ひらかわひろこ

ひらめと呼ばれています。 9歳、7歳、4歳の三児の母で、小さな田舎の村に暮らす村人です…

ひらかわひろこ

ひらめと呼ばれています。 9歳、7歳、4歳の三児の母で、小さな田舎の村に暮らす村人です。地域づくり会社の代表兼POST GARDEN店主。 愛すべきドタバタな子育ての日々。子どものこと、母であること、家族のこと、自分の育ち、夫との関係、地域のことを深堀りして書いています。

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最近の記事

甘えたいの

今朝の出来事。 次男、小学2年生が、玄関でランドセルを背負っている。 夫が車で送っていくので、玄関の先にはエンジンのかかった車。 夫も小学4年生の長男も、車にすでに乗っている。 ランドセルを背負った次男がこう言った。 「母ちゃん、タブレットを車まで運んでー。」 えっ?!ランドセル背負ってるだけやけん、両手空いてるやん。 タブレットくらい持てるやん。 と思わなかった訳ではないけど、 「そうかそうか。甘えたいんやねー。」と返した。 次男からは、やたら元気で清々しい「うん

    • 「聴く」ということ

      聴いていますか?人の話を聴いていますか? 自分の話を聴いてくれる人はいますか? おしゃべり好きな方々は「イエス!」かもしれません。 これは、とある日の私の息子と夫の会話。 息子「僕の先生、バチカンに行ったことあるって。」 夫「父ちゃんも行ったことあるよ。」 さぁ、夫は息子の話を「聴いて」いるでしょうか。 息子「僕の先生、バチカンに行ったことあるって」 夫「へー。先生行ったことあるんだ。どうだったって?」 だったらどうでしょう。 「聴く」って受け止めたかどうか。

      • 楽しい子育てをしたい!受け取って愛!そんな「POST GARDEN」

        子どもと一緒に、気兼ねなくお出かけしたい。 外には遊べるお庭があって、冬は暖かく、夏は涼しい場所もある。もちろん、おいしいご飯と飲み物も。 子どもたちは、おもいっきり遊べて、お母さん(お父さんも)たちは、のんびりランチやお茶ができる。 遊んだ子どもたちは、帰りの車で寝ちゃうから、夕飯の買い物も済ませて車に乗せたい。簡単にできて、安心安全おいしい夕飯が買えたら、なお最高♡ そんな場所がPOSTGARDENです。 (ただいま、絶賛準備中!子どもたちとDIYしてます!) ▼

        • 子どもはかわいいけど、子育てはしんどい

          赤ちゃんを授かって、1人の女性から「お母さん」になった時。 こんなに愛おしい存在が世の中にあったのかと驚き、抱っこしているだけで涙が出るほど幸せ、というそれはそれは穏やかで温かい感覚を得た。 と同時に、基本的人権を失った。 寝れない。食べられない。トイレ行けない。お風呂入れない。 赤ちゃんが泣くから。赤ちゃんが泣いたら、すぐにでも泣き止ませたい。赤ちゃんが泣いている時、泣いてなくても泣くかもしれないから、そばから離れることができない。たった数分のトイレですら行くことが

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        • 父が死んだ
          6本

        記事

          いやいや、めんどくさいんだってば!!

          ほぼ毎日のペースでお送りしている我が家の風景。 だって毎日事件が起きるから。それが子育て中ってなもんだから。 というわけで、今日もお送りします。「我が家の風景」。 パン派の次男(小1)に、毎朝お願いされる朝食 ・パンの耳は切って ・白いところには、バターとジャムとはちみつを塗って ・切った耳はバターを挟んだサンドイッチに これを毎朝めんどくさいなぁと思いながら、朝からずいぶんカロリーも糖分も高いもの食べたがって嫌だなぁと思いながら、でもご機嫌で学校に行ってもらうためだと

          いやいや、めんどくさいんだってば!!

          ピザ食べたい

          「ピザ食べたいなぁ」 「いいねぇ」 「前に食べたピザおいしかったよね!」 「前に食べた?あ〜、あのピザ、おいしかったよね!」 「ド○ノピザでもいいや」 「ド○ノピザもいいね〜。ド○ノにはド○ノの良さがあるよね〜」 さぁ、誰と誰の会話でしょう? 友達同士だと、こんな会話になりませんか? じゃあ、自分の子どもに 「ピザ食べたいなぁ」 と言われたら、なんて返す? 自分もそんな気分だったら「いいねぇ」 夕飯の準備中だったら「え?!今から??無理!!」 そもそもド○ノピザ食べて欲

          ピザ食べたい

          大丈夫じゃないんだってば!

