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母の話-ハゲタカのぬいぐるみ-その④


【前回-その③-】

 癌との闘病中に倒れ、寝たきりになり余命半年を宣告された母。面会を繰り返すうちに余命宣告から三ヶ月が経ち、小康状態が続いていたものの、少しずつ変化が訪れてきた話です。


[14]最後の15分かもしれない
 転院先の病院は面会の予約が取りにくく、面会時間も15分に制限されてしまいました。加えて年始の仕事の繁忙期、諸々の影響で、年が明け2024年になってからなかなか母に会えずにいました。時折りショートメールを送って他愛もないやりとりをするものの、面会に行けない自責の念に駆られていました。
 2月に入り、残業を終え会社を出た途端兄から連絡が来ました。「おかん、今まで自力でご飯食べてたけど、癌が肝臓に悪さしてるのか、食べられなくなっちゃったみたい。今は点滴やけど、自力で食べられなくなってしまったらもう長くはないかも。」そう話す兄の声を聞いてすぐに会社に蜻蛉返りしました。「すみません、明日面会に行くので午後から半日休ませてください。」
 無理やり譲ってもらった病院の面会枠と、なんとかこじ開けた半日を使って兄と一緒に母の元へ向かいました。病院の面会時間は15分間ですが、もしかしたらこれが、生きている母に会える最後の15分かもしれませんでした。


[15]思い出の谷町線
 翌日早々に仕事を片付け、電車に飛び乗りました。病院へ向かう電車の中で、この15分をどう使うか考えていました。が、どう考えても足りないし、どう使っても後悔するので、なるべくいつも通りにしようと思いました。母のいる病院へ向かう谷町線は、尽く母との思い出の地をなぞって走りました。
 10年近く母と住んでいたマンションがある平野駅や、母が長い間働いていた駒川中野を過ぎ去っていく間に、幾つも眼前を思い出が通り過ぎていきます。また泣きそうになりながら、でもいつも通り居ないといけない気持ちの間で揺れ続けていました。
 程なく兄と合流し、母のいる病室に入りました。母はやはり寝たきりでしたが、前回会った時とさほど変化はなく、何より目に宿った力が変わりないことに大きな安心感を覚えました。
 僕はなんとなく、母の瞳をずっと気にしてきました。癌が判明した当初も、神経痛でまともに歩けなくなった時も、そして余命が宣告された後も、どれだけ髪も抜けて骨と皮だけになっても、母の瞳にはずっと生気が満ちていて、今日も全然その生気は消えていませんでした。恐らく今日が母と会える最後の15分じゃないな、と直感的に理解できました。



[16]15分の使い道
 「年末からなかなか来られへんくてごめんなぁ。ところで、大晦日だよドラえもん観た?」と開口一番母に話してみると、母は大きく笑っていました。
 この言葉は、去年末にした僕との会話を覚えているか、母は笑顔になる余裕があるか、を確認する観測気球のようなものでしたが、眉間に皺を寄せながらくすくす笑う母の姿を見て、思わず僕も笑顔になりました。ひとまずは、とりあえずは、大丈夫そうでした。
 テレビ電話も付け、母の妹二人もスマホ越しに会話に参加しながら、他愛もない話をしている内に面会時間が過ぎてもしばらく病室にいました。思い返せばあの場にいた全員が「いつも通りいること」に必死だったと思います。
 家に帰ると文字通り一気に力が抜けて、しばらく何もできずひとり椅子にもたれかかっていました。僕は昨日の兄からの「母はもう長くないかも」の一報でかなり動揺していました。絶対に買うもんかと思っていたのに、会社からの帰り道もぎ取るように購入した黒無地のネクタイをリュックに入れたまま、母と面会していたことに気がつきました。とりあえずネクタイをタンスに仕舞いました。

[17]だらだらしたい
 面会に居た僕も、兄も、母の妹二人も、「母ができる限り長く生きてくれること」というものを願いながら話していました。そこになんの穿った考えはなく、真にそう思っていました。
 でも本当は、欲を出すならば、僕は母に「晩御飯作ってよ、久しぶりにミートソーススパゲティ食べたいわ」と甘えたかったのです。換気扇近くでタバコをふかしながらストロング酎ハイを飲む母と、誰かの悪口をだらだら言い合いたかったのです。それは後悔ではなく、ただただいつまでもそういうことを繰り返したかった気持ちがありました。
 数ヶ月前まで自由に動けていたのに今は寝たきりになってしまった母。年末に「家に帰りたいわぁ」としきりに言っていたのが、母の気持ちの全てなんだろうなと考えていました。当たり前のように過ごしてきた「家でだらだらする時間」を突然奪われたことが、癌になったことより余程ショックなんじゃないかと感じていました。
 母は生きたいというよりは、家でだらだらしたいだけじゃないかな。面会が終わってからは、そんなことを家にいても、仕事をしていても、頭によぎり続けていました。

(続く)

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