万人恐怖 富士の旅⑤

このブログでは永享4年 足利義教の富士遊覧の旅路について色々と書いて参りました。今までは遠江~駿河の一部、今川領でしたが、今回は義教の駿河入りの前段階、尾張編です。

室町殿として京都に君臨しつつも東海地方にも縁の地が沢山あるのは将軍のフットワークの軽さと実行できるだけの権力を物語っているかのよう。

まずは、愛知県一宮市にある妙興寺。
こちらは義教が富士遊覧の際に立ち寄ったお寺です。本堂に掲げられている額は義教直筆だとか。

妙興寺

元々は足利義詮(1330~1367)の祈願所、後光厳天皇(1338~1374)の勅願寺であり、京都五山と同格とされたお寺。
勅使門には「国中無双禅刹」と書かれた額が掲げられていて、これは後光厳天皇から賜わった勅額だそうです。

勅使門

あの有名な足利義教肖像画は義教が富士遊覧で立ち寄った事。義教義政に所領安堵してもらった事などから義教への感謝と供養のために描かれたものだそうです。

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万人恐怖 富士の旅と題した記事は以前、違うブログサイトにて更新していた記事です。
今回、noteの方にお引越しをする為、当時の記事に若干、追加したものをアップしています。
今後も万人恐怖 富士の旅の続きをアップしていこうと思います。

また、それ以外にも今までに巡った史跡や最近勉強中の史料読みについてもぼちぼちご紹介出来たらと思います。

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