時間も四~五十分になります。するとできる場所が限られてしまう。きちんと場所を作って岡山でできたらいいなとは思っています。

黒住:黒住教という枠にとらわれずに、江戸時代の宗教者、歴史上の偉人だと考えて、落語「宗忠さん」が岡山の街中のホールで行えると面白いです。

笑利氏:歴史上の人としてすごく興味があります。

黒住:逸話は多く伝わっていますが、その一つに、身分に関する話があります。江戸時代は武士が偉い、つまり階級社会の中で宗忠の話を聞きにいろいろな人たちが集まって来ました。その時、武士は刀掛けに刀を置いて丸腰で入り、女性や子供、農民や僧侶も役人も平等に接していました。これは当時の社会に対して前向きに逆行するようなことでした。
神様の前では平等というのは、お日様の力をいただいて皆が生かされて生きているのだから、身分などは関係なく皆が平等で尊い神様の子だ、という世界観なのです。人の命が今よりも軽んじられていたあの時代に、人とは何かというところを説いた人です。

笑利氏:落語を通じて、宗忠さんの思想(教え)を伝えるようなことはできそうだと思っています。「笑いは祓い」のお話も以前に伺いました。そういう部分は私たちがしていることと共通している。

黒住:実は私もそう思っていて、新しい年に向かっていく今回のタイミングでお声がけさせていただいたのです。「笑いは祓い」と同時に「祓いは神道の首教なり」とも宗忠は言っている。首の教え、神道の一番大事なことだという意味です。A=B、B=C、だからA=Cという単純な話ではないかもしれないけれども、近い部分はある。神道とは祓いであり笑いでもある。笑うことで、自分の心に着いた罪穢れを払い落として、ありのままの自分の姿を大切にしましょうと教わることができます。

笑利氏:すごいですね。そうした部分は今の時代になって徐々に解明されてきているから、より分かってくると思います。感覚的にも正しいと思います。

黒住:先日ご昇天された、故三遊亭円楽師匠の岡山での講演会を数年前に伺いました。「笑いと健康」のようなテーマで、笑うことによって医者も驚くほど自己免疫力が活性化されて、病気を吹き飛ばすようなことがあると話されていたことが印象的です。

笑利氏:笑うことで、「ナチュラルキラー細胞」、いわゆる自然免疫のスイッチが入って活性化すると研究で数字として出ているのです。普段その細胞が何をしているかというと、誰にでも毎日小さながん細胞ができるそうで、それを退治して回ってくれています。

黒住:ナチュラルキラー細胞が弱まると、その小さな良くないものが日常的に蓄積して、ついにはあふれてしまうということなのですね。

笑利氏:はい、一日に人が笑う回数は、小学生が三百回、年を重ねることに如実に減っていき、七十代を超えると一日一回、もしくはまったく笑わないそうです。

黒住:確かに。人との接点の問題もありますよね。

笑利氏:私は以前から老人ホームなどに落語をしに行っています。そして年配の方の生活を見聞きしていると、人と話すことが少なくなっていることも多いので納得する部分があります。お年寄りの方に対しては、まずは嘘でもいいので、とにかく笑顔を作りましょうとよくお話しします。朝起きて、ちょっとニコッとするだけで、長生きのためのスイッチが入りますからと。

黒住:「笑いヨガ」というものもあるようですね。黒住教の婦人会でも以前、大教殿で「ハッハッハー」とやっていて、何をしているのかなと思って見ていたら、まさに笑顔を作るための取り組みでした。

笑利氏:嘘の笑いでも、笑っているうちにだんだん本当に面白くなってくると、脳が勘違いを起こして免疫力が上がるという結果も出ています。

黒住:免疫力を上げるまでではなくても、少し笑うと気持ちや心が晴れることはありますよね。まさにそこが、祓いと近い部分ではないかと思います。

笑利氏:老人ホームで「皆さん一回やってみましょう。ハッハッハー」と私がやって、皆さんも「ハッハッハー」としてみたら、それだけでパッとその場の空気が変わる感じがあるのです。聞いてみると、皆さん自身もそう感じてくれています。単純に気分転換のスイッチとしてもすごくいいなと思う。

