見出し画像

死は常に平等に

10年前の今ごろは、日本全国が、混乱のなか、茫然自失でいた。
テレビを見ながら、無言で、何が起こったのか茫然としていた人
命を目の前で、失くした人

圧倒的な破壊は、人間の感情や思惑を飛び越えて、すべてを揺り動かした。

(あの時は、一秒前と、後で、もう世界はまったく変わってしまったんだなあ。
好きだ、嫌いだ、と区別していた人が、いま目の前で死んだら?
わたしは、死の前では、感情などなくなり、平等に悲しいと思えるだろうか。
思えるとしたら、その慈しみを日常で、抱き続けたい。
自分もそうされたら、嬉しいからだ)

公園のやわらかな日差しを眺め、あの時と同じ青い空を眺めながら、感慨深くなる。

10年前のことを思いだしながら、今日という日を過ごしていると、些細なことも気にならない。
ただ、生きている奇跡がいま、ここにある、という現実がただ、ありがたい。

コロナ、コロナ、というが、当時はもっとすごかったじゃないか。
ひどかったじゃないか。
それを、思えばどうってことないじゃないか。

そうして、当たり前ではない、自動販売機から出てくる飲み物を買いながら、少し泣いた。
これを飲めない人がいた。
飲みたくても、動けない人がいた。

飲めるなら、その分生きよう、と、黙祷を捧げた。
生きてさえいれば、なんとかなるんだ。

そうして、自分を、周りを励ましたい。
そばで、子どもたちが、笑いながら走りぬける日常が、一秒でも長く続くといい。

あれから、10年
それぞれの10年目

サポートいただいた、お金はクリエイター費用として、使用させていただきます。 いつも、ありがとうございます。