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#人生
母の話 -ハゲタカのぬいぐるみ-その⑦
【前回-その⑥-】
[25]病院には入らなくていい
母が亡くなりました。最後の面会から二日後、2024年4月5日のことでした。
朝10時過ぎに兄から連絡がありました。「もはや血中の酸素濃度が測れなくなってるらしい。呼吸器が追いつかない。」僕は仕事を切り上げるために、会社の人たちに引き継ぎをお願いしていました。もう何回も急に休んだりしているのに、皆、優しく対応してくれました。
ようやく会社を
母の話-ハゲタカのぬいぐるみ-その⑥
【前回-その⑤-】
呼吸器をつけ、瞳を動かすことしかできなくなった母との面会の話です。僕はまた、子どもの頃の母との思い出を携えて病院へ向かいました。
[22]二度目のぬいぐるみ
翌日も病院へ行き、呼吸器をつけた母の瞳をじっと見つめていました。言葉を交わさず、そっと、自分のリュックから、倒れる前の母が編んでくれた巾着を取り出しました。僕の好きなドラえもんのお腹を模した巾着で、母からもらう最後
母の話-ハゲタカのぬいぐるみ-その⑤
【前回-その⑤-】
面会の度に容態が悪化する母。分かっていても受け入れ難い現実から目を背くように、在りし日の母の幻影を求めて街を歩く話です。
[18]現実
春が近づいてきた3月上旬にようやく予約が取れ、3週間ぶりに母の元へ面会に行きました。病院までの道のりは、自分が小中高と過ごした街を通るために90分かけて歩いて向かいます。毎回少しずつ道を変えて、色々な思い出を呼び起こしながら歩くようにして
母の話-ハゲタカのぬいぐるみ-その④
【前回-その③-】
癌との闘病中に倒れ、寝たきりになり余命半年を宣告された母。面会を繰り返すうちに余命宣告から三ヶ月が経ち、小康状態が続いていたものの、少しずつ変化が訪れてきた話です。
[14]最後の15分かもしれない
転院先の病院は面会の予約が取りにくく、面会時間も15分に制限されてしまいました。加えて年始の仕事の繁忙期、諸々の影響で、年が明け2024年になってからなかなか母に会えずにい
母の話 -ハゲタカのぬいぐるみ-その③
【↓前回-その②-】
二回目の母との面会では、少し会話をすることができました。癌で余命半年を告げられた母は一体何を考え、毎日過ごしているのでしょう。面会に行くたびに病状が目まぐるしく変化する母の話です。
[10]死と向き合うということ
母とは一日一時間しか面会ができません。帰り道、面会時間以外の母を想像していました。動くことも満足にできず、声を出すこともできず、テレビのチャンネルも変えるこ
母の話 -ハゲタカのぬいぐるみ-その②
【↓前回:その①】
癌の闘病中に自宅で倒れた母。そのまま病院へ運ばれ、脳の放射線治療を経て寝たきりとなり、余命半年を宣告されました。
倒れる前まで普通にやりとりしていた母は、病院で面会した時にはもう起き上がることも、ほとんど話すこともできませんでした。そんな面会後から話は続きます。
[5]ミートソーススパゲティ
面会が終わり自宅に帰ってから一人、病室での出来事を反芻していました。この数週
母の話 -ハゲタカのぬいぐるみ- その①
2024年4月5日、59歳で母が亡くなりました。
普段連絡を取らない兄から数年ぶりに着信があり、仕事終わりファミレスに呼び出された僕は、そこで母の肺と胃に癌が見つかったこと、そして現在の病状を知らされました。兄は額に手を当てて涙を流していました。それは2022年秋の話でした。
母の病状を知っても、僕はまさか母が亡くなるなんてこれっぽっちも考えていませんでした。闘病はしているものの、のんびり