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スポーツとファシリテーション

今の私にとってのスポーツとは何かを考えてみる。私の場合は例えば週に1回参加する陸上の練習の時間だ。この時間が大切な理由は、自分の感覚を磨く、ただ(頭を空にして)楽しむ、(人や自分との)勝負を楽しむ、気分転換、選手でいることの気持ちや感覚を持っていたい…などなどが浮かんできた。

外で練習するので、気候や気温にも自然に敏感になる。風の向きや強さにより、走る時にどうやって走ろうかな?と思う。練習の合間に、色んな音に意識を向けてみたり。自分の感覚に集中するけど、普段聞こえない小さな音が聞こえてくる。自然の音、人工の音、どこからの何の音かな?と考える。いつもより、感覚が鋭くなったような感じがする。あえて、どんな音が聞こえてくるか意識を傾けることもあるけど、それだけで普段全くこんな音してたっけ?ってくらい小さな音が聞こえたりする。

ファシリテーションを学ぶ場で、五感を研ぎすますというトレーニングを習慣にしていくことが、ファシリテーショに生きてくるというような内容を学んだ。習慣にできていないが、"自分の感覚を研ぎすます"という点では、スポーツ(陸上)でも大切なので、もしかしたら似ているのかも知れないと思った。
しかし、自分の感覚を研ぎすまし、それを自分の表現(走ること)に生かすというスポーツと、一方感覚を研ぎすまし、感じとり、その時どういう振る舞いをするか、どう話していくかというファシリテーションは、なかなか難しい。
ファシリテーションを学ぶ場で、ファシリテーションをする機会をいただいたが、自然に振る舞えなかったし、自然と言葉が出なかった感覚だった。何を話そう?ということが頭をいっぱいにして、その場所から感じ取ることが、難しかった。参加側の時とは、違って何かが邪魔になっていた。

久しぶりに、ファシリテーターについて考えたのは、あるディスカッションの場にいた時に、ファシリテーターばかりが話していて、周りが置いていかれている状況に遭遇したからだ。
参加側であった私は、他の参加者の興味が薄れているのではないかな?とか色んなことを思ったが、その時は何もできずに、その場は閉じてしまった。

ファシリテーターの存在の大切さは、このように色んな場面で感じている。しかし、いざその立場になると、難しいことも感じた。
スポーツとファシリテーション、感覚を磨き色んなことを感じられるようにしておくことは、共通して大切なことではないかと思った。

#スポーツ #走る #陸上 #ファシリテーション #感覚を磨く #耳を澄ます  

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。共感していただいだり、楽しんでいただけましたら、とても嬉しいです。今後ともよろしくお願いいたしますm(__)m