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真夏の九州うつわ旅・5日目(その1) ~小鹿田焼の里へ おもいを寄せて~


8月に4泊5日で九州北部をめぐった「九州うつわ旅」の記録をしています。

有田焼「李荘窯」さんの世界を満喫した4日目の様子はこちら。


今回は最終日、5日目の記録です。
思いがあふれて、また長くなりました。ほんとうは現地の様子まで一気に綴ろうと思ったのですけれど、断念。今回はそこに行くまでの経緯を記録します。




5日目:8月12日 晴れときどき曇り

いよいよこの旅行も最終日となった。
心のふるさと、有田の地を離れるのはさみしいけれど、非日常はいつまでも続かない。
名残惜しくもILHAイルハさんに「また来年」とご挨拶をして、最終日にふさわしい場所へと向かう。


思いのたけをぶつけるかのように、小田焼おんた焼の里へ。


小鹿田は、大分県日田市の山奥にある、すばらしい場所だ。
自然と調和し、その自然にそっと手を添えて300年前と変わらぬうつわをつくり続けている。
今なお動力に電気を使用せず、人の手により昔ながらの製法でつくられるうつわは、素朴でありながらうつくしく、あたたかく、里の方々の日々の営みや 自然への深い愛を感じる。
小鹿田焼の窯元全体が、国の重要無形文化財に認定されていることは、大きくうなずけることだ。

ちょっぴり大げさかもしれないけれど、一昨年、小鹿田焼の里をはじめて訪ねたときには、自分の在り方を問いたくなるほどの、パラダイムシフトが起きたような気がしている。
自然はうつくしいもの、尊いもの、感謝するもの、畏怖するもの。人は自然の一部、やきものは自然から生まれるもの…。そのようなことはわかっていた。つもりだった。
けれど、なんにもわかっていなかった。

小鹿田の方々にとっては、それは「わかる」のではなく、内在しているのかもしれない。偉大なる自然があたりまえのように生活の中に存在し、常にともに歩み、ときに対峙する。
仏教用語に「身土不ニ(しんどふに/食分野での読みは しんどふじ)」という言葉があるそうだけれど、「身と土、二つにあらず」というその言葉を想起する。

一子相伝で「わざ」を継承し、自然と共存しながら小鹿田焼をつくりつづける、その里の姿をまた みたくて、今年2月にこの旅行を計画したときには、初日に訪れる計画にしていた。いの一番で訪れたかったのだ。


ところが。出発前の記録で触れたとおり、7月10日に発生した線状降水帯(7月7日からの大雨)は、小鹿田焼の里に、またしても甚大な被害をもたらした。
2016年に発生した九州北部豪雨により、小鹿田焼の里は大変な被害を受けてしまったことは記憶に新しい。

この7月の豪雨により、家々の間に流れる川は濁流と化し、里にある39の唐臼からうす 全てが被災した。唐臼とは、ししおどしのように川の水力を利用して原料の土を砕く道具であり、小鹿田のシンボル的存在だ。国の重要文化的景観の構成要素にもなっている。

その唐臼すべてが被災し、うち流されてしまったものが1丁、落下が1丁、残った唐臼についても本来の位置をとどめない状態だという。
雨が去った後には、小屋の中や水路などには大量の土砂が堆積した。
毎年10月に開催されている「小鹿田焼民陶祭」は、今年4年ぶりに開催されることになっていたのに、中止を余儀なくされた…。


胸が痛かった。
自然と調和し、ともに歩む小鹿田の里が、その自然の猛威にさらされてしまった。
いろいろと思うことはあったけれど、とにかく実際に起きてしまった事実を前に、小鹿田の里の1日も早い復興と、里の方々に平穏なご生活が戻ることを祈らずにはいられない。




そして自分の旅行のことを考えたとき…
今、小鹿田に向かうべきは、カメラを下げた観光客などではなく、スコップ片手に尊いボランティアを行う方だということは、誰に言われずともわかっていた。日常生活を取り戻すために必死に復旧作業をされる当事者の方々にとって、観光客はきっと邪魔者でしかないでしょう。
だからといって、私に肉体的ボランティア活動ができるかといえば、足手まといになるだけ...。

けれど、日を追うごとに、私のおもいは変化してきた。
もしも復旧作業が進んでいるとしたら。その過程をこの目で見て、そして(たとえばnoteとか)何らかの形で どなたかお一人にでもお伝えすることができるなら… それもわずかながら、応援につながるのでは? という考えが生まれたのだ。
けれど一方で、そんな自分のおもいを打ち消す私もいる。
現地の状況もわからないまま、一人で考えていたって答えはみつかるはずもない。

それで私は、小鹿田のある日田市の観光協会へ問い合わせをすることにした。併せて、小鹿田の麓でギャラリーを営まれる方にもコンタクトをとらせて頂いた。そのギャラリーは被害を受けていない。

はじめは、やはり観光なんてとんでもない状況のようだった。けれど、皆さまのご尽力により、状況は日々すこしずつ変化しているご様子。

8月に入ってからのこと。観光協会の方から頂いた何度目かのご連絡により、「”お天気がよければ” 観光で行くのもよい状況」になったことがわかった。
ただし、小鹿田に向かうまでの一本道は、がけ崩れによりアスファルトが剥がれたりガードレールが曲がっている箇所があること、そして窯元での販売商品は あまりなくなっていることなどは承知していないといけない。
一方で、里にある「小鹿田焼陶芸館」が再開したという明るい材料もあった。観光客を受け入れる体制だ。
調べてみると7月末には、39のうち19の唐臼が稼働したようだ。まだまだだけれど、動き出していることには間違いない。

麓のギャラリーについては、既に7月の段階から営業を再開されていた。

迷いはぬぐえないものの、その段階で「お天気がよければ」 行くことに決めた私。

けれど。
無情にも大きな台風が発生してしまった。
復旧作業に勤しむ里の方々は、台風対策もなさらなければならないでしょう。 


このような状況だったから、旅行に出発する前も、してからも、新たな被害がでないよう祈りつつ、小鹿田訪問についてはおもいを寄せ、台風の状況をみてギリギリのところで検討をしていた。
とりあえずは、当初希望していた初日の訪問は難しい。これから台風が来るというのだから。
その次の日も、また次の日も訪問できる状況ではなかった。

そうして迎えた旅行最終日。
台風は2日前に過ぎ去っているし、新たな被害もなさそうだ。お天気も悪くない。
ずいぶん迷ったけれど、結局行くことにした。
前日に、有田の陶芸界の方から、「足を運んだら、小鹿田の方は喜ばれるのではないでしょうか。」というお言葉を頂いて、背中を押されたようにも思う。



長くなったけれど、これが最終日に小鹿田に向かうことになった経緯。
ここまで考える必要はななかったのかもしれないけれど、私にとっては たいせつなことだった。


今回は、小鹿田に向かう道路の様子までを記録して、おしまいにしたいと思う。


うつくしい山々。
だけれど
小鹿田に近づくにつれて土砂崩れの跡が。
ガードレールは曲がり
瓦礫が堆積する。
アスファルトが剥がれた区間も...。




ーこの記録は、今年8月12日現在のものです。ー




5日目:8月12日(土)晴れときどき曇り。
佐賀県有田町の定宿「ILHA」さんを後にして、大分県日田市の小鹿田焼の里に向かう。


はじめは小鹿田の現地の様子だけを記録しようかとも思ったのですけれど、なんとなくこの経緯を飛ばしちゃダメだって思ったので… 今回このようにツラツラと綴ってしまいました。

長文をお読みくださいまして、ありがとうございました。


次回は、里の様子を写真とともに記録します。




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