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#15 曲と詩の関係について②

こんにちは。#なかじのじかん、今週もよろしくどうぞ。

前回は関係性と言うか、僕が詩を生み出す時はどういった心理で作っているかの話になってしまいましたね(笑) 
今回は、その詩に対して曲がどう関わるのかを個人的にもどうなのか書いてる内に何か発見があればというライブ的な手記になりそうです。

まず、曲と詩のそもそもの関係性。
どちらかがイニシアチブを取っているとかは特にないし、考えてもいないし、考えません。
それと、あるテーマで詩を書いたとして、曲を後で書き上げる、所謂一つのテーマ・物語として二つを完成させるということもないかもしれません。

僕が僕自身に感じている確かなことは、曲も詩も同じく立ち位置ということで、いってしまえばパズルのピースです。

そして、音としての感情としての、音楽。
言葉の感情としての、詩。

です。

形が違う僕自身、今の僕の存在を示すものに他なりません。

(本当の本当に初期の、デモと言える前の段階の時には、その作品の色として、言葉をメモしたり、鼻歌なんかでメロディをボイスレコーダーには入れたりはします。)

どちらかが先に出来て、もう一つが生み出される。
やっぱりどちらかに順序がついてしまうのは当たり前なんですが、どちらかというと、曲が先に出来ますね。

今現在の時点で、詩から曲を作るのは逆の立場に比べて難しく感じてしまいます。

なぜなら、言葉の力というか意味というか、言葉の方が説得力があるからです。

例えば…

「ごはん」

という言葉。

私達人間にとって、食事、白米、動物のえさ、対象とするものに何らかの肯定的なエネルギーを得るものなどなど…例外でドラゴンボールの孫悟飯。
とある国語辞典には、「めし・食事」の丁寧語、と掲載されています。

「ごはん」という言葉には大体の概念があります。

対して、「ごはん」にかけて、「あたたかい」というイメージの音をつけるとする。

この時、まずどんな音を想像出来ますか?
僕がパッと思いつくのは、

●ほんわかした柔らかいイメージの優しい曲調
●包まれるような愛が溢れた曲調
●寒さの中で暖をとるような救いのイメージ
●人に対して良い印象
また、
●流れる血を感じる感触
などなど…

曲にすれば一人一人が様々な想像が出来ます。

ここで言えるのは、

言葉は、人々の概念が一つ一つにあって、そのものや物事を示すものであるから、言葉の一句を持ってして、説得してしまう力がある。
音は、一人一人が感じ方が違う上に、曲調を始めとするイメージが無数にあるので、概念がない。
よって、対象のイメージを限りなく変えられることができる。

と思います。

小難しい言い方なので、簡単にまとめると、 

僕個人的の創作は、

夜空に浮かぶ無数の星(曲)に、一つ一つ自分が思いついた名前(詩)を当てはめている様子

なんだと思います。

なので、仮に詩がない曲を投稿したとしても、反対に詩だけを披露したとしても、僕にとってはストーリーがあるし、バックミュージックが流れている感覚なのです。

また普段作らない、作れない人にしても、読書したり、無音のカフェで一人時間を過ごす時、運動したり、出掛けたり…毎日の様々な時間、瞬間の中で、耳を澄ましたり、頭の奥でアナザーストーリーを付け加えてみれば、きっと普段とは違うその瞬間の楽しみ方が出来ると思う気がします。
実際に僕はあらゆる場所で必要以上に頭や耳に意識があるので、ふいに浮かんだり思い付いたりします。帰宅したら結構疲れますが(笑)

人生をロールプレイングと考える人もいますが、そんな気がしないわけでもない。
サバイバルで、私利私欲にまみれた混沌とも感じるし、いいことばかりではない。

でもそれがこの現実世界なんです。

自分自身が少しでも過ごしやすい世界にするため、僕は作り続けているのかもしれません。

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