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父が死んで、わかったこと

2020年10月24日、母の誕生日に、父が死んだ。
四十九日は、12月11日。その日は、父と母の50回目の結婚記念日だった。

母は「結婚した時に、この人のお葬式は盛大にするやろう」って確信したとも言うし、結婚した時から、いやその以前から、すでに父の死に様は決まっていたかのようだ。

父が死んだ時、母は怒った。「なんで死んだとね?!」と、覆いかぶさって泣いた。
私は、「人って悲しすぎたり寂しすぎたりすると怒るんだよなぁ。」と、冷静にその姿を見つめていた。

余命宣告を受けていたとは言え、父の死は突然だった。1年と言われた余命は、たった1ヶ月だった。入院して、手術を受ける予定だったのに、入院した翌日に倒れ、手術を受けることなく、そのまま逝ってしまった。
意識不明の連絡を受けた母は、病院に駆けつけた後、父の意識が戻ることをずっと願い続けていた。母は、父と話がしたかったのだろうなぁ。何を言いたかったのかわからないけど。

そして、母はずっと落ち込んでいる。一見元気だけど。父の話は避けたいようだし、「良いことばっかり書く日記を始めた」と言ってるし、気が紛れるからと仕事にも行ってるし。電話で話す限り、声に寂しさが滲み出ている。ぽつりと「胸の奥に重い石がある。」とつぶやく母は、「お父さんにこんな思いをさせなくてよかった。」と何度も繰り返す。

私は、びっくりしている。母の落ち込みっぷりに。

えっ??
そんなにお父さんのこと大事に思ってた?!
二人は愛し合っていた?!

と、びっくりしているのだ。

私の知っている父と母は、ほぼ会話がなかった。決して仲が悪いと思ったことはないけど、家族が唯一揃う食事中もほとんど喋らない父は、食事が終わるとさっさとテレビを見始めていたし、母はしょっちゅう父に小言を言っていた。休みの日も、一緒に何かすることはなく、それぞれに家の用事を済ませ、父は一人でふらりと出かけていた。母は行き先も知らなかった。極めつけに「離婚だけはしない」と、母は私に何度も言っていた。(母の両親が離婚していたから。)

そんな父と母の間にも、愛があったのだ。愛のような何か、かもしれないけど。

私は、四人姉妹の末っ子。40年前に生まれた四人姉妹の末っ子を、想像してみてもらいたい。「男の子が欲しかったんやね。」と言われることが、どんなに多かったことか。しまいには親戚の集まりで「堕ろしてもよかったんじゃ?!」という会話を聞いたりもして、私の自己肯定感は全く育たなかった。

父と母からも「愛されている」と実感したことはない。「おばあちゃんもお姉ちゃんもいたし。あなたを信頼していたから。」と後に母は言ったけど、私は完全に母から放置されていると思っていた。父と母の間にも愛は見えないし、男の子が欲しくてしょうがなく生まれた私なんだと、どんどんひねくれていった。

だから、父と母の間に愛のようなものを垣間見て、とにかくびっくりしているのだ。

なんだ。
私が長年抱えてきたわだかまりは、一体何だったんだ。
拍子抜けしたり、安堵したり。

40年かけて、私はようやく「自分」というものを獲得したと思っている。父と母の子育てのせいで、「自分」を粗末にしてきたとも思っている。全く育たなかった自己肯定感とやらのせいで、ずいぶん時間がかかったとも思っている。母に対して、恨みに似た感情を持ったことも、正直ある。自分の力で、母ともフラットな関係になり、夫との関係も緩やかになり、子どもと楽しく過ごすことができるようになったと自負している。

だから、父の死により、二人の間に愛に似た何かがあったと気づいても、何がどうなるというわけでもなく、ここから何か格言が生まれるわけでもなく、淡々と変わらない日々がこれからも続いていくのだ。

まぁ、でも、何か一つクリアした気分ではあるかぁ。

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