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カレーライスの袋を二つ買ってきたとしても。

チャオ、ソレッラ!

ようやく、引越し作業も終わり、各種手続きも進みはじめ、少し生活に余裕が出てきたため、書き溜めていたものを出そうかと。

「つぶやき」でひたすら、お茶をにごしてきたわたし。

さて、題名にもある通り、一昨日、引越し作業の終日を迎え、夕ご飯の準備に、新居近くのスーパーで買い物をした帰り道、ふと、落ちゆく夕日を眺めながら、思った夫の性格であった。

たとえば、いま、夫に「夕飯買ったよ」と連絡不備を起こしたとして。彼も同じようにカレーライスの材料を買ってきたとして。家で、同じ材料をみた彼の反応はおそらくこうだろう。

「なあんだ。いいじゃない。二日続けてカレーでも。一日置いてもいいしさ。大丈夫だよ、あいさん」

だろうなあ、と思いながら、ふと、落ち行く夕陽を眺めながら、彼のおおらかさに、はじめて微笑がもれた。

友人や親の前では強がって、「別にお互いそれほど相思相愛とかじゃないよ」とか、照れ隠しに言うこともある。

でも、やはり、こういう、ふとした瞬間に、彼のやわらかな性格に救われている自分を見出すたび、「ああ、わたしは彼を心から愛しているのだなあ」と、実感する。

たとえば、彼とわたしが逆の立場だとしたら、わたしは、彼のように許せるだろうか、と想像してみる。

おそらく、口では「気にしなくていいよ」とは、言うかもしれないが、一瞬でも不満をもつのだろうな、と思うと、自分の狭量さを垣間見る。

彼は、不思議なくらい、わたしのやること、なすこと、許してくれて。わたしが、悲しんでいたり、苦しんでいるのを見るのを嫌がって、心から心配して、まあ、ともかく、すごく愛されている。

そのあふれんばかりの愛に触れるたび、わたしはまったく恥ずかしくなって、顔を両手で隠して、こっそり布団にもぐりこんで、顔を隠す。

彼はそれさえも追いかけてきて、布団をめくっては、にやにや、と意地悪な笑みを浮かべて、わたしを抱きしめるのだから、困ってしまう。

気がついたら、わたしも彼を心から愛していて。

彼が疲れているときに、少しでも楽になってくれるよう、日々、小さなサインを見逃さないようにしている。

カレーライスの材料が入った袋が、たとえば家の台所に二つ並んでも。

彼はきっと、わたしを怒ることはない。そういうはなし。

(このことを彼に実際に話してみると、「よくわかったね。僕は家に食料がある分には、不安じゃないよ」と、言われ、なるほど、食料がないと不安なのか、と新しい情報をキャッチ)

食べることをどこまでも愛する彼の心の置き所は、おいしい食事。

と、わたし。

なんてさ。
幸せな食卓。

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