          今朝の出来事。 小学1年生になりたての次男。いつもよりのんびり起きてきて、学校の準備中、宿題が終わってないことに気づき、「今からやるー!」と。朝ごはんはお弁当に入れてくれと。通学は夫が車で送迎なので、車の中で食べるからと。 次男は、自分の世界がちゃんとあり、自分のペースややりたいことを乱されるとパニック状態になるので、彼のペースを守ることを心がけている。朝、一番大事なことは、ご機嫌に学校へ行ってくれることだから。しかも、彼のペースに任せていれば、なんだかんだ上手くいくのだ

          大丈夫じゃないんだってば!

          ミッションは「ありのまま」

          人生のミッションにぶち当たった。これが私のミッションだ。子どもたちを「ありのまま」に育てること。その傍らにいる大人たちも「ありのまま」でいること。 「ありのまま」ってなんだ?思ったことを素直に言えて、無理せず好きなことをして、誰にも遠慮しないで、ただ存在することが嬉しくて、誰の存在も受け入れて。 急に大きな話になるが、世界平和を祈っている。環境の保護もしたい。子を持つ母として、それは切実な願いだ。戦争のある世界に子ども残して死ねないし、年々暑さが増す夏の異常さには不安ばか

          ミッションは「ありのまま」

          父が死んで、わかったこと

          2020年10月24日、母の誕生日に、父が死んだ。 四十九日は、12月11日。その日は、父と母の50回目の結婚記念日だった。 母は「結婚した時に、この人のお葬式は盛大にするやろう」って確信したとも言うし、結婚した時から、いやその以前から、すでに父の死に様は決まっていたかのようだ。 父が死んだ時、母は怒った。「なんで死んだとね?!」と、覆いかぶさって泣いた。 私は、「人って悲しすぎたり寂しすぎたりすると怒るんだよなぁ。」と、冷静にその姿を見つめていた。 余命宣告を受けてい

          父が死んで、わかったこと

          父が死んだ 5

          2020年10月24日、父は病院で息を引き取った。 父は、葬儀屋さんと共に自宅に帰ってきた。仏壇の前に寝かされ、絶やしてはいけないと、ずっとお線香が焚かれていた。その傍で母と姉と父の従兄弟達が、葬儀の相談をしていた。私は、子ども達と共に父の横に座り、そっと顔を見た。子ども達は「おじいちゃんの写真を撮ろう。」と言った。私は、「死んだ人の顔は心の中で覚えておこうね。」と返したが、本当に父の最期の顔をいつまでも覚えているだろう。病院にいた父はまるで別人のようだったが、人工呼吸器を

          父が死んだ 5

          父が死んだ 4

          父の危篤の連絡を受け、病院に着いたのは2020年10月23日の早朝だった。 ICUのベッド上の父の顔を見た後、姉②と姉③のいる病院近くのホテルに部屋をとり、ひとまず休憩した。一晩中運転していた夫はもちろん、私もあまり眠れず疲れていた。狭い車の中であまり眠れなかったはずの子ども達は、いつもと変わらず元気だった。甘いものを食べたがり、私の膝の取り合いをし、大きな声で喋った。近くのコンビニでおにぎりやサンドイッチを買い込み、朝ごはんを食べた。ジュースやお菓子も買い与えた。その間に

          父が死んだ 4

          父が死んだ 3

          2020年10月22日。父が危篤と連絡を受けて、急いで病院に向かった。 車で約10時間の道のりを、少しの休憩だけで、夫がずっと運転してくれた。そのおかげで、22時に家を出た私達は、次の日の5時過ぎには病院に着いた。駐車場を探す夫に、病院の入り口で降ろしてもらい、父の元に急いだ。だが、ICUにいる父は処置中とのことで、すぐには会えなかった。なんだか拍子抜けした私は、ひとまず母と姉が待機している家族室ということろに案内された。戸を開けると、6畳くらいの和室に母と姉①がいた。毛布

          父が死んだ 3

          父が死んだ 2

          2020年10月24日に父が死んだ。最後に会ったのは、その一年前だ。 父は、もともと無口な人で、いわゆる昭和のお父さんそのもので、娘に電話をかけるような人ではなかった。でも、私とは時々電話で話した。「大雨が降ってるみたいだけど、大丈夫?」とか「誕生日おめでとう。」とか、他愛もない、だけど温かい家族の会話だった。10月6日は、父の誕生日だ。毎年、誕生日には電話して「おめでとう」を言い合っていたのに、2019年の誕生日はバタバタしていて電話できず、それから一年間、なんとなくお互

          父が死んだ 2

          父が死んだ 1

          2020年10月24日、父が死んだ。その日は、母の誕生日だった。母にとって、誰からも「おめでとう」と言われない初めての誕生日だっただろう。 始まりは一本の電話だった。10月22日の夜9時頃、3人いる姉の内、姉②から電話がかかってきた。ふだん、そんなに連絡を取り合う家族でもないし、姉②からの電話は覚えている限り初めてだったし、夜の9時に電話かかってくるなんて、プルプル鳴るスマホの液晶に姉②の名前を見た瞬間、何かしらの予感はあった。電話の向こうの姉②は、涙声だった。「あのね、お

          父が死んだ 1