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この陰謀推理の領域には、誰も来られない。全ての人々と、この運命を共に

誰も解るわけがない、何かの主義主張に没頭している人達、普通や当たり前の中で生きている人達、殆んどの人がそうだから、自分の話などまったく聞く気もないし、考えを改める気持ちすらない。

それが洗脳状態だと何度も何度も言っても、それすらも耳に届かない。主義主張とは全て偏りある左翼、右翼であり、そのどちらも何者か、何かの支配下でしかない。そこに執着しているかぎりは、絶対に自分の話など理解できないし、この領域には誰も来られない。

自分の言う無重力のシーソーゲームとは、それを表現している言葉になる。


やはり人は誰しも数字に引っ張られる、肩書きやステータスを拝む、それが人間の生態的なものだから、仕方ないと言えば仕方ないのかもしれない。

 
ディープステートとは、アメリカ共和党支持者のカルト信仰者や、コミンテルンカルト勢力が使う西側資本民主主義勢力をスケープゴートにしたプロパガンダのために使われてきた言葉である。

今だ神道系カルト、岡本天命のペテン予言である日月神示を信じる陰謀論者は多い。そもそも北方領土や、尖閣諸島、沖縄にかけての領土紛争は戦後の昔からあった問題であり、岡本天命の予言などその遥か後に語られたもの。今で言うバシャールと同じ、適当な言葉の羅列で人をアポフェニアに陥れ洗脳するカルトの手口の、それである。

いつまでもそんなくだらないものを信じ続けるからカルトに洗脳され良いように操られ利用される。まったく嘆かわしい、だから人間など拝むなと何度も何度も何度も言ってきた、それが首相でも国会議員でも、大統領でも独裁国家の元首でも、拝んでしまえばそれは信者なんだと、どれだけ言っても人は聞かないもの。まったく、簡単に洗脳されるくせに人の話を聞かない頑固さも兼ね備える、なんつぅワガママな羊達だ、と思ってしまう。

愛を沈黙させる羊達「羊たちの沈黙」


確かに世の中ポリティカルコネクトレスが激しい、ちょっとしたことにすぐ敏感になって騒ぎ立てる。しかしそれは西側、資本民主主義勢力が故意にやっている事ではなくて、何でも過剰な正義感で反応する人々が自ら招いた結果であり、世論的にそういった方向になっているだけに過ぎない。しかしまだまだ資本民主主義の中では、そういった部分の寛容さはあり、自由に許されている部分は多い。

だがコミンテルン支配下になればそうはいかない、今より酷い締めつけ、取り締まりは確実に強化されて行くわけで、今までそんなものに嫌悪し左翼だの悪魔崇拝だのレッテルを貼って攻撃していた頃が懐かしく、恋しくなると思う。しかし一度そうなってしまえばもう二度と戻らない、それが新世界秩序。

中国共産党とロシアプーチンの思想主義、それと過剰なポリティカルコネクトネスを照らし合わせれば解ること、コミンテルン国家、独裁国家、権威主義、国家絶対主義の国々ではより厳重な締めつけが行われている現実が、実際にあると言うことが。

本当によーく考えてもらいたい、自分の話していることは何ら間違ってはいない、資本主義と民主主義はセットとしてあり、グレートリセットは資本主義のリセット、と言われているが、実際リセットしようとしているのは権威主義とは真逆にある民主主義、我々側にある主義である。

それがあるから我々には自由がある、権威者、国家主義者、独裁者もいない、我々民衆がルールや決まりを作る、その決まりに権威者も従う、それが民主主義の基本。しかし権威主義者達はその民主主義を左翼、共産主義、社会主義とレッテル、ラベリングをして良くない思想のようにプロパガンダしてきた。その催眠術となる心理操作に引っ掛かっているのが激しいナショナリズムを持つポピュリスト達。そこに極端な思想主義的偏りを持つ陰謀論者や、カルト宗教信者まで加わり民主主義勢力側を徹底して攻撃している。

その策略として使われてきたのがユダヤ陰謀論やグローバリスト陰謀論。そう簡単には自分の思考認識の領域には来られない、だから多くの人、いや全ての人々と言ってもいい、長年植えつけられてきた固定概念化した陰謀論により、その邪な支配の策略陰謀、その泥沼から這い上がる事ができなくなっている。

本当の陰謀策略はもっと複雑であり、巧妙な心理操作がふんだんに盛り込まれている。おそらく自分の記事を読まなければ気がつけないことは山ほどあると思う。

自分は本質的な陰謀について語っているわけであり、これは陰謀論ではない、陰謀を推理するプロファイリングである。


つまりは、コミンテルン勢力がプロパガンダとして使っている陰謀論の歴史は、旧ロシアより以前から策略的に使われてきたもので、シオン賢者の議定書なども、当時のロシア系陰謀論者が勝手に別な書籍から引っ張ってきた言葉を使い、それらしく創作した偽書のプロトコルとなる。

セルゲイ・アレクサンドロヴィチ・ニルス (1862年8月25日 ~1929年1月14日)は、ロシア帝国、ソビエト連邦の神秘思想家。そのセルゲイ・ニルスの書いた書籍にあったものがシオン賢者の議定書の基となった陰謀論である。

そのセルゲイ・ニルスの思想主義の基になった陰謀論が古くから言われ続けていたユダヤ陰謀論。宗教と民族差別が融合した、ナショナリズム的人々の感情がその陰謀論を伝言ゲームのように膨れ上がらせてきた。

