松下幸之助と『経営の技法』#242
10/14 偉くなればなるほど
~人間は本当に偉くなると、頭と腰が低くなる。会社も大きくなるほど、そうありたい。~
これは古い言葉ではありますが、実るほど頭が低くなる稲穂のことを称えたうたがあります。人間が偉くなればなるほど、それだけ懇切丁寧になるもので、なまじっかの偉さでは逆に肩ひじを張って尊大に構えるけれども、本当の人間ができてくると全く腰が低くなって頭が下がってくるのだということだと思います。
それと同じように、会社が大きくなればなるほど、社員の態度というものは懇切丁寧になり、頭も低くなってきて、皆をいたわれるようにならなければならないと思います。そういう状態にならないと、その会社の尊厳というものも保てるものではありません。
会社がちょっとうまくいくと、さもそれを誇りにして尊大に構え、不親切になり、懇切さを欠くということであれば、やがてはその姿に社会のムチというものが与えられてくると思います。
(出典:『運命を生かす』~[改訂新版]松下幸之助 成功の金言365~/松下幸之助[著]/PHP研究所[編刊]/2018年9月)
1.内部統制(下の正三角形)の問題
まず、社長が率いる会社の内部の問題から考えましょう。
「実るほど首を垂れる稲穂かな」という言葉については、10/1の#229も触れており、そこでは主に経営者の意識など、ガバナンスについて検討しました。
ここでは、社員の態度を問題にしていますので、特に内部統制の問題を中心に、検討します。
すなわち、会社が大きくなるほど、従業員の態度が尊大になるのではなく、逆に、懇切丁寧、頭が低い、皆をいたわれる、という状況になることが必要と言われています。
簡単そうで、これが実は難しいということは、10/1の#229でも検討しました。従業員の求心力を高めるために、従業員の自信や会社に対する忠誠心を高める必要があり(そのことは、9/18の#216で、具体的に言及されています)、そのことによって従業員が尊大になってしまう危険があるからです。しかも、会社が大きくなって従業員の数が増えるほど、会社の目が届きにくくなるうえに、確率的に見ても母数が大きくなりますので、それだけ尊大な従業員が発生する可能性が高くなります。
けれども、従業員1人ひとりの言動が、会社を代表するものとして受け止められます。しかも、会社が大きくなると従業員の数も増え、それだけ多くの従業員が社会に接触することになります。そこで、あの会社の従業員は尊大だ、という評判が立ってしまうと、会社に対し「社会のムチ」が与えられてしまいます。
つまり、会社が大きくなるほど、尊大な従業員が発生しやすくなる一方で、そのことによるリスクも大きくなります。したがって、会社が大きくなるほど、従業員教育の必要性が高くなるのです。
2.ガバナンス(上の逆三角形)の問題
次に、ガバナンス上の問題を検討しましょう。
投資家である株主と経営者の関係で見た場合、経営者を選ぶ際に参考にすべき経営者としての素養を、松下幸之助氏の言葉から読み取りましょう。
ここでは、従業員の「尊大さ」や「謙虚さ」を問題にしていますが、それは、当然経営者にも求められる資質です。経営者が尊大なときに、従業員は、仮に社内で顔色をうかがって謙虚な態度を取ったとしても、社外で同じ態度を取るとは限りません。むしろ、社内で押さえつけられている分、社外では尊大な態度を取る従業員が少なからず発生する可能性が高いと思われます。
松下幸之助氏は、経営者が自ら範であるべきということを述べていますが、そこにはこのような点に対する配慮もあるはずです。
つまり、株主が経営者を選ぶ際には、経営者に悪い意味での二面性がないことも、素養として考慮すべき重要なポイントでしょう。
3.おわりに
松下幸之助氏は、「尊大さ」に対する社会のムチに言及していますが、実際に社会のムチを受けたと感じたことがあるのでしょうか。「与えてくれると『思います』」という表現で、曖昧にしています。したがって、氏自らは社会のムチを受けていないのかもしれません。
けれども、謙虚さについての言及も多く見られ、そのことの重要性を実感したことも何度かあるようにも見受けられます。
どう思いますか?
※ 『経営の技法』の観点から、一日一言、日めくりカレンダーのように松下幸之助氏の言葉を読み解きながら、『法と経営学』を学びます。
冒頭の松下幸之助氏の言葉の引用は、①『運命を生かす』から忠実に引用して出典を明示すること、②引用以外の部分が質量共にこの記事の主要な要素であること、③芦原一郎が一切の文責を負うこと、を条件に了解いただきました。
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