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それぞれの修学旅行事情〜mu編〜高校の巻


千世さんの「修学旅行事情」企画に参加させていただいています。主に、旅先で感じたことを書きました。よろしくお願いします。


それぞれの修学旅行事情〜mu編〜小学・中学校の巻はこちらから


 うちの家族は、旅行や外食はほとんどしない家庭でした。わたしは、高校になって、誘われるまま、友達の家族に混じって、スキーや旅行に行くようになりました。そこで、旅の面白さを知り、旅にも慣れてきて、ひとり旅をするようになりました。

 みんなと出かける旅も好きだったけれど、わたしはひとり旅も気楽で好きです。友達を誘うのに勇気がいる、歴史関係の場所には、ひとりで行くようになりました。坂本龍馬に憧れがあり、京都には日帰りで何回も行きました。その後、関東や北海道にも。本当に、友達家族のおかげです。


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 高校の修学旅行。旅慣れてきた、わたし、楽しみました!夜も寝られるようになりましたが、夜中に始まるんですよね。誰かの恋話や打ち明け話。わたしは、最後まできき役でしたが、それも、楽しい思い出です。

 さて、愛知県から、向かったのは、徳島方面。卒業アルバムでは、主な見学地として、大鳴門橋記念館、大鳴門橋、鳴門の渦潮、屋島、金刀比羅宮、瀬戸大橋、倉敷美観地区、岡山後楽園、北野異人館、市民広場と書いてあります。この中から、クラス別でいくつかを観光し、また各所でも、班で行きたいところに分かれて行った記憶です。

 ダイナニックな鳴門の渦潮を見て、渦潮が形をかえながら、そこにあり続けていて、とても驚いたこと。北野異人館では、仲良しの友達たちと、お揃いのオランダの町娘風の衣装に着替えて、やけに似合っている友達がいて、おおはしゃぎしたこと。自分のお土産は、音が気に入って、ガラスなのに形が変わるのが面白くって、ポッペン(ビードロ)にしたこと。

 こんなふうに、細切れに記憶が出てきます。

 でも、忘れられないのは、徳島でのことです。泊まった宿で、クラス対抗の阿波踊り大会があったのです。優勝クラスには、豪華賞品がもらえちゃう。それで、張り切ったのは、我がクラスの担任の先生。文系クラス、男子は少数で女子多数。わたしたちも、なんだか、面白くなっちゃって、クラス一丸となって、踊りまくりました。それは、みんな、がんばりました。

 結果、見事に優勝を勝ち取り、段ボール箱いっぱいのバナナをいただきました。ひとり、一房あった記憶です。でも、わたしは、幼いころ、熟れ過ぎバナナを食べて、お腹を壊してから、バナナは食べられなくて、賞品に、ひどくがっかりしました。

 バナナを、頭を下げつつ、別のクラスまで、配り歩いた記憶があります。お土産に持って帰るのも嫌だったのです。それから、その夜、まだ気持ちがたかぶっていて、みんなと枕投げ中、障子を破ってしまいました。先生に連れられ、謝りに行きました。やり過ぎましたね。

 やり過ぎちゃったのは、わたしだけではありませんでした。翌朝、担任の先生がバスから降りる時に、足を捻挫したのです。運動不足の身で、いきなり、全開で、阿波踊り…先生、そのころ、40台後半でした。

 それからの写真には、足首に包帯をぐるぐる巻いた先生が、照れ笑いして写っています。卒業後の同窓会でも、必ず、その話が出てきて、先生は頭をかきながら、「もう、勘弁してくれよ!」って言うんです。

 思えば、高校時代、周りには個性的な子ばかりがいたので、わたしも肩の力を抜いて過ごせたような気がします。また、地声が大きく、声も通るのようなので、「うるさい!mu!」と、代表で叱られることが多かったです。そんなに、しゃっべっていなかったと思うんですけどね。たぶん。

 また、このころから、どうしてか、天然と言われることが増えました。優等生ではあったと思うのですが、幅が広くなり、ゆるやかに、のびのび過ごせた3年間でした。自主的に勉強をしていく方針の高校だったので、勉強はさぼってしまい、大学受験で苦労しました。まぁ、自業自得ですね。

 まるで、おしゃべりをしているのように、また、長々と書いてしまいました。お付き合いくださり、ありがとうございました♪


修学旅行事情、書きたくなっちゃった方、今回の参加条件は以下の通りですよ♪

〈必要条件〉
・お住まいの都道府県を記事中に明記
・ハッシュタグ「#修学旅行事情」
・当記事(千世さんの)のリンクを貼る

千世さん「それぞれの修学旅行事情」より

千世さん、素敵な企画をありがとうございました♪



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