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母の話 -ハゲタカのぬいぐるみ-その③


【↓前回-その②-】

 二回目の母との面会では、少し会話をすることができました。癌で余命半年を告げられた母は一体何を考え、毎日過ごしているのでしょう。面会に行くたびに病状が目まぐるしく変化する母の話です。



[10]死と向き合うということ
 母とは一日一時間しか面会ができません。帰り道、面会時間以外の母を想像していました。動くことも満足にできず、声を出すこともできず、テレビのチャンネルも変えることができず、景色も変わらずただただゆっくり流れていく時の中で、訪れる痛みと共に母は何を考えるのでしょう。どれだけ逃れようとしても眼前の死が大きくなったり、調子のいい日はほんの少し小さくなったり、一日中ずっと、死と真正面から向き合わなければならないのです。
 ただただ真正面から死と向き合う。これを母は今、毎秒繰り返しているのです。鬱陶しいかもしれないけど、エゴで面会にやってくる息子が、一時間だけ死を忘れるために役立てばいいのだけれど、と考えていました。
 また、この頃から「喜捨」という概念をよく意識するようになりました。母の医療費は兄と折半していましたが、お金の心配が勝つくらいなら自ら喜んでお金なんて捨ててやる、それで人生最大の推しである母親が少しでも健やかに暮らせるなら。そう考えていました。価値観の変化を自分の中でも少し、感じていました。




[11]吐血
 次の面会に行こうと思っていた日の朝、母が吐血したとの連絡が入りました。命に別状はないとのことでしたが、気が気でないまま仕事を切り上げ、病院へ向かいました。吐血の連絡を受け、母の妹二人も病院に行くというので合流し三人で病室へ入ると、思ったより普段通りの母がそこには居ました。
 「血ぃ出て驚いたなぁ」「怖かったなぁ」と話す母の妹に、母は何度も頷いていました。最初の面会から三週間、当初会話すらほぼできなかった母でしたが、随分コミュニケーションが取れるようになっていました。といっても起き上がることもできませんし、手足の痺れや痛みは相当なものらしいです。寝ている体制を少し変えるだけでも顔が苦痛に歪みます。しかしながら力弱い状態でも多少の会話ができる母に、勝手ながら安堵もしていました。
 母は「家に帰りたいわぁ」「クローゼットにあるしまむらのペラペラのジャンパー取りに帰りたいわぁ」としきりに話していました。僕もできることなら実家の部屋に寝転がる母を見たい。けれどそれは現状では相当厳しいんだろうな、と内心思っていました。しかし家に帰りたい欲求がある内は強いなとも、同時に感じていました。



[12]転院
 病院の事情というのは幾つかあるみたいで、放射線治療後一ヶ月で母は転院しなくてはいけませんでした。転院先の病院へ面会するために、2023年晦日の街を90分歩いて母の元へ向かいました。
 母は微熱が出ているようでしたが、先週よりも更にいつもの母でした。「近づかん方がええで。熱出てるから」といった母に「大丈夫。自分も先週38度の熱出たばっかりやから、免疫あるよ免疫。」といって笑い合いました。
 11月末に初めて母と面会してから一ヶ月。最初は話すこともできない、誰が話しているかも理解できていない、そして言葉も思ったように出てこない様子にかなりのショックと絶望を覚えていました。もう母と意思の疎通すらできないと思っていました。
 今目の前で微熱が出ているものの普通にやり取りできる母に、事態は良いとは言えないものの「あの時と比べたら」という安堵感がありました。母が戻ってきた感覚がありました。寝たきりではありますが一ヶ月でここまで戻るとは思っていなかった、この日の安堵は相当なものでした。
 「前の病院よりも、実家に近い病院になったやん。前より家に近づいてるよ。」というと母は笑顔で「な、ちょっとずつ家に帰ってんねん。」と言いました。「明日は大晦日だよドラえもんがあるから、ほら、テレビカード渡しとくね。」と言って母にカードを渡すと「あれ毎年やってんのな。」と笑いました。
 しっかりと自分でテレビのチャンネルを変えることができ、スマホも触れるようになっていたので、面会後にメールするとすぐに絵文字付きで返信がありました。僕は、母が入院する前にしたショートメールがもう最後のやり取りになってしまったと思っていたので、更新された嬉しさをこの上ないくらい噛み締めていました。


[13]母と過ごした街並み
 帰り90分歩いて帰りました。というのも病院から僕の家までの間に、母と暮らしていた当時通っていた学校や、住んでいたマンションがあるからでした。母と暮らした痕跡を、少しでも頭の中で再現したくてひたすら歩いていました。
 小学生の時怒られて家出して、この公園の土管の中にしばらくいたっけな。小学校近くの駄菓子屋さん、とっくに潰れてガレージになってるな。秘密基地にしてた公園近くの草木生い茂るこの空間、変わらずそのままあるんだ。昔住んでいたマンションのエントランスで、母に顔をハンカチで強く拭かれたよな。当時の思い出を今の景色と重ねて、街を歩いていました。
 街が小さくなっていました。通学路のこの通りも、パラレルワールドに繋がっているかもしれないと思っていたマンションとマンションの隙間も、どこもかしこも、小さくなっていました。
 街が小さくなったのは、僕が大人になっていたからでした。母と暮らしたこの近辺は変わらない箇所がそれなりにあるのに、自分の成長が経過した時間の長さを表していました。全ての隙間に母の思い出と、過ぎ去った時間の分厚い壁を感じていました。あの時の小さな自分は、母が今こうして死に直面しているなんて、一つも想像せずに愛を受けていました。

(続く)

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