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こころして

 毎朝、車のハンドルをにぎって誓う。
 今日もこころして、運転します!


 20歳の誕生日をむかえるころ。
 自動車運転免許をとるため、教習所に通い始めた。

 教習所の車を初めて運転したのは、とっぷりと日は暮れ、小雨まで降っている夜だった。

 教官とふたり、車に乗り込む。
 沈黙が重い。

 まず、ワイパーの動かし方がわからない。わたしは焦って頭が混乱してきた。なぜだか、幼いころに乗ったゴーカートを思い出している。

 教習所のスズキ教官(仮名)は、むっつりと黙っている。エンジンをかけ、なんとかワイパーを動かすと、教官が「ライトも点灯」とつぶやく。

 ライトをつけるつまみを探し当て、なんとか出発の段取りは整った。

 それからが……

 散々だった。
 路肩に乗り上げ、対向車に接触しそうになり、教官に何度も急ブレーキをかけられて、しまいにはハンドルまで操作してもらうしまつ……。

 冷や汗をかき、ぐったりと疲れたのは、わたしだけではなかっただろう。申し訳ない。

 スズキ教官は眉を吊りあげて、
「あんたねぇ、はっきり言わせてもらうけど、運転に向かんわぁ。免許取るのはやめにしたら。」

 わたしは震える声をさとられないように、きっぱりという。
「でも、どうしても運転免許がほしいんです。」

 教官は、長いため息をついてから、つぶやいた。
「長い道のりになりそうだなぁ。」


 それから。
 スズキ教官の特訓が始まった。

 車の幅を感じろ、大きめでいいから。

 前も後ろも右左もよぉくみろ。

 右に寄りすぎるな。

 ハンドルは急に切るな。ゆっくり大きく。

 前の車と距離をおけ。

 すれ違いのときは左に寄せて止まれ。動くな。

 もちろん、とんとん拍子にはいかず、足踏み足踏みの日々。それでも、人は成長するし、慣れてもくる。しだいに、わたしも車の運転が怖くなくなり、ちょっと楽しくなってきた。

 こうして、教習所から路上へと運転の場所が変わるころ、教官のおかげで、わたしは焦らずハンドルをにぎり、まともな運転ができるようになったのだった……。

 教習所最後の日。

「あんたさんは運転に向かん。だから、いつでも、こころしてハンドルをにぎれよ。」

 そういって、スズキ教官が初めて笑った。


#忘れられない先生

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