SF小説 『百万ドルの虚空』その5
VR探査システムプロジェクト
「こちらへどうぞ」
先に立って歩く海老原の後へ秀次は続いた。海老原は幾つかの扉をカードや指紋認証その他で通り抜け、二人は4,5人乗ったらいっぱいになりそうな狭いエレベーターで地下へ降りた。エレベーターが開くと、2階ぶんくらい吹き抜けになった広い空間に出た。半球形の黒い物体が二つ。天井から照明が当たっている半球形の装置は、前面が開いていて、その前に大型のスクリーンがあった。中の座席は秀次が東都エレクトロニクスで使用したものに似ていたが、もっとゆったりとしたものになっていた。装置の周りからは配線などがむき出しで出ていて、それが床へ潜り込んいた。よく見ると、エレベーターから降りた辺りより装置の周りが一段高くなっているのは、床の上にさらに高く歩けるように組み上げてあって、その下に配線などの構造物が雑然と這っているらしかった。人工芝のようなもので敷き詰めてあるが、溝のようにグレーチングが嵌め込んである部分もあった。
秀次はVRのシステム専用のスペースを作ったわけではなく、有り合わせの場所に急遽組み上げられたものだろうと見当を付けた。
「遠野さん、ご紹介します。当プロジェクトの主任研究員のチャールズ・葉山です」
ぼんやりと装置を見つめていた秀次は、海老原の声に振り向くと、いつの間に現れたのか、背の高い眼鏡の男が立っていた。隣に並ぶ海老原が肩くらいしかない背の高い男だった。
「チャーリー、葉山です。よろしくおねがいいたします。遠野さん」
チャーリーと言い直して笑顔で手を差し出した。
「あ、遠野秀次です。宜しくお願い致します」
握手しつつ秀次が挨拶する。笑うと細い目が糸のようになる。名前からすると日系なのか、どことなく東洋系の面立ちにもみえるが、目の色は鳶色だった。若干、英語訛りが感じられるが流暢な日本語。
「VR探査システムプロジェクトへようこそ。ウェルカム! です」
笑って手を強く握り返すチャーリーに、秀次はただ、はあ、と声を出しただけだった。
どこかわざとそうしているような、芝居がかった様子が、名前も相まって胡散臭い人物に秀次には思えた。
「あの、VR探査システムというのは?」
ろくに仕事の内容も聞いていない秀次は、チャーリーの言葉を聞きとがめた。並んで立つ二人を交互に見る。
「ああ、VR探査システムというのは……」
「そうそう、まだマリーを紹介していませんよ」
海老原の言葉を遮るように、チャーリーが歩き出した。海老原は少し困ったような顔で秀次を見ると、続いて歩き出した。秀次も続いた。
一段高くなった球形の装置へ向かうと、手前の左側に数人スタッフが張り付いて、装置にはトレーニングウェアの少女がシートから足を下して横に座っていた。
「マリー、調子はどうですか?」
「チャーリー。今日はこれで終わりなんでしょ?」
マリーと呼ばれた少女は、ロビーで秀次が見かけた金髪の少女だった。立ち上がるとトレパンをぱたぱたと叩いた。
「そうでした。今日は無理を言ってすみませんでしたね。そうそう、今日からあなたと同じVRパイロットになる人を紹介しましょう。ミスタートオノ?」
急に妙なアクセントで呼ばれて秀次は狼狽えた。チャーリーは張り付いたような笑顔だった。
「あ、えー、遠野秀次です。よろしく」
「ふーん。マリーです。こんにちは」
マリーは軽く頭を下げた。
「もう行ってもいい?」
今度は海老原を見て、横を指さした。海老原が頷くと、さっさと歩いて階段を下りて行った。
「教授、先ほどのマリーのデータですが」
「ああ、確認しましょう」
スタッフに声をかけられたチャーリーもすたすたを歩み去って行った。後には茫然とした秀次と海老原が残された。
「徐々に紹介するつもりだったんですが、なんだか慌ただしくてすみませんね」
海老原がすまなそうに苦笑いした。
「いえ」
「では、あちらで、これから行っていただく作業について、ご説明いたします」
東都エレクトロニクスで開発されたVRシステムは、提携しているADCS社を通して、月面でアメリカの宇宙開発企業連合PASD(Pan American Space Development)が行っている観測機器を操作する際の手段として使用されていた。月と地球の距離だと約2.6秒のタイムラグがあるが、急な動きを要求されることもほとんどないため、タイムラグの問題もあったが、地球上から直接操作できることも有用だと見做されていた。
