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アドラーのおはなし 〜カメラ購入につながった(?) アドラー心理学〜



先日、カメラを購入したことについて投稿しました。

私は写真好き。でもずっと、「スマホで十分」と言い切ってきました。
そんな私が、カメラを使ってみようと決めて、購入した、というのが先日の内容です。

その中で、私がカメラ購入を決めたきっかけは、自分へのウソ(自己欺瞞)に気づいたからだとおはなししました。

カメラを買うというだけのことで、そのきっかけを「自己欺瞞に気づいた」だなんて、大げさかもしれません。
これは、私が好きなアドラー心理学に照らしてみて思ったことです。
それがどんなことなのか、今日は “解説”(らしきもの)を試みたいと思います!

と言っても、私はアドラー心理学のいわば “素人” 。
アドラーに関する資格や協会などとは無縁ですし、研究や活動を行っているわけでもありません。
後述しますが、私は公開講座や本などから 少し学びました。
そんな私ですが、どなたかに わずかでもアドラーの魅力をお伝えできればと思い、こうして おはなしを始めています。
もしも これからアドラー心理学をちょっと知ってみたいという方 = アドラー初めてさん がいらしたら、読んでいただけると嬉しいです。


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私は心のどこかで ずっと、カメラを使ってみたいと思ってきました。
でも、機械オンチでカメラ無知の私は、そんな思いにフタをしてきたのです。「スマホで十分」というフタです。
実際に、スマホでも美しい写真を撮ることは可能ですので(私が美しく撮れるかどうかは別として)、それはとても良くできたフタだったと思います。

今年の春のことです。ぼんやりと考えごとをしていたら・・フタをしていた自分に気づいちゃったのです。

あれ? 私って、ほんとはカメラで写真を撮ってみたかったんじゃない? もっと私らしさを表現できるような写真を撮りたいと思ってたんじゃない?」と。

そういえば、スマホで撮った写真をSNSにアップするとき、なんかモヤっとすることがありました。ひっかかっていたのですね。

フタを開けてみて気づきました。
スマホで写真を撮り続ける今の私は、カメラで素敵な写真を撮りたいと思う自分とのギャップに「劣等感」を抱いていたのです。


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アドラー心理学における劣等感とは、理想の自分(自己理想)と、現在の自分のイメージ(自己概念)とを比べて生まれる感覚のことを指しています。
他人(カメラで上手に写真を撮る人)と、自分(スマホで撮る今の私)を比較して生まれる気持ちではありません。

自己理想に対する劣等感は、始めから解消される見込みはありません。だから、安心して劣等感を味わうことができます。「ああ、自分はまだまだだな」と。それでもすこしは進歩しているし、成長もしているのです。それで問題はありません。
一方、「現在の自分と他の誰かを比較して、自分が劣っていると感じる感覚」としての劣等感は、なかなかやっかいです。なぜなら、その人よりも自分が優秀であることを示さなければ、他者に対する劣等感は解消されないからです。

向後千春 先生著, 『幸せな劣等感』,  小学館新書

アドラー心理学をちょっぴり知ってから、他人と比べることの無意味さを感じるようになったのは収穫だと思っています。


劣等感は、自己理想との比較ですから悪者ではありません。
劣等感を抱くのは、今よりも良くなろうとしている証拠。
それなのに私ったら。

ホントはカメラで写真が撮りたいと思っていたくせに、「スマホで十分」というウソを自分についていました。
だって、カメラデビューするとなればいろいろと大変なんですもの。
「スマホで十分」って言っていれば、ラクちんです。
・・・「スマホで十分」は、課題から逃げるための自己欺瞞でした。

それに気づいたので、気合を入れて(勇気を出して!)カメラの世界に足を踏み入れることにした、というわけです。

理想の自分に向かうはじめの一歩です。


今回は、楽しい写真ということもあり、私にしては珍しく、気づいてすぐに行動にうつすことができました。(カメラの選択には悩みましたけれど。)
でも そんな時ばかりではありません。自己欺瞞に気づいてから、長らく寝かせていることもあります。。

それでもそんな今の自分をゆるしつつ、いつの日か…!と思わせてくれるのもアドラーです。

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今まさに自分が直面している課題があるにもかかわらず、その失敗を恐れてやらない。そして、やらない言い訳として自己欺瞞をすることもあるでしょう。しかし、それが自己欺瞞なんだということがわかっていれば、いつかできます。怖れがあったとしても、それが小さくなるまで待ちます。いつかそのときは来ます。

向後千春 先生著,  『アドラー ”実践” 講義 幸せに生きる』,  技術論評社

あたたかさを感じます。


こんなあたたかな勇気もあります!

