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【起業日記①】天職との出会い、何でボイストレーナーになったのか|明石ボイストレーニング・ボーカルスクール

可愛い可愛い生徒たち


今日は、ずっと転職を繰り返しながらサラリーマンとして働いていた私が、どんな経緯で何でボイストレーナーになったのかを書きたいと思います。


まず第一に、私はボイストレーナーというこの仕事が大好きで、誇りに思っているし、天職だと思っています。


毎日毎日こんな大好きな音楽に携わりながら大好きな仕事ができて、本当に幸せです。


ただ、ここに至るまでは本当にフラフラしていたし、どうしようもないくらい仕事が続かなかったし、

毎日毎日
「私は何してるんやろう…」って悩みまくってました。


まじで辛かった。


このnoteは私にとって、
この先ボイストレーナーというキャリアが長くなっても、

ずっと感謝の気持ちとか

この仕事を始めた時の初心の気持ちとかを

忘れないようにするための忘備録なのですが、


今自分のやりたいことができてないと感じて悶々としている方や、

これから自分はどうしていきたいのか分からない、何ができるのか分からないとか、


そうやって悩んでいるどこかにいるこの記事を見てくれているあなたが、

何か少しでも勇気付いたら嬉しいなと思って書きます。


まず、私の音楽との出会いは3歳の時でした。


母が韓国で演歌歌手をしていて(트로트:トロット)、日本でトロットをやるために韓国から日本に渡って来て、そこで父と出逢って私が産まれました。


父は宿泊施設を経営してて、そこによく健康ランドとかにあるような誰でも歌えるステージのある宴会場があって、

歌を歌っていた母の影響もあって、3歳の時からマイクを持って歌って大人たちを喜ばせていました。笑

3歳の私


今思えば、3歳の時にそんな経験したらそりゃあ歌好きになるよな〜とか思うんですが、音楽との出会いはそうやって始まりました。


それから音楽が大好きになって、小学校に入ったら鼓笛隊に加入してトロンボーンを吹くようになりました。


しかも私が通っていた小学校は、フツーの公立の学校でしたが先生が神的な先生で(今でも先生との同窓会があるくらいみんな大好きな先生)、

授業中ピアノ弾いてくれてみんなで好き好き大声で歌ったりしていたような幼少期を過ごしました。


楽しかったなー。


あの時の純粋な“楽しい”という原体験が、今もずっと続いてるんだと思います。


音楽をしている時が一番自由になれた。

一番自分らしかった。


音楽をしている時の自分が好きでした。


そして中学校に上がり(中学は特に音楽と関わりはなくなってしまって勉強ばっかしてた)、


高校であんまよく覚えてないけど多分何となく参加した軽音楽部の体験で、たまたまギター2人、ドラム1人、やりたいって子と出逢って

じゃあ入部しよ!♪

ってなって高校3年間はバンドに明け暮れました。


まさかのベースがおらんかったから未経験でベースボーカルをやるという、
まじで大変でしたが笑、
最高に楽しかった青春の時期を過ごしました。


かろうじて残ってた写真(笑)
ライブの体育館のステージからの景色



女子4人のガールズバンドで、とても真面目とは言えない笑、部活動でした。


スタジオまでの行き帰りに口でエアーバンドしたり笑、部室来て練習しなあかんのに食べて喋ってばっかりやったり笑


でも本当に恵まれた環境で、

後にメジャーデビューしたBrian the Sunの先輩からは音楽センスを吸収できたし、


先輩に片想いして撃沈したり笑


生徒会の文化祭委員長もやったり、

とにかく学校生活も部活も勉強も恋も、全部全力で楽しみまくってた3年間でした。


一番左


そして卒業して、死ぬほど勉強頑張って受験して入った大学ですが、


そこでもバンドやろうかと悩んだけど、
私の中では高校で組んだバンドメンバー以外は考えられなくて、

大学では特に音楽をやらず、バイトに明け暮れた日々を過ごしていました。


その時のバイトの経験が今にも繋がってますが、河合塾や東進衛生予備校でチューターという進路指導をする受験生のメンター的なアルバイトをしてました。


河合塾時代
東進時代


この時からうっすら仕事のやり甲斐に気付いた、大事な時期だったと思います。


アルバイト代とかどうでも良くて、

時間外無視して生徒と話したり、


受験当日は交通費も時給ももちろん出ないけど、生徒の受験大学まで行ってキットカット渡して鼓舞しに行ってたなぁ。


その頃から、“教育”が大好きだったんだと思います。

私の場合、“教育”っていうか、“共育”かな。

共に、成長する。


そんな学生時代を過ごして社会に踏み出していくのですが、そこからが私の迷走期の始まりです。


ウェディングプランナー

社長含め3人のベンチャー企業

法人営業

副業でボイストレーナー


というキャリアを歩むのですが、その辺りはまた別の機会に詳しく話すとして、

とにかくボイストレーナーを始めてみるまでは毎日仕事に行くのが苦痛で苦痛で。


もちろん楽しい時もあったのですが、

何より自分を活かしきれてないような、そんな気持ちがずっとありました。


「何か自分のいるべき場所はここじゃない気がする」


そんなことをずっと思ってました。


夢中になれないことが苦しかった


頑張ろうとしても心が追いつかず…


自分を騙し騙し頑張った結果、

27歳の時に適応障害になりました。


朝起きたらベッドから起き上がれない。

身体が動かない。


直感で、
「あ、何かただの体調不良じゃないな」と察し、


しばらく休養しました。


当時は自分のアーティスト活動をしながら、Apple Storeで働いていたので、Appleはその日を機に退職。


アーティスト活動も休止。


でも、その時副業でシアーミュージックでボイストレーナーとしてのキャリアをスタートさせていたのですが、

ボイストレーナーの仕事だけは行けたんです。


今思っても不思議ですが、

休養時期は音楽を聴くのも嫌になって、
歌うのも聴くのも一切辞めていたのですが、


ボイストレーナーの仕事だけは行くことができました。


音楽を通して、目の前の人が自由になっていく姿や、自信に溢れていく姿を見ることで、自分も満たされてたんだと思います。


だから、自分自身が音楽をやることはその時は受け入れられなかったけど、

誰かを音楽を通してサポートすることは何も苦ではなかった。



無理なくできたんだと思います。



散々転職したことがあるから思うけど、モチベーションよりも私は“無理なくできるか”の方が大事なように思います。


無理なくできないと、続かないもんね。


今思えば、適応障害という経験をしたお陰で、

自分らしく働くきっかけと勇気をもらえたし、

日々生徒と向き合う中で、本当の自分を塞ぎ込んで自信をなくして自分と同じ思いをさせたくないと思うし、

そうならないように生徒の個性や自信を大切にしたいと思えることができている。


ほんと、全ての経験と出逢いに感謝です。


そして、ボイストレーナーを本業にしようと色々活動してきて、今に至ります。

その辺りの話はまた別の機会で。


ここまで読んでいただきありがとうございました。

👋

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