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教員の長時間労働は「遺伝」する?(下)

(前々回、前回の記事の内容から)
 教育学部の1年生を対象にした教職課程の授業で、「教員の長時間労働」の問題について取り上げた。

 多くの学生がその実態に驚きや不安を感じていたようだ。だが、一部には長時間労働を厭わない「熱血教師」に憧れ、自らもそうした教員になることを目指している学生たちもいる。いわゆる「働き方の『遺伝』」である。

 一方、身近なところにいる「熱血教師」が体調を崩したりプライベートを犠牲にしたりしている姿から、その働き方に疑問をもっている者もいる。

 また、今回の授業で学生たちが特に強い関心を示していたのがこのスライドだった。

 実際に一部の教師たちが、自らの仕事を「『やりがい』はあるが、若い人には勧められない」と考えていることは、学生たちが記述したエピソードの中にも垣間見られた。


 ・・・私の授業の中では、今回の「教員の長時間労働」の問題にかぎらず、
「これからの世の中では、一つだけの『正解』を見つけることが難しいため、『納得解』や『最適解』を探していくことが大切になる」
 ということを伝えてきている。

 授業後に学生が書いた感想の中にも、この「教員の長時間労働」の問題について「納得解」や「最適解」を探していこうとする学生たちの想いが綴られていた。その一部をご紹介する。

 教師はブラックだという話もたくさん聞くし、やりがいを感じられて楽しいという話も聞くが、現在は少しずつ確実に改善されている部分もあることがわかった。生徒の人権を守るのと同時に、教職員の人権も守るため、それぞれに合った働き方ができれば良いなと感じた。

 中学のとき、先生が「教員の仕事はほんとうに忙しいし大変だ」ということを言っていたが、やはり自分にとっては忙しい以上のやりがいがある仕事だと思った。もちろん今よりも待遇が改善されることを望むが、自分は教員を目指したい。

 教員の負担軽減のために、地域と協働して授業のサポートをするボランティアを募るなどの柔軟な発想をもった取り組みが必要だと思う。また、土日の部活動は地域の人に任せるなど、教員の自由な時間を奪わない程度の活動が好ましいと考える。ワークとライフのバランスが崩れてしまわないような学校運営が必要だと思った。

 今のようなブラックなところを改善するためには、まず教員の数を増やすことが大事なのではないかと思いました。国が力を入れれば教育界は良くなると思います。

 個々の教員ではなく、教員同士が団結し協力することで負担が減っていくのではないかと考える。やはり自分が学校で働かないと実感が湧かないので、私が教員になったとき、進んで学校改革をしていきたい。

 仕事とプライベートの境界線をはっきりするべきだと考えていたが、人によっては勤務時間以外にも学校に関わることを楽しんでいることが意外だった。人それぞれで理想的な働き方は異なっているので、個人に合わせた働き方ができるシステムをつくれば良いのではないかと考えた。

 もっと教育現場にお金を使ったり、外部機関と連携したりして、教員が生徒との関わりや授業づくりに集中できるようになるといいなと感じている。それでもやっぱり教員は魅力的な職業だと思うので、目の前の子どものことを第一に思いながら働けるように頑張っていきたい。

 男性教員も育休を取りやすくするだとか、AIを利用して単純作業を減らすだとか、さらに働き方改革が進んで、楽しさを感じる人が多い職業になればよいと思った。

 ニュースなどで「教員がブラックだ」というのを言い過ぎていることも、志望する人が減っている原因ではないかと思った。

 本来、学校がやらなくてもいいことまでやっているから、仕事が増えているのではないか。多面的な見方でアプローチしていくことが大切だと考えた。

 特に小学校の先生が多く行っている、一人一人への丸つけやコメントを書く作業は、先生のワークライフバランスを乱しているのではないかと思いました。

 私の母は小学校教師だが、7時に出勤して18時半に退勤している。それでも家で仕事をしているため、やはり大変な仕事だと思う。時間外労働は良くないことだが、それによって得られることを活力として、前向きに行動することも大切だと思う。

 高校の先生で、仕事が終わらず、翌日の始発の電車で帰宅し、数時間でまた出勤という方がいらっしゃった。その先生も他の先生も笑って話していたけれど、こうした状況が普通になってしまっているのは大きな問題だと思う。その一人の先生に仕事が偏っていることも改善しなければならないと思う。

 国が、子どものためを思う教員の心を利用しているのではないかということに怒りを覚える。労働者に対する風当たりの強さも、この国の問題かもしれない。

 多忙な先輩のルーティンを真似してしまうと、ずっとこの問題は解決できないのではないかなと思いました。

 私の高校の先生が、「働き方改革の影響で、他の先生達と関わる時間がなくなってしまった」と言っていた。そう言われてみれば、以前は先生同士が仲良さそうに見えたのに、変わってしまったように思う。子どもたちはそういう先生方や大人の雰囲気を敏感に感じ取ってしまうので、一口に働き方改革を進めていったほうが良いとは言えないなと思いました。

 教員の長時間労働の課題について、「誰かが楽になるようにすると、他の誰かにしわ寄せがくる」ということに非常に共感しました。私は部活動の地域以降に興味があり、どうにかしたいと考えています。この問題でも、「地域移行すれば教員の負担が減る」という教員目線の意見もあれば、「地域移行すると、子どもの人権や親の負担などの問題が出てくる」という子ども目線の意見もあって、とても難しいと思いました。

 教員がプライベートで学校のことを考えたり、教材に使えそうなものを見つけて購入したりすることは、「子どもを喜ばせたい!」という教員自身の意思であれば、幸せなライフ(人生)の一部として考えられると思った。

 高校のときの先生が、「教員になる希望者が減っていくと、教員の質も落ちてくるのではないか」と言っていたのが印象に残っています。生徒の視点と教員の視点の両方で問題を捉えないといけないと思いました。

 社会でこれから必要になってくるのが教育支援職だと考えます。教員だけでは担えなくなっている部活動やカウンセリングなど、外部の支援職の人も学校現場に関わっていくことで、よりよい学校教育が可能になっていくと考えます。

 中高生のとき、部活の大会の前にもっと練習したいのに、先生の息子さんの行事で部活が休みになる、先生が娘さんの送り迎えで来られない、息子さんが熱を出したから行けない・・・、ということを納得できず不満に思っていたことがあったのを思い出す。先生も生徒も満足できるようにするにはどうすればよいのだろうか。

 実際に現場を見ないで「教員の仕事はブラックだ」と決めつけるのではなく、自分の目で現場を見て、教員としての仕事を考えていきたいなと思った。


 ・・・大学によっては、教職課程では「教職のやりがい」を強調し、長時間労働の問題については積極的に触れないというところもあるようだ。

 しかし、それでは問題を先送りにしたり、早期離職を招いたりするだけになってしまうのではないだろうか(そもそも、大学の授業で扱わなくても、多くの学生たちは「教員の長時間労働」のことを知っている。隠しても仕方がないことなのだ)。

 無論、私が今回の授業で扱ったことは、「教員の長時間労働」の問題の一部分に過ぎない。学生たちには、この問題について継続的に考え、教育実習などでの体験も踏まえた上で、自らの将来を選んでほしいと思う。

 最後に教育委員会などで教員採用を担当している方々へ一言。

 昨今の「教員不足」の状況を反映して、学生向けに「教員の魅力」を伝えるためのイベントを計画している自治体があるようだ。しかし、それは「長時間労働」の現状やその是正に向けた取組とセットで伝えられなければ効果は薄いだろう。

 今の学生たちは、皆さんが想像している以上にこの問題についてよく考えているのだから。

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