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韓国弾丸旅行(おばばーず&子ばばーず、そして私の5人旅)

5年ほど前に、たんばば(私の祖母80歳)とママ(私の母60歳)、けいこさん(私の幼なじみの祖母80歳)とかずごん(私の幼なじみの母60歳)と私(28歳)の5名で観光旅行へ。80歳×2、60歳×2、28歳×1

怒りではじまった1日目PM2:00頃


2泊3日の弾丸ツアーのはじまり。1日目は夕方に着き、最終日はお昼に出るので滞在時間わずかな旅行。ホテル内の喫煙に厳しく、評価が高い有名なホテルには喫煙ルームがない。当時5人中4人がヘビースモーカーだったので、喫煙ルームありの良いホテルという厳しい条件で探した。その結果、ホテルPに決定。

HISのツアーで行ったので初めに免税店に寄る。まだ着いたばかりなのにママが話を聞かず化粧品を買おうとする。もう少しちゃんと考えればいいのに…というか、私のアドバイスは聞かず、今会ったばかりの店員さんのうまい話を信じるのがむかつく。

いきなりイライラから始まった韓国旅行だった。この時に、買い物ツアーは向いていないことを学んだ。

親子の関係は難しい。自分が大人になったとき、歳をとるママ。子供の頃は、家とか、ごはんとか、お小遣いとか、親の作る世界の中で生きていた。何だかんだ上下関係がはっきりしてたし、”大人”が言っていることに説得力もあった。でも、自分が大人になってみると、「ん?マジでそれ言ってる!?」と危なっかしいことが多い。

「え、この人、騙されてない?」「え、これ選んじゃう?」と日常で心配。失敗してほしくないので止める、口出しする。強めの口調になってしまう。なぜなら大好きだから。

DVの言い訳みたいになっているけど、私は、叩かないし言葉の暴力にすらならない、だって、ママ聞いてないから。違う話してるから。

「まだ着いたばかりでしょ!?他のもの見たほうがいいに決まってるじゃん!」
「カタツムリエキスって、何にいいんだっけ?シワなくなる?」

1人でイライラして自己嫌悪で自滅してるわたし。ママ強し。

でも、もっと高齢になると傍から見れば高齢の母いじめている中年の娘になるんじゃないか…公開いじめ…辛い。今から優しくする習慣づけを心がけよう。

気を取り直してホテルへチェックインPM3:00頃

ホテルの場所はアクセスが便利と言われている乙支路4街エリアにあった。
ホテルから歩いていけるところに南山コル韓屋村があったので本日メインはそこに決めた。ドラマの舞台としても使われている日本でいうと京都の太秦映画村みたいなところ。ホテルから徒歩で向かう。

道の雰囲気は神戸の長田。本当に長田または湊町。
あーこの小汚さ(道の)懐かしいわー
ホントになぁ~

海外感ゼロらしい。途中、韓国料理屋に入って本場のビビンバやサムゲタンを食べた。かずごんはマッコリを注文。1Lペットボトルで出てきた。この値段でボトルか…と喜んでいた。残った分は持って帰った。ゴハンの後、屋台で美味しそうな野菜おやきをテイクアウト。食べながら南山コル韓屋村へ向かう。

韓国で困ったことは看板。ハングルが読めない。
今いる場所が、自分が目指しているところなのかわからない。
下にローマ字がある所も、読み方だけで英訳ではないところも。

南山コル韓屋村観光PM4:00頃

80代2名、60代2名と一緒にふらふらのろのろ、南山コル韓屋村にやっと着きました。ソウルのあちこちに散らばっていた貴族の屋敷や一般市民の伝統的な家屋など5棟を、2400坪の敷地に移築&復元して造られたのがココ。見事に昔の建物を再現していた。いい感じの場所。壺がたくさん展示してあって、なぜか片っ端から開けだすばばーず。なんか入っていたのかな。…入ってないよ。

ママは以前、バリ島でどこかの門の前で撮った写真が奇跡の1枚(写真写りが良い)だったことに味をしめて、門を見るたびに写真を撮ってくれと言ってくる。韓国でも、門前写真撮ってくれ妖怪と化していた。

