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元不登校が大手教育会社へ

前の記事の続きからです。

親に反対されながらも
地元を出て、心理学を学んで
少しでも誰かの心に寄り添えたら、、
教員免許も取って、不


「登校の子でも勉強がしっかりできて、
 夢を諦めさせない、家と学校以外の
 居場所を作りたい」

そんなことのできる大人になりたい。
社会を作りたい。

ちっぽけなのにそんなことを
ほんとは思ってたみたいで、
いきなり進路変更をして
心理学部のある大学へ行きました。

不登校になれば勉強は追いつけないし、
家にしか居場所はないし、
話す相手は親くらいで、
世界は狭くて、
家を出たら近所の目とか気になるし、
噂になるし、
世界はそれはそれは狭くてね。

不登校からの復帰は
またいつか書こうかな。


そんなこんな
「いつでも誰でもやり直せる社会を作りたい」「不登校のこの居場所になりたい」
「勉強は夢を叶えるツール」
そんなことばっかり就活で言ってました。

「お金にならないね君の話は」
と笑われたりして、
全然内定もらえなかった。

そんな中、Fラン大学なのに
ある大手教育会社から内定をもらったわけです。

子供の居場所になりたい
なんてビジネスマインドゼロの私には
この職場がそれはそれは辛いわけです。

入れたものの、周りは高学歴だけ。
上司もみんな高学歴。
キャパの大きさも教養も違う。

私の考えは理想論でしかない
自己満だろ?

なんて言われたりして、
色々色々色々あって

適応障害となりました。


すっごい省いてしまったけど
流れとしてはこんな感じに生きてきたわけです。

これでも一応社会人で
教員免許も持ってて、
不登校からの復帰もしてるわけです。

誰かを助けられたら
不登校だった、あの日の自分を
救える気がしてるんです。
だから結局自己満足なのかな。

な〜のに適応障害です。
コメントなどでなにかいただけたら
不登校について、
Fラン大学からの大手内定について、
適応障害についてなど
お応えしたいと思います。

それまでは適応障害の現状を綴ります。



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