見出し画像

あだ名。

ニックネームってあるよね。

懐かしの’ニックネーム”ってあるよね。


私にもありました。

懐かしのニックネームで私の名前を呼ぶのは、学生時代の旧友のみです。

ほぼ全員がそのニックネームを発し、自分が振り返る。

そういうことは歳を重ねるごとに減りました。

高校時代には少数になり、それが最後になるんでしょうかね。

これは一般的な 呼び名 の話。

別な話。’あだ名”。

あだ名ってあったよね。

ないですか?

ありました私。

なんでそうなるの?!っていう変なあだ名つけられて、意味わかんない!!!✖️100

 とかいう当時の表現方法が妥当なような感情でガチギレしてたけど、まあ幼い自分はまだ可愛いような怒り方だったんだろうな、ってそう思ういま。

まあ本気で嫌だったけど。

でも嫌な気持ちで言われてたわけではないと思う。

反面、どうでも良い人が勝手にそのあだ名で私の名前を呼ぶ。

あなたじゃない。

著作権はあなたじゃない。

ましてやあなたが思う私に対するその呼び方、それは違う。

そうじゃない。それじゃない。


気づけばそんな風に思うこともあった。

嫌だったのに、愛しくなる。

もう呼ばれない。呼ばれることはない。


ふと聞きたくなる。

この先、自分で教えることでしか手に入らないニックネームを知る人はいない。

旧友が教えれば手に入るけど、それはない。

呼び捨てでいい。

呼び捨てでいいの。

「〇〇」 「〇〇ちゃん」 「〇〇さん」


それでいい。

考えてつけてくれるって素敵なことだよね。

相手に嫌な思いをさせることはだめだよ。

だからそこの判断は弁えてね。

けれども、そうやって笑って、何度も、何度も

呼ぶあなた。

わからない。わからないけどどこかで変わったんだ。

遅くなったけど気づいたんだ。

ありがとう。

元気だったよね誰よりも。

私も元気をもらってた。

ありがとう。

私の名付け親、ありがとう。

ふと思ったから書いてみました。


自我の確立、なんだかんだあなたで埋めつけられてたんじゃないかなって思う。

どこかできっと望んでる。

そんな人にまだ会えてない。

そんなこと、みんな知らない。

知らなくていいよ。

変わったようで、変わってない。

大人な自分なんて疲れた。

ばかにしてよ。

ばかで自由で でも本当は寂しくて強がって きっと一番先に現実を見ていて、苦しくて、

分かった気になってるけど知らない。

でも、知りたかった。

強さ 優しさ 教えてくれたね。

なんでこんな話してるんだろ。笑

思い出すわけじゃない、

あだ名 の話。

当時の、過去の、どこかの誰かにもあるかもしれないような、そういう話。


ありがとうね、


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?