出口付近に観光地ならではの顔ハメ写真スポットがある。盛り上がる。
この60代と80代は普通に顔をはめるだけでおもしろい。
顔ハメパネル考えた人天才だと思う。

2日目スタートAM9:00頃

ホテルのビュッフェで美味しく朝食。本日のメインは景福宮(キョンボックン)。守門将の交代儀式(衛兵交代みたいなもの)の時間に合わせて行った。途中、世宗(セジョン)大王像があり、「根の深い木だ!!!」とドラマ名を連発。そう、このばばーず、みんな韓流ドラマのファンなのだ。景福宮は、引きで見ると周りに近代ビルが見える。韓国の伝統建造物は小ぶりで、近代都市の真ん中にあるので景色がおもしろい。昔と現代が一体化している。

ここでも門前写真を撮って妖怪になっていたママ。目を離すとみんなバラバラの迷子になる。人間は歳をとると、子供に戻る。保育士さんか遠足時の先生気分だ。景福宮内にある国立民俗博物館を見学。

途中、いきなり誰かが、アイスを食べたい…と。一人のこの言葉が脳内へ、ここからみんなの頭の中はアイスへ。集団洗脳ってこんな感じかな。展示物に集中できず。ということで、喫茶店でアイスを食べる。


アイスの呪いから解放され野外博物館へPM1:00頃

1970~80年代の民家が展示されている。ママが日本の昔の家にそっくりなこと、そしてわずか20年前までそれがあったことに驚いていた。おとぼけ顔に見えてかわいい村の守護神の道祖神(チャンスン)も立っている。日本の道祖神と違いすぎてカルチャーショック。

この後に、お土産を買いに明洞(ミョンドン)へ。店頭で飴づくりを見せてもらいその流れでお土産は飴に決まった。上手い商売である。店員さんもノリノリで盛り上げてくれて楽しそうだったのでありがたい。

モノに溢れすぎていて、よくわからなくなり、済州島のユズ茶1㎏(重いし、ここは済州島ではない)と鉛筆5本セットを自分のお土産に購入。怖いのがこの済州島のユズ茶が引っ越しで行方不明になったこと。飲んだ覚えも、捨てた覚えもない。どこからか5年前のユズ茶が出てきたら…どうしよう。夕ご飯は、韓国式焼肉を食べる。味付けで柔らかい肉なのでたんばばも満足していた。水キムチも注文。このあと、南大門市場へ行く。


南大門市場うろつくPM5:00頃

かずごんがいちばん楽しんでいた場所だ。ソウルで最も古い巨大なかなり地元密着型の市場だった。勇気を出してチヂミの店へ。油っぽかったが美味しかった。シンプルだった。途中、お菓子を買ってつまんだり楽しかった。地元のおっさんたちが飲みまくっている屋台を見て、かずごんが近所だったら毎日通うわ…とつぶやいていた。どこかで何かのドライフルーツを買ってむしゃむしゃ食べているかずごん。なにか買おうとしているばばーず。そして、ママはキムチの屋台でいっぱい味見させてもらっていた。

1つ味見が終わると、はい!ヤクルト!
また試食後、はい!ヤクルト!
これも食べてみていいですか?
もちろん!
はい!ヤクルト!

たまたまヤクルト渡す瞬間を撮ってたよ(写真上部)





見ている限りかなりのヤクルトとキムチを飲み食いしている。ママの腸内環境が心配だ。そして、こんなに買って帰るのか…と心配になるタッパー数のキムチ。屋台のおばさんは絶対に漏れない梱包するから大丈夫!とグーサイン。


二手に別れて夜のソウルを楽しむPM8:00

この後、ママとかずごんとたんばばは韓国エステとあかすりツアーへ。
みんとけいこさんは夜の街に繰り出した。

韓国のバス初体験。よくわからない。やはりハングルがわからない。若者の市場は洋服やアクセサリーがどっさり。すごく安い。お祭りみたいに屋台が並び、たくさんの人が飲み食い。毎日これが開催されるのかな。東京もこんな感じで夜市出してくれたら喜んで夜遊びするのに。東京は、歌舞伎町、渋谷、六本木はお酒を伴わないと夜は楽しい場所ではないのだ。

お酒なくても楽しめる夜市を作ってくれ。お酒より雑貨を見て夜遊びしたいと思っている私にとって、けいこさんとあーだこーだ言いながら歩くのは理想の夜遊びっぽくて楽しかった。バスからの景色があまり東京と変わらないのに聞こえてくる言葉が韓国語…不思議な感覚になった。

が、よく考えると西川口にいる感覚だった。
むしろ西川口の方が異空間。長田(神戸)や西川口(埼玉)を思い出す親近感満載なソウル市内。六本木やらミッドタウンより日本っぽさを感じる。


