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おばんです。おばはんです。

おばんです。

今週は、久しぶりに休みが続き、ちょっと息抜きをしています。

ごろごろしていると、ふと、かつて、些細だけどムカついたことや、
今の主人との関係とか、そういうものが、ふわふわ、と思い浮かんでは、また消えています。

例えば、
同じNOTEライター?で、イラストレーターさんが居て。
一人はきちがいで、一人は鬼プライド高かった。
きちがいは置いておき。(え)
プライド高いイラストレーターには、コメントで話しかけたら、「は?お前もっと下手に出ろよ」感を、出された。

えーーっと、なんでかな?
あのさあ、会社員が相手だと、普通に返事くるし、何なら社長相手でも普通に会話してくれますよ、ここ。って、思いながら、静かにフェードアウトしましたが。

作家にもいるのかわからんが、未だにあれか、イラストレーターだの、漫画家だのは、アレなのか。医者的なあれか。
先生の部類か。
じゃあ、様付で尊敬語か。普通の敬語はアウトか。それとも、丁寧語か。もう、何語なら、いいんだ。英語かな。

わたし、職業差別しないけどさ、ぶっちゃけ、イラストレーターってただの自営業ですよねって言ったら、また怒られんのかね。
いや、自営業だからこそのピンキリなのかな、って、言われないよう、他のイラストレーターさん(まともな)方が迷惑を被るので、変な態度しないほうが良いと思うが、わたしは親切では無いので教えない。

そんなことを考えたりしながら、カフェオレとプロテインをつくって飲んでます。

次に、ふと思ったのは、主人との関係。
これは、現在、良くも悪くも、すごくオリジナルな、
なんというか、二人にしかわからない生活が生まれつつあり。

それって、すごいことなんじゃないか、と思いました。
未知の領域というか。
なんか、恋人同士だったころとか、結婚当初って、ある意味、何らかの型にはまろうとしていて、苦しかった(勝手に苦しんでいた)ことがあったりもしたんだけど、
最近、そういう変な力み方が抜けて、自然体に一緒に居るようになりまして。
なんか、そうすると、普通に二人でいるのが、普通になってきたりして。
まあ、これが、たぶん家族ってことなのかね、と思いながら、不思議な気分です。

やはり、生活をやることほど、切実なクリエイティブってないよな。だから、やめらんないよね。って思いながら、「青のすみか」聞いてます。

そして、生活というキーワードで次は、知人の高校生が最近鬱気味だという話を相談されて、わたしは通っているクリニックを紹介したのを思い出した。
「死にたい」と、17歳の子供は親に言うらしい。
まあ、私も十代のころは死にたがりだったので、言っているうちは、大丈夫だと思いますよって、言いましたが。
思春期の死にたいって、もう、息を吸うのと同じ程度に言うよなあ。って、自分のことを振り返って思ったりした。

まあ、ぶっちゃけ、30歳過ぎた人達の「死にたい」より、ちょっと軽く感じてしまうよね。外側からはね。
親からしたらたまったもんじゃねえから、そういうこと、あんま言うなや。クソガキ。くらいには、思いましたが、言いませんでした。(当たり前だ)

大体、お前が死んだところで、泣くのは親だ。
親は死ぬ気でお前を生んだんだから、やめとけや。って言いながら、ぶっ飛ばしたいけど、きっと、体力ないから、逆にぶっ飛ばされるな。

本当に死にたい人って、人に言わないんよね。
だから、まあ、ある意味平和な一コマなんだろうな。
と、思ったのも、言わなかった。

とりあえず、病院行って、検査したらって、話をしまして、
病院に行くみたいだね。
発達障害があるなら、あるで、早い方が良いからね、見つけるの。

うつ病は、偏桃体の炎症だから、薬飲んで、ちゃんと休めば治るよ。時間はかかるけどね。
障害は、治らないから、早いうちに見つけて受容して、適応していった方が、生きるの楽になるよ。

って、例えば、わたしが、公認心理士とか、精神保健福祉士の立場で話せたら、少しは青少年の役に立つのかね。

そんな夢想をしながら、カップにはりついた、牛乳の膜を眺めました。
寒いから、温かいものを胃に流し込んで、しかし、牛乳の膜ばかりは、どうにも煩わしい。

そんな一夜。

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