更に300人のオリンピアンズの内容として書籍を執筆している陰謀論者がいた、それがドイツのユダヤ系実業家、政治家、作家として活動していたヴァルター・ラーテナウ (1867年9月29日~1922年6月24日)

それを基に語られたのがジョン・コールマンの300人委員会であり、更にそれを日本で広めたのが、ニューエイジ思想主義者や、政治論者や陰謀論者等に崇拝されている苫米地 英人氏のような人物。




陰謀論とは偏った思想主義を持つ人々が伝えてきた伝言ゲーム。その300人のオリンピアンズを独自の言い回しにして執筆したのがジョン・コールマン。それを単純に考えてみてほしい、それはMI6時代に突き止めた国家機密のような情報ではなく、古くから言われていた陰謀論の焼き回しのようなものだった。

それが元MI6であると自称する者が語る内容だとするならあまりにも滑稽、陰謀論でしかない物事を話し自身をMI6と自称するのは、はっきり言って幼稚。

本当のイギリス政府の国家機密を話したなら、スノーデンのように容疑者扱いをされ追われるはずだが、彼はのうのうと生きてきた、堂々とそんな陰謀論を世界中のインターネット上で広めてこられているのにも関わらず。元MI6と自称したのは自分の話に箔を付ける目的、それは嘘だろう。

しかしなぜ苫米地 英人氏ともあろう、IQが高いと自称するほどの人物が、そんな程度の事すら見抜けなかったのか、今だに信じているのか。自分にはそれも不思議で仕方がない。


ユダヤ陰謀論とは、グノーシス主義を引き継ぐ、フリーメイソンやイルミナティに属す悪魔崇拝思想主義者達の隠れ蓑として使われてきたプロパガンダである。そのハザールマフィア陰謀論やユダヤ陰謀論自体がカモフラージュであり、本当の陰謀の本質はユダヤ人、ユダヤ教とはまったく関係ない、ユダヤ教やキリスト教、イスラム教の裏で秘密裏に暗躍してきたグノーシス主義者、その密教徒による陰謀となる。

300人のオリンピアンズに関してはギリシャ神話の神を無理矢理陰謀論にこじつけた話、そして新世界秩序に関しても当時のSF作家の話が基になっている。今で言う、映画マトリックスを実際の陰謀論と無理矢理こじつける、ような事。

しかし陰謀論は基本的に自作自演なので、その新世界秩序、ニューワールドオーダーは実際の悪魔崇拝者の陰謀になる。それがちゃんとヨハネの黙示録の中でも語られているし、偽ユダヤの文言まで、不思議なほど詳細に、ちゃんと聖書に記されている。それを誤魔化すために仕込まれてきた陰謀論の数々が古くから語られてきたユダヤ陰謀論やハザールマフィア陰謀論、ユダヤ人であるセガリアシッチンのアヌンナキ宇宙人陰謀論や、デービットアイクのレプティリアン陰謀論など、そういった個人思想や想像、創作等が多く紛れ込まされてきた。

だからユダヤ陰謀論やハザールマフィア陰謀論等を固定概念化させてると、本質的なものを見落としてしまう、そればかりに集中し、そこにアポフェニアやパレイドリアといった心理作用が加わり、何でもかんでもその陰謀論に結びつけてしまい、更にエコーチェンバーやフィルターバブルに陥り、より深くはまり混んでしまい、それが絶対としてしまう。

だから悪魔崇拝者の使う黒魔術、巧みな騙しの罠に簡単に引っ掛かってしまう。

はっきり言えば、今の自分から見たら、世界中の陰謀論者が1人残らず浅はかに見える。

それで、自分の語る話を何も知らない、知ろうともしない陰謀論者、政治論者に遭遇すると、あまりの無知さと思慮深さの無さに、いつもため息が出る。挙げ句、もっと勉強しろだの、あなたがカルト的だの、悟ったつもりになってるだの、よくいる共産主義思想だの、もう笑うしかないような低次元な言葉をぶつけてくる。

それが蛇が禁断の果実によってアダムとイブに植えつけた羞恥心から発生する善悪を利用した承認欲求の怒りであると、いちいち説明するのも面倒くさい。


だから、やはり口はどうしても悪くなってしまう、いくら自分でも、やはりカチーンとは来てしまう。いっそのこと最初から偉そうに接し、何も解らない子供を相手にするように、強めの口調で言った方が良いのか、それとも子供相手に話すように優しく接するか、どちらが良いのかと最近思い始めている。


それとも、もう自分は何も言わない方が良いのか、ほっとくべきなのか。確かに、人々が選ぶ道、自分がとやかく言ってもきりがない。それでも自作自演の陰謀論として、新世界秩序は必ずやってくる。

本当にそれで良いのか、人々は広い門へと続く蛇の道を進み行く。そんな人々がその道を選ぶなら、自分も仕方なく後からついて行くしかない。自分だけが神の道、狭き門へは行けない、蛇の道を歩いて行く人々の後ろ姿が、どんどん自分を追い抜いて行く。

そっちじゃないよ、ダメだよ、どんなに言っても、みんなそっちに誘導される。悲しいこと、とても。だから自分はいちばん最後尾で、人々の後をついて行く。

別に見える神の道、光はどんどん遠ざかる、手を伸ばしたい、でもできない。そっちに行きたい、行きたい。でも、愛する人が別な道を選ぶなら、自分は、光には迎えない。


全ての人々と、、この運命を共に。




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