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いじめ撲滅への第一歩は「書くこと」かもしれない

いじめと闘えない自分を悔やみ続けて約10年。

わたしは、小学校から高校まで、数々の「いじめ」を目の当たりにしてきました。



小学校、中学校、高校。それぞれで起きたいじめの「かたち」は全く異なるもので。

小学校のころのいじめは、いじめが深刻なものだと知らずに、軽い気持ちで行われていました。「嫌い」「きもい」「くさい」「死ね」「消えろ」などの汚い言葉を、本人に大声で言っちゃうような、とても幼稚なもの。それらは、お笑い芸人や悪い兄ちゃんたちへの、一種の「憧れ」のようなものだったんじゃないかと思うんです。

中学校になると、いじめがもっとドロッと、じめっとした、陰湿なものに変わっていきました。気に入らない奴は、とにかく無視されたり、睨まれたり、悪口を言われる。小学校のいじめとは違って、先生に見つからないように、隠れてコソコソと行われるんです。

高校になると、皆、いじめが深刻なものだとわかっている。それでいて、いじめを「正当化」して行うんです。中学校みたいに、「あいつ、気に入らないから」とかいう、そんな曖昧な理由じゃなく。もっとこう、「あいつ、空気が読めない奴だから」とか「あいつ、友達の好きな人に手を出す奴だから」とか。つまり、「〇〇だから(あいつが悪いから)、いじめてもいいでしょ?」という、いじめるための「理由」が用意されるんです。



わたしは、これらのいじめの「傍観者」でした。

だから、いじめの「かたち」をよく知っているんです。


小学校でも、中学校でも、高校でも。わたしは、常に「傍観者」。

認めたくはないですが、これは、紛れもない事実。いじめられている子に対して、いじめもせず、助けもせず、ただただ知らんぷり。わたしは、直接的にいじめている子たちと同じ、重い罪である「傍観者」という汚い存在だったんです。

わたしがもし、いじめの「被害者」だったら、直接いじめてくる奴と同じくらい、もしかすると、それ以上に「傍観者」の存在が憎いと思うんです。直接手を加えなければ、助けもしない、なんて弱くて醜い奴なんだ、と。



そんな「傍観者」であり続けた自分を、今でも悔やんでいます。

「いじめる奴らを止めていれば...」
「苦しんでいる子を助けていれば...」
「大人に相談していれば...」

自分の罪の重さを、当時以上に理解し、後悔せずにはいられません。

しかし、わたしは思うんです。

「思う」ことは簡単である。しかし、それを実際に「行動」に移すことこそ、難しいことであり、大きな勇気のいることなのだ。

、と。

そう、そうなんです。大人になった今、過去の行いを振り返り、どうこう「思う」ことは誰にだってできる。しかし、それを当時、「行動」に移せる勇敢な人は少ないんです。ほぼいない、とさえ思います。



そんなことを考え続けてきたわたしに、「いじめ」について、改めて真剣に考えるきっかけを与えてくれた映画があるんです。

それは、映画『聲の形』。

映画を見終えたわたしの目の前に、「いじめをどうにかできるかもしれない」という希望の光が。本気で、本気でそう思ったんです。

映画から学んだことを、ここに残しておきたいと思います。自分のためにも、同じように悩むあなたのためにも。


***

01/あらすじ

“退屈すること”を何よりも嫌う少年、石田将也。
ガキ大将だった小学生の彼は、転校生の少女、西宮硝子へ無邪気な好奇心を持つ。
彼女が来たことを期に、少年は退屈から解放された日々を手に入れた。
しかし、硝子とのある出来事がきっかけで将也は周囲から孤立してしまう。

やがて五年の時を経て、別々の場所で高校生へと成長したふたり。
“ある出来事”以来、固く心を閉ざしていた将也は硝子の元を訪れる。
これはひとりの少年が、少女を、周りの人たちを、そして自分を受け入れようとする物語――。
映画『聲の形』公式ホームページより