「その月面の探査機を私が操作するんですか?」
海老原の話を聞いて秀次が訊ねた。
「そうです。テスト機になりますが。アメリカで使用しているのは光学式ですが、こちらで扱って頂くのはブレイン・マシン・インターフェースの新型です」
会議室として使っているらしい部屋で、海老原がスクリーンに資料を表示しながら説明していた。横の窓からは、半球形の装置が見えている。秀次はそれをちらりと横目でみると、ここまで蟠っていた疑問を口にした。
「私が東都エレクトロニクスでやっていたのは、新しく作られたVRシステムの動作検証という作業でした。ここで行うのは、すでに実用段階のもののβテストということでしょうか?」
海老原は、ほんの少し眉根に皺を寄せて、困ったような笑顔を見せた。
「実をいいますと、こちらにお呼びしたのは、VRシステムのテストを行っていただくためだけではありません」
「どういうことですか?」
「そうですね……。 本来なら、統括リーダーの笹山も交えてちゃんと説明したいと思ったのですが、君に任せますと、昨日あっさり言われてしまいましたし、私から、説明します。これから言うことは、業務上の機密事項で、所属会社にも他言無用でお願いいたしますね」
少しくどくどしく海老原は言った。嫌な役目を押し付けられたとでも言うような顔だった。
秀次は後で知ったが、海老原はADCS社の日本支社から出向している、このプロジェクトの日本側の現場責任者という立場だった。VRシステムを運用している企業連合PASDではアドバイザーという肩書のチャーリーとは違い、ほぼ雑用係と言ってよかった。プロジェクト全体を統括するリーダーは東都エレクトロニクスから出向の社員らしいが、現場に顔を見せることはめったに無いらしかった。
「これから行っていただくのは、VRシステムによる宇宙空間での探査機の遠隔操作になります。VRパイロットとチャールズが言ったのはそういう意味です。そして、それに遠野さんが選ばれた理由ですが。何か、思い当たることは?」
秀次は唐突に言われても思い当たる節は無い。VRシステムでの作業経験など、無くても影響なさそうなこれまでの展開だった。
「特に思い当たることもありません。東都エレクトロニクスでテストを行った人は4、50人いたはずですが、選ばれたのは私だけなんですか?」
「ええ。そうです。テストは1回だけでなく何度も行われていて、数百人が対象になりました。実は、テストを行っていたのは日本だけではなく、米国含め数か国で、延べ数万人が対象となっていました。ですが、こちらの望む適性を備えた人は、遠野さん、貴方だけでした」
「適性?」
「はい。宇宙空間にある機器を操作するとして、どいう言ったことが問題になると思います?」
「問題ですか」
秀次には何のことだか分らなかった。
「遠隔操作ですから、こちらか動作を指示して、機器が反応し、その結果を機器からこちらへフィードバックする。こういう行程になります。距離が短ければそれは問題になりませんが、宇宙空間ですと、そう簡単にはいきません」
「タイムラグ、ですか」
「そうです」
「それと、私の適性でしたっけ、どういう関係があるんですか?」
「東都エレクトロニクスでのテストには、地球上の装置で可能な限り遠隔地になるものが含まれていました。ごくわずかですが、タイムラグが発生するようなものです。それをテスターにテストしてもらって、タイムラグをチェックしたのです」
「それなら、誰がやっても同じになるんじゃないですか?」
「そのはずですが、タイムラグが発生しない、コンピュータシミュレーションと同じような反応をした人がいるんです」
海老原が表情のない顔で秀次を見つめる。
「まさか、それが私だと?」
「そうです。VRシステムへ送られるデータは、1/10秒ほど遅れているはずでしたが、貴方の反応はそれよりも早かったのです。どうしてそうなるのか、まだわかっていませんが、それが非常に有用なのです。宇宙空間という遠隔地では。これから行っていただく任務でも」
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