ここからが怒りのハプニングPM10:00頃


さて、ホテルに到着。…ママたち、深夜になっても帰ってこない。1時間のエステコースで4時間帰ってこない。おかしいだろ。心配なのでエステツアーに問い合わせてツアコン巻き込んで心配していたら、なんのことない、マッサージを延長していたのだ。

それなら一報入れえてくれればいいのになぁ。ムカつく。やっぱり年老いた母をいじめているように見える中年娘になるかもしれない。

後から聞くと、金のパックやら。「オモニ、オモニ」言われて親切にしてくれて(たんばばが段を上れなかったら生お尻を押してくれた?など)良い体験だったらしいのでいいけど。

初日やこの夜は、ムカムカしていたけど、今考えると楽しめたら何でもいいんじゃない?と反省。非日常だし、怪我や病気さえしなかったらいいんじゃない?と。このメンバーで行けたことだけで最高の思い出だと思う。

最終日、ホテルでチマチョゴリ体験AM11:00頃

好きなチマチョゴリを選び着せてもらう。かずごんの貫禄がすごかった。
「ヒビン様…」ママがつぶやいた。
写真撮りまくった。そして最後にスーパーでお土産を買い足して帰国。

何をしたこれをしたこと、どこに行くかより、振り向けばばばーずが(すっとぼけた)話をしている、かずごんとママがこれはなんだ?と目を細めて話し合っている(老眼なので)、そんな当たり前を旅先の非日常で見られることが幸せだったと今更気付く。歳をとったばばーず&子ばばーずと旅行にいけて良かった。

急遽行ったので準備不足の旅だったけれど、この時に行っておいて本当によかった。これがこのメンバーでの最後の旅になるとは予想してなかった。お別れは本当に突然にくる。人ってこんなすぐに死んじゃうのか。

急なお別れベスト3は病気、事故、災害だと思う。こう書くと、災害時の備えばっちりでタバコ吸ってる人、何なんでしょうね。

兎にも角にも、旅行中イライラしている場合ではなかった。もっともっと楽しい旅にするべきだったけれど、もうこのメンバーではできない。後悔しかないのか。

旅行のことだけではなくて、もっと関わっておけばよかった。これから先の何十年も、いつでも会えるって思って安心してた。

青い鳥に救われた話

ちょい後悔を抱えたまま何年か過ごす。それが、たまたま読んだ小説「青い鳥」でちょい解決した。思い出の国の章で死んだおじいさんチル・おばあさんチルとチルチルの会話。       

「どうして長いこと会いにきてくれないの?」

「僕たちは行きたくてもこれないんだ」

「私たちはいつでもここにいて生きている人たちがちょっとでも会いにきてくれるのを待っているんだ。わたしたちのことを思い出してくれるだけでいいんだよ。そしたらいつでも私たちはお前たちに会うことができる」

青い鳥より引用(こんな感じの会話だったはず)

もし、死んだ人を思い出すことが、その人に会いに行くことだとしたら、残ったメンバーで思い出話をしながらまた旅行に行けばいいんだ。

思い出話に花を咲かせ笑って美味しいものを食べて温泉でも入りたいなぁ。今度は絶対怒らない。そして満足100%の思い出にしたい。

その日のために、思い出を忘れないように書き残しているのがこの日記だ。

本当、さっさとコロナ終息してくれないかな。頼むよ。生きてる人でさえ思い出し会いになっているなう。

==(おまけ)現実はこんなもんだ==
最近、かずごんに「会いに行った」お話。

「思い出すことが会いに行くこと」(青い鳥)なら、ドラマだったら桜の花びらを見て思い出したり、蛍を見て「これはあの時の…」みたいになるが現実はそうではなかった。

ある日、旦那・三郎さんがパソコンで無料ゲームをしていた。ごちゃごちゃした絵の中から、指定されたアイテムを探すゲームだ。無料で遊べるが、ゲージが溜まるまで待たなければいけない。ただし、課金したら待ち時間なしで遊べる。よくあるある課金ゲーム。

…このゲーム、見たことあるなと記憶をたどる。あ、かずごんがiPadで遊んでいたゲームだ。

「かずごん、課金しまくったな…」
コメントしにくい三郎さん。

私はかずごんを「課金していた人」として思い出した。課金ってワードで思い出されるのって、どうなのか。思い出し方も大切だ。
他で思い出そうとする、そういえば、ティーバックの紐を勢いよく引きちぎって急須に入れてたなぁ…ダメだ。ドラマみたいに思い出せない。

思い出しワードで地味に嫌なものを考えてみた。「穴あき靴下」とかも嫌だなぁ。「寝よだれ」とかも嫌だ。


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