もっと簡単に言うと、こう。

小6のヤンチャな少年「将也」が、聴覚障がいのある転校生の少女「硝子」をいじめる。

次は、「将也」がクラスでいじめられ、孤立する。

5年後、高校生になった2人が再会。
わたしの解釈より


***

02/思うのは自由、でも表には出すな

この映画、途中で見ているのがすっごく辛くなりました。とっても苦しかったんです。今まで、いじめに対して、知らんぷりという最悪の選択をし続けて生きてきたから。

でも、この辛く、苦しく、最悪の状況を見ているうちに、「いじめをなくすには、どうしたらいいだろう」と真剣に考えている自分がいました。映画をただ見ている「傍観者」じゃなく、「自分もどうにかしなきゃ」と自分ごととして。



では、お待たせしました。

わたしが考える「いじめ撲滅策」はこちらです。

「心の洗濯ノート」

です。

わかりますよ、わかります。こんなノートひとつで、いじめなんて無くならねぇだろ!って言いたくなりますよね。わたしも少し、そう思います。すべてのいじめを無くせるわけじゃないよな、と。

でも、やってみなくちゃわからない。

あきらめたら、そこで試合終了なんです。



「心の洗濯ノート」は、その名の通り、心の中の汚いものを洗い出すためのノート。

映画を見て思ったんです。小学生は特に、心の中の汚いものを洗い出す方法がわからず、それを外に出してしまうから、いじめが起こってしまうのだ、と。

汚い感情は、別にあってもいいんです。「あの子嫌い」「この子ウザい」「あの子キモい」と思ってもいいんです。でも、あくまでも、心の中だけ。

映画の中の子たちは、このような、汚い感情を心に留めておくことができず(というよりも、心に留めておく方法を知らず)、それを外に出して、平気で人を傷つけてしまっていたんです。



何が言いたいかと言うと、「思うのは自由、でも表には出すな」ってこと。

だから、「心の洗濯ノート」が必要なんです。

子どもに関わる、すべての方に知ってもらいたい。考えてもらいたい。悲しいことに、子どもたちの周りには、必ず、「いじめ」の問題がやってくるから。


***

03/「心の洗濯ノート」の掟

【その一】
寝る前、1日のモヤっとした感情をノートに書き出してみて。
次の日に持ち越さないために。そしたら、きっと、また明日から笑顔で過ごせるから。きっと、いい夢を見られるから。
【その二】
「心の洗濯ノート」を見せていいのは、家族だけ。
いくら仲良い友達でも、信頼している先生でもダメ。だって、あなたが「嫌いなあの子」は、誰かにとっては「大切な友達」「大切な生徒」だから。
【その三】
汚い感情は、いくらでも、どんな言葉でも、書き放題。だけど、名前は書いちゃダメ。
「あの子」と書くように。だって、もし、それをどこかで落としでもしたら、きっと誰かが傷ついてしまうから。
【その四】
汚い感情を書き出すことさえも辛くなったら、楽しいことを頭いっぱいに妄想して、書いてみて。
「もしも、松坂桃李と結婚したら...」とか「もしも、どこでもドアを手に入れたら...」って。不思議と、苦しみや悲しみは小さくなって、温かい気持ちで、安心して眠れるから。


***

04/おわりに

将来、子どもが生まれたり、子どもと関わるお仕事に就いたりすることがあれば、「心の洗濯ノート」で、汚い感情の、正しい洗い出し方を教えてあげたい。

すべての子どもたちの周りに、「優しくて、温かい世界」が広がってほしいから。

しかも、これは、子どもだけのものじゃなくて、すべての大人にとっても、「心の洗濯ノート」は必要なものなんじゃないか、と。

このように、「書く」ことで、いじめを無くせるかもしれないし、松坂桃李との結婚だって、妄想できちゃうんですよ。

つまり、「書く」って最強!ってこと。

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