【小説】あかねいろー第2部ー 60)ここからが僕の秋
月曜日の診察で、完全に復帰へGOサインが出る。
「もう大丈夫」
ということだった。
8月の半ばの栂池合宿の3日目。骨折をして2日目の夜、大町の病院でのことがよみがえる。あの日感じた行き場のない思い、その沈み切った気持ちの塊は、気にしないようにしていたけれど、確実に僕の中にあり、確実に僕の心を蝕もうとしていた。それを、一人の看護師が救ってくれた。あの日の夜のことを考える。彼女は何をしているだろうか。
彼女は、これは呪いなのだ、と言ってくれた。そして、それは必ずいつか振り払われるものだと。
今日、その呪いは、完全に僕の上から去った。
火曜日からは全ての練習に全力で参加する。もう、コンタクト以外は十分に準備はできていたけれど、思いっきり肩から全力で当たれる、その感触が心地よい。コンタクト練習で、気持ちがいいなどと感じたのは初めてのことだった。そして、休んでいた間に、下半身のトレーニングをしっかりと積み上げたためか、あるいは、単に力が有り余っているからか、僕のコンタクトは随分と「どすん」という音が大きくなったように感じる。
ベスト16の戦いは、次の日曜日に同じ会場で行われる。相手は県北部の廣川西高校。公立の学校で、たまにベスト16くらいまでくるものの、北部ではいい選手は廣川工業や朝丘に取られてしまうので、あくまでここまでのチーム。今年のチームも、部員が18名で、初戦は合同チーム相手になんとか勝ち上がったというところだった。僕らの初戦、大苦戦した大沢南に比べても数段レベルが落ちる相手だ。
そういう状況なので、次の試合については、僕はリザーブに回ることになる。大沢南戦で十分に通用した新田が引き続き先発で、僕は後半、残り15分くらいのところから交代で出る、そういうプランになった。
僕としては、もちろん、スタートから出たいところではあるけれど、フル出場する必要性もないのと、あくまで本当の復帰は、ベスト8、桜渓大付属との試合であり、この試合はそのための調整という位置付けに納得はしていた。
10月の最初の日曜日は、先週と同じような深い鮮やかな青空で、県北の会場にしては珍しく風も穏やかで、絶好のラグビー日和だった。
僕らの試合は、第2試合で、第1試合では第2シードの廣川工業が戦っていた。アップを終えた僕らは、残りの15分くらいにスタンドに上がり、彼らの試合を見る。得点はわからないけれど、とにかく廣川工業のギャラリーが大盛り上がりというか、けたたましかった。応援団に、父兄に、生徒たちの大声援が今年も響き渡っている。去年の最後、ロスタイム、僕はこの声援のことをよく覚えている。この声援で、グラウンドの雰囲気は完全に廣川工業のホームと化し、僕らは全くのアウエーでの試合をしているようだった。そして、レフリー陣もその