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進学実績アピるのダサすぎ問題

こんばんわ初見です。春が来ます。
春を迎えるのに失敗してしぬ人間や、春が来てしぬ人間など、この世界はさまざまです。みなさんは何になりそうですか?


この時期、大学に新入生が入ってくる。各自がんばってくれ。

入試が終わると、高校・予備校、あと浪人は次の入試に向かいます。そういう輪廻のなかにいる。

どこも優秀な生徒を取るのに必死です。もちろんがんばって育てるんだけど、合格できる総数は決まっててみんながんばるので、がんばりだけで抜けることはできない。世の中だいたいそうで、「がんばる」って言うのは何も言ってないのと同じです。

北海道だとたぶん東大に受かる人は30人くらいで、これは長いこと大きくは変わってないと思います。そのなかでパイの取り合いが起こってる。

パイの取り合いが限界になると、現役生に予備校に来てもらって高校と予備校でも実績にしたり、ひどい時代だと講習会や模試もカウントしたり。
こうやって30人を50人、60人にする技術が生み出されてきたのです!すごい!


細かい話はいいんですけど、「国公立大学〇〇人合格!」みたいなのクソダサくないですか?
教員やってたこともあるし、教育も一つの産業であることは理解してるので仕方ないかなとは思うけど、生き様としてダサすぎるなと思う。


まず、受かったのは生徒の実力と努力であって、学校(予備校)じゃない。
生徒側が「先生や学校のおかげです」と言うのはわかるけど、学校側が自分からアピールするなと思う。

しかも、子どもがあげた成果を大人が自分の手柄のようにアピールするというクソダサな構図。
そんな生き方でいいんですか?って感じ。


あと、教育にかかわる人間が、進学・就職先に優劣つけてんじゃねえよっていうのもある。

入試には偏差値があって、どうしてもランキングっぽくなっちゃうんだけど、そういうことじゃないよってたとえ思ってなくても言ってほしい。

東大行くのもすごいし、地元の大学に行って地元で働こうって思うこともすばらしいし、何か仕事につながるような進学先を選ぶのも、部活頑張ろうって思うのも、みんなそれぞれ素晴らしいことだよって言えないんか?

国立大受かった実績だけアピるのは筋が通ってない。そういう意識は必ず生徒に伝わっちゃうから、長期的に見てマイナスになる。


もちろん生徒集めてお金も集めて、それによっていい教育ができるので、ある程度は必要悪みたいな部分もあることは頭ではわかってます。
でもダサい生き方をする大人にはなりきれない。高校で働くときに進学校を候補から外してるのは、こんな理由です。

でも金なくなってきたタイミングで進学校が仕事くれたらひれ伏すし、オーウェルの1984みたいに働いちゃう。

残念でした。

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