見出し画像

あったかくしよう

今日は、やけに優しい気持ちだな、と思った日。
それは、
「ちょっと手伝おうか」「できることがあったら言って」
「会えてよかった」「聞いてくれてありがとう」
「話せてよかった」「私も、そう思っていたんだ」
そんなことを、静かに柔らかい雰囲気で言い合った日。

相手のことを思ってて、でしゃばらずに、でも、目があったら「なあに?」って答えられる、そんな感じ。そして、思い切って「実は私さ、最近ね」って ちょっと言ってみたりして。

おひさまの光は明るくて、体をあたたかくしてくれる。
誰かの穏やかなまなざしも、おひさまのような力をもっている。
誰かの何気ないひとことも、こころをふわっとほぐしてくれる。

「私は 今久しぶりに心から笑っている。心がほぐれている」と思った日。
それまで、自分を結構否定して、自分をダメだな、って思ってて、そういうことを突きつけるような現実へと引き寄せられていたことに気づいたのだった。

一度 大きなダメージを負うと、その回復には とても時間がかかるのだけれど、ありがたいことに、そういう時だからこそ 人のあたたかい言葉がどれだけ力をもっているのか、ということを知ることもできる。
そして、自分がしてもらったように、今度は、そっと困っている誰かに声をかけてあげられる人になることができる。

冷たく、誰かを突き放すことができる人には、絶対に味わうことのできない、あたたかさ。私が負けたくないのは、その冷たさ、支配、コントロール、管理なのだろう。

誰にでも役割があるという。でも、冷たさで、誰かを見下したり、排除したりする役割は、果たして必要だろうか。
排除は、中毒だ。恐ろしいことに、排除の味は、案外美味だ。誰かを困らせる形で、自分の行動の結果を即座に見ることができるからだろうか。
でも、残念ながら、ちっともあったかくはないのだ。どんどんどんどん心は冷え切っていく。そして、ほんとうに、一人になってしまう。かつて知っていたはずのあたたかさもすっかり忘れてしまう。

優しい人こそ、その冷たさに巻き込まれてしまうことがある。それは、今の世の中、誰にでも起こりうること。でも、その冷たさには、できれば 触れない方がいい。普段一緒にいる人たちの間で、ちょっといざこざや面白くないことがあったとしても、刺激を求めて冷たさや中毒性のあるものには近づかないこと。
あったかいものが当たり前にある人は、それを神様のプレゼントだと思って、大事にしてほしい。
今 ちょっと安心して甘えられる人がいないな、という人は、とりあえず あたたかいものをたくさん用意しよう。暖かく。天気のいい日には外をちょっと歩いて。ドライブでもいい。

今は、油断すると、あたたかいものが手からこぼれ落ちてしまう、そういう動きがたくさんある、世の中だと思う。だから、意識して、あったかくして。これから寒くなっていく。決してやせ我慢して薄着なんかせずに、あったかくして。縮こまる体をそのままにしないで。

かく言う私も、かれこれ 普通に日常生活を送っているようにみえて、日々 少しずつ回復している最中。なぜ こんなことに、ということがあったけれど、でも 人の優しさも知ったから。その優しさを これからずっと たぶん おばあさんになっても抱きしめて生きていくことができる気がしている。それくらい ダメージが大きかったけれど。こうして、文章を書いて、誰かに読んでもらう幸せも思い出した。

言葉が 誰かの心を傷つけるのではなく、絆創膏や包帯、あるいは寒い時のマフラーのようなものとして 使えるといいね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?