マイノリティでいることに疲れた時に考えたいこと

同じ日本人というご縁で、ダートマス大学病院のがんセンターで医師をされている白井先生にお世話になっている。白井さんは、場所柄日本人の患者さんもほぼいない中、日本人カードを切らずにアメリカで勝負し、しかも5年連続でNH州のTop Doctorとして表彰されている方。いつも示唆に富んだアドバイスをいただいている。昨日の朝、散歩をご一緒しながら、白井さんの処世術を教えていただいた。

20年、英語も完璧でない中、アメリカでマイノリティとしてどう信頼を得られるかを考えてきた。診察時間の外で患者さんの病室を訪れて点滴の効きを確認したり、お子さんのケアが必要なパートナーの方に代わって救急車に乗って患者さんを自宅まで送り届けたり、自分でも意識しないくらいのほんの少しの歩み寄りが信頼に繋がってここまでやってこれた。マイノリティであるが故に、他の医師よりも患者さんの痛みに敏感でいられたことは大きいと思う。

思い返せば、ほぼ同質な環境の中で過ごしてきた自分にとって、バックグラウンドや考え方の違う人たちの集団の中に所属することは大きな変化だった。東海岸らしく、ローカルな白人を中心とした大きなマジョリティグループがある中で、自分がコミュニティの中にどうポジションを取るかというのは切迫した課題であり続けた。まあ苦しい思い、悔しい思いも、恥ずかしい思いもたくさんした。自分がマイノリティであることを痛感するような出来事に傷つくこともあれば、出自にプライドを持っている人を自分の無知から傷つけてしまったり。

ただ、マジョリティ、マイノリティ両方の立場のコントラストを身をもって体験する立場になって、普段の自分を出せない人の痛みや、そこから勇気を持って踏み出してうまくいった人の喜びに敏感になった。自分が苦しい思いをしてきた分、そういうシーンを目にした時には声をかけて気遣ったり、時には誰かのために声をあげたりすることができるようになった。

DEI先進国なはずのアメリカに来て意外なのは、人生ずっとマジョリティグループにいて、マイノリティの痛みに鈍感な人が多いこと。彼らのホームに飛び込む留学生や移民にとって、これは大きなリスクでもありチャンスでもあると思う。最初の苦しみから目を背けてしまい、日本の方がいいやって殻に閉じこもって過ごす人もいれば、マイノリティであることを隠してできるだけマジョリティに同化しようと、自分の痛みに気づかないふりをして過ごす人もいる。もちろん人の経験の良し悪しはそれぞれ、他人がジャッジするものではないんだけど、その悩み苦しみの先には、同じことに悩んでいる人がたくさんいて、彼らに手を差し伸べる側に回る機会が広がっていることに気づけると、コミュニティでの自分の立場も変えられるかもしれない。

冒頭の白井先生のお話、病院のリーダーポジションの面接では、公平さを保つために候補者の名前や出身大学などバイアスにつながる情報を全て隠した上で、「あなたにとってダイバーシティとは何を意味しますか?」という質問でそれぞれの「自分とは異なるコト、モノ、ヒトに対する寛容度」を見ているそう。

この2年間、いろいろな自分の頭や心の痛みがあったけど、これらから目を背けなかったのは本当に誇らしいと思っているし、これからこの地でサバイブする上で大きな自信と手応えを手にすることができた気がする。

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