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短編_パラソルの下で 2/2

【あらすじ】
 親しい人々はまだまだ集まってくる。真司は楽しげな彼らの姿を眺め、ある思いに耽る。最後に現れた幼馴染の秋彦は、意外な場所からやって来るのだった。
(文字数:約2600字。文庫本で6ページ程度、10分ほどで読み終わります)

「鳩山先生、パパ来るって」
 鳩山は口の中の物を飲み下しながら目を大きく見開いた。その表情が可笑しくて、春世は少し意地悪な噓をついてみたくなった。
「この前の論文についてちょうど聞きたいことがあったんだって」
「本当ですか?」
 鳩山は食べる手を止め、咳き込みながら言った。

「おじさーん!」
 ちょうどその時、制服を着た二人の高校生がやって来るのが見えた。それはすぐ近くの高校に通っている真司の兄の息子の涼と、涼の彼女らしい女の子だった。
「涼じゃないか。今日は学校?」
「いや午前中だけ部活だった。終わってから彼女と散歩してたら、おじさんたちのパラソルがすぐ目に入って」
「お昼は食べた? お腹空いてる?」
「空いてる!」
「よし、じゃあ作るから待ってろ。でも、飲み物がないな」
 真司は千円札を取り出し、涼に渡した。
「これで飲み物でも買ってきて。あそこのローソンが一番近かったと思う、交差点の横のね」
「うん、ありがとう!」
「ありがとうございます!」
 二人は肩を寄せ合って砂浜を小走りに駆けていった。その様子を眺めていた真司は、歩道に繋がる階段を登り切った涼がある人物と挨拶を交わしていることに気づいた。乗ってきたロードバイクを手すりに立てかけ、鍵をかけながら涼と話をしているのは義父の西野だった。

「お父さん、もう着いたみたいだぞ」
「え? 早くない?」
 西野は真司と春世の姿を認めると、にこやかに手を挙げて笑った。
「どうだ、思ったより早かっただろう。真司くん久しぶりだな」
「ご無沙汰しています。相変わらずお元気そうで」
「はいパパ」
 と言って春世は西野に缶ビールを渡した。
「いやいいよ。自転車で来ちゃったから」
「押して帰ればいいじゃない」
「歩いては来られないから自転車で来たんだ」
 むっとした春世は有無を言わせずプルトップを開いた。西野は困ったように鳩山と顔を見合わせ、ビールを受け取った。
「僕は一緒に飲めて光栄ですよ、先生。それであの……」
「なんだね」
「この前の僕の論文は何か問題があったでしょうか?」
「……なんのことだね?」
 春世は笑い出しそうになるのを必死に堪え、二人から顔を背けた。

 新しくソーセージを焼き始めた真司は春世たちの会話を聞きながら、砂浜で遊んでいる莉子とニコラスの姿を見ていた。するとその時、ポケットに入れたケータイが鳴った。画面に表示されたのは幼馴染の秋彦だった。秋彦はなんの挨拶もせずに開口一番こんなことを言った。
「今日も海にいる?」
「なに? よく聞こえないよ」
秋彦は野外にいるらしく、電話の向こうからは激しい風の音が聞こえていた。
「パラソルだよ、パラソル!」
「ああパラソルね。今日もやってるよ」
「オッケー。ちょっと待っててくれ。今から行くから」
「いいけど、どこにいるんだ? すごい風の音だぞ」
「秘密」
そう言って電話は突然切れた。

 ちょうどコンビニから帰ってきた涼たち二人は怪訝そうに真司の顔を覗き込んだ。
「友達からの電話だよ。今から来るらしいけど、どこから来るのかわかりゃしない」
「お友達がみんな集まって来るんですね」
「おじさんは人気者なんだ」
「そんなことないよ。さぁ、あと少しで出来上がるぞ」
「ねえ涼くんたち! こっちに来てニッキーと遊んでくれる?」
 莉子に呼ばれた二人は買ってきたばかりのペットボトルに一口だけ口をつけてから浜辺へと向かった。真司は話し合う三人の姿を遠くから眺めた。どうやら涼は莉子からフリスビーの投げ方を教わっているようだった。涼はニコラスの名前を呼ぶと、思い切りよくフリスビーを投げた。だがうまく飛ばずに、フリスビーは砂浜を斜めに転がっていった。それでもニコラスは全身をばねのようにしならせて走り、地面に着く直前にフリスビーをキャッチした。涼は戻ってきたニコラスを両手で迎え、頭を撫でた。

 真司の胸はある思いに満たされていた。それは温かく、彼らを愛し包み込むような思いだった。まるで自分の胸から紡ぎ出された思いの糸が、彼らとその後景の海全体に広がって、大きな天幕を形作っているかのようだった。それは今、頭上に広がっているパラソルに似ていた。真司は自らの意思で、この浜辺の安定を作り出していた。どれだけ浜辺を探しても、砂の中を掘っても、真司の知らないものなど何一つないと、自信を持って言い切れるような気がした。
 だが同時に、この瞬間からパラソルの下は停滞し始めていた。このままここにいては、彼らを包み込み続けていては、いつの間にか陽の下に出ることを恐れ、彼らの自由を奪ってしまうような予感がどこかにあった。

 その時、真司のケータイがもう一度鳴った。
「見えたよ! もう目の前まで来てる」
「どこ?」
 真司はパラソルを飛び出し、秋彦を探した。だがそれらしき姿はどこにも見当たらなかった。相変わらず電話の向こうは風の音が激しかった。とその時、真司はあることに気づいた。風の音はケータイを当てている左耳だけでなく、右耳からも聞こえていた。その音はだんだんと強く、迫ってきているようだった。
「上だよ!」
 真司は顔を上げた。空には一台のパラグライダーがこちらに向かって飛んできていた。呆気に取られた真司は何も言えないまま、茫然と秋彦を見上げた。その間にもパラグライダーはパラソルの上を通過し、海に向かって飛び去っていった。ケータイからは秋彦の笑い声が聞こえた。
「だいぶ驚いた顔をしてたな」
「当たり前だろ!」
「はっはっ! これから砂浜の上に降りるから準備してくれ」
「どうすればいいの?」
「ぶつからない程度にスペースを空けてくれればいい。そんなに広くなくて大丈夫だよ。一回切るね」

 真司は莉子たちをパラソルの下に集め、周りの人々にも声をかけた。パラグライダーは海の上を八の字に旋回しながらだんだんと高度を下ろし、砂浜の上に着陸した。見守った人々からは自然と拍手が起こった。秋彦は悠然と手を挙げて応えた。それを見て、真司はやり返してやろうと思った。いたずらはすぐに思い付いた。真司はクーラーボックスから取り出したビールを軽く振り、秋彦に投げて渡した。数秒前、胸を占めていた思いは噓のように消え去っていた。真司はそうした変化が、そして変化をもたらしたのが秋彦だったことが、恥ずかしくもあり、また嬉しくもあった。
 プルトップを開いた瞬間、ビールは泡となって吹き出し、秋彦の手と砂浜を濡らした。秋彦はすかさず口をつけてビールを飲んだ。周囲からはさっきとは異なる冷やかすような、それでいて温かい歓声が上がった。秋彦はなんとか一口飲み終えると、快活に笑った。真司の顔にも自然と笑みがこぼれた。

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