劣等感は誰もが持っているものですから、それ自体は問題ではありません。ポイントは、劣等感を覚えたときに、「自分はまだまだ未熟だ。でもそこそこ良くやっている」という感覚を受け入れることです。これを「不完全である勇気(Courage to be imperfect)」と呼びます。

『幸せな劣等感』

劣等感も自己欺瞞も、まずは気づいて受け入れることが大切なのですね。 #自己受容


まだまだ学びの浅い私ですが、こうして自分にあてはめて考えるのは楽しいです。
今回はカメラ購入という ちっぽけなことでしたけれど、場面によってはアドラーを意識することで救いになることがあります。
アドラー先生は、「理論と実践は不可分」と言っていますので、ちゃんと実践に活かせるようになれば、ますますその魅力は大きくなるのでしょう。きっと。

・・さきほどアドラーはあたたかいと書きました。
でも、時には厳しさを感じることもあります。
ただ信じていれば救われるというものではなく、自らの決意や行動、気づきを伴うからこそ幸せになれるというところも、アドラーの魅力だと思っています。


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私は岸見一郎先生の『嫌われる勇気』でアドラーと出会い、
その後、早稲田大学 教授   向後千春先生の公開講座で学ばせて頂きました。あ、それからnoteでも!
公開講座は、多様性を受け入れてくださる とびきり楽しい共同体でした。デキの悪い私がリピーターになっちゃったくらいです。
またいつか、受講できる日が訪れますように。。


今日 引用させて頂いご本のご紹介を改めて。
2冊とも向後先生のご著書です。


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『アドラー”実践”講義 幸せに生きる』 技術論評社
アドラー心理学の理論(5つの基本前提)などについて、講義形式の構成で とてもわかりやすく説明されています。初心者向けとのことですが、しっかりと体系を学ぶことができます。
“ライフスタイル診断“などのワークを通し、実践に向けて楽しみながら理解を深めることができると思います。
(これを機に私もまた読んで学ぼう。。)


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『幸せな劣等感』 小学館新書
アドラー心理学の系譜の解説などもあり、全体像がわかりやすく展開されています。
こちらに書かれている 自己受容→所属→信頼→貢献 のサイクルは、繰り返し回して(学んで)実践を試みたいたいな、と思います。
“マイ・アドラーをポケットに” の合言葉はお気に入り。


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今日 私は、拙くも自己欺瞞や劣等感の一部を抽出しておはなししました。
ご本から引用させて頂いたのも、流れのある文脈の中の一部分です。
でも、ある言葉だけ、ある部分だけを切り取って理解しようとするのはちょっとキケンかなあと、自分にも言い聞かせたいと思います。
アドラー心理学で大切な共同体感覚のことも、今日はおはなしできませんでした。


ところで私は、数年前にキャリア支援の部署にいたことがあります。(キャリアコンサルタントの資格を保有しています。)
アドラーの考え方は、悩み多き学生さんの心に あかりを灯したこともありました。
引き出しは多く持てるように学ばなければと思うのですが、好きな引き出しを充実させることも、また大切だと感じています。

自分のために。誰かのために。
これからも私なりにマイペースで。理解を深めていけたらと思います!


この投稿が、わずかでも どなたかのご参考になりますように。
そして自分の 次の気づきに繋がりますように。


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- 追伸 -

今日の本の写真も、スマホで撮りました。




コテっ

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最後までお読みくださいましてありがとうございました。
何かお気づきのことがありましたらご教示いだけますと嬉しいです。




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