黒住:若い人だって日頃の仕事や生活の中で、笑顔をする癖がついているだけで人間関係も良好になりますよね。母からいつも、「二十パーセントの笑顔」を心がけるように言われています。口角を上げるのは筋トレみたいなものだそうで、しんどい時でも無理やりでいいからグッと上げて、いつも笑顔をいつもしておきなさいと。

笑利氏:私も考え事をするときに、顔がギュッとなって眉間にシワが寄っている場合も多くて。ただ、嘘くさくて怪しくならないように気を付けたいですよね(笑)

黒住:ちょうどいい自然体が大事ですよね。普通に笑っていたい。笑いは祓いの教えの背景には実際のエピソードもあります。
宗忠自身、肺結核になって死の淵を乗り越えて悟りを開いたのですが、ある時、肺結核で苦しんでいる人から良くなるように拝みに来て下さいという依頼があったそうです。行ってみると、本人だけでなく家族もみんなすっかり気持ちが沈んでしまっていた。その時に宗忠は「失礼だけれども、皆さんもこの家もとても暗い。陰気になってはいけません。陽気になりましょう。そのためには笑うことが一番です。無理やりにでも、面白くなくても笑ってみませんか」と言ったのです。
納得はいかなくても、せっかく宗忠様が教えて下さっているのだから素直にやってみようと、笑う稽古のようなことを始めました。夜に、その病気の本人が稽古している姿が影となって襖に映り、すごく滑稽に思えて思わず爆笑していると、その姿を見た家族たちも一緒になって笑って。そうしたら途端に陽気が満ち溢れて病気が治ったという話です。
この観点から言いますと、落語だけじゃなくても漫才やコントなど、人を笑わせる職業は素晴らしいと思う。一お笑いファンとしてもすごいなと思います。

笑利氏:自分で言うことではないけれども、いい仕事だと思ってやらせてもらっています。

黒住:どういう経緯で落語家になられたのですか。

笑利氏:中学校の中間試験の勉強の時、ラジオを聞いたのが切っ掛けでした。ある番組の、素人がハガキを出して読んでもらうコーナーに投稿し始めたのです。その頃から芸人の世界を目指していて、学校では友達相手にコントやテレビの真似などをする少年でした。面白いことをいろいろとずっと考えていましたね。
高校を出て吉本興業の養成所に入って漫才師になったのですが、コンビが長続きしなくて。組んでは解散を繰り返して、気付いたら二十七歳。これではだめだと思って、少しお笑いから離れてみたのです。元々田舎が好きで畑に憧れがあったから、全然知らない場所に行って、良い所があったらそこで暮らそうかと、あちこちを転々としました。
三十歳の時、久々に母親から連絡が来て、「ガンになった。手術も終わった。抗ガン剤治療に入る。先のことは分からない」という感じの内容でした。すぐに「母親に何かをしてあげたい」と思って実家に帰りました。今は元気にしていますが、その時は先が長くない可能性もありました。ですが当時、その日暮らしのような生活でしたから一文無しで、自分にできることはお笑いしかなかった。そこで目の前の母親を笑わせようと考えたのです。ガン細胞をやっつけるぞという一心でした。落語は一人でできるから母に聴いてもらおうと必死に取り組みました。

黒住:親孝行の心が落語家笑福亭笑利を生んだのですね。

笑利氏:はい、でも実はその頃はまだお笑いの世界に戻る気はなくて。母以外に向けても落語会などを行いましたが、それはガン患者の支援団体に寄付することが目的でした。そのような活動をしているうちに、心境に変化が起きたのです。
以前までの漫才師の自分は「どうだ面白いだろ。俺を見てくれ」というような気持ちでした。あの落語をしていた期間に初めて、人のためだけにお笑いをしていたのです。その時にやっと、それまで前に進めなかった理由が分かった気がしたのです。「俺が俺が」では誰も認めてくれないと。己を取り払って母親のためにやった時に、自分の中の「お笑い観」が全く変わった。こうやって人を笑わせたのは初めてで、お笑いは人のためにあるものなのだと気付いたのです。それからあらためて落語を一から学び直したいと思ったのです。

黒住:大変な状況を活かして生まれ変わったのですね。

笑利氏:本当にそうです。だから母親にこの世界に戻してもらったという感じですね。

(つづく)

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