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転職活動から見えてきたこと

理由: 弊社が求めている経歴と異なるため

最近、メールボックスを開けるとこの文字が飛び込んでくる。エージェントから「コロナ禍の未経験職種、未経験業界での転職活動は本当に厳しい」と言われていたからある程度は覚悟していたけど、さすがに何通もくると凹む。
私だって好んで経理になったわけじゃない。今日だってマニュアルに書いてある通り伝票を打って、合って当然の資料を何時間もかけて突き合わせただけだ。

このままじゃダメだと思いながらもあっという間に社会人3年が過ぎた。しかし、とある友人の一言でその思いに火が付き、転職活動に本腰を入れ始めて1ヶ月。

毎日自分と見つめ合う中で、私が挑戦したいのはPRコンサルタントかもしれないと思い始めてから色々な会社の事業内容とかサイトを見ると、なんてワクワクする仕事なんだろうって気持ちがどんどん膨らんでいく。

しかしその気持ちとは裏腹に書類すら通らないのが現実だ。私の思いなど聞いてもらう前に選考が終わる。

割と序盤からこのままでいいのか?という思いを抱えていたのに結局動いてこなかったのは紛れもなくこの私だ。行くか行かないか、やるかやらないか、帰るか帰らないか、話すか話さないか、見るか見ないか、食べるか食べないか。
そういう過去の些細な選択の積み重ねが今の私を作っているんだから当然、責任は自分にある。分かってるよ、そんなこと。

3年は頑張れみたいな言葉をよく聞くし、先人の言うことは大体間違っていないとも思ったから私も3年は頑張ってみた。職場の人・会社の福利厚生・ホワイトすぎる環境が良いだけで、肝心の仕事は結局、最初の気持ちから何一つ変化はない。
直感は当てにならないこともあるけど、違和感だけは本当によく当たる。

嫌で嫌で泣きながら配属された経理も3年間それなりに頑張ってきたつもりだけど、いざ客観的に分かる実績は?と聞かれても答えられることが何もない。自分で書いた職務経歴書を見ていて悲しくなった。
てか、経理における客観的な実績って何?システム導入とか業務効率化?元帳の残高が0になって、Excelにエラーが出ない事ですとか答えられる訳ないじゃん?

どうしてもありきたりな「コミュニケーション力」とか「協調性」とか、そういう言葉でしか表現できない自分の社会人生活に愕然とした。話す機会さえ貰えたら私の性格も熱意も伝わると思ってたけど、もはやそれすら叶わない。だからこそ客観的に分かりやすい数字が必要なんだっけ。

あと、自分が大事にしたいこと・価値観の優先度順位をつけない限り転職も難しいと言われる意味もよくわかった。この1ヶ月、本当に色々考えた。
ワークライフバランスが崩れてもいいからやりたい仕事を取るのか?いっそ心を殺して仕事=お金と割り切り、毎日定時で上がってアフター5を楽しむ方が幸せか?

ちょっと極端だけど、私の現状とこれから進もうとしている道は割とこの選択に近いかもしれない。こんなの選べるわけがない、全部大事に決まってる。
25歳ごときでワークライフバランスが大事だなんて甘ったれてるんだろうけど、そう思うなら今の方が幸せなのかな。でもやっぱり、どうにか課題を解決したいと願うクライアントと一緒に試行錯誤しながら、あらゆる形に仕上げて世に広めていく、そんな仕事を夢見てしまう自分もいるな。だって、私がこれまでの人生において何かを決断する時の判断材料は全て「自分がそれをやっている姿を具体的に想像できて、その未来にワクワクするかどうか」だったから。

私は、愛する彼氏のために仕事も地元もお金も捨てて身一つでYouTuberになってしまう大学時代の友人のように思い切った行動はできない。だったら、私は私らしく今はめげずに自分を見つめ続けて会社を探し、応募していくしかない。

桜も見頃を過ぎてだんだん春を感じられる季節の中、私はまだ靄がかかったトンネルの中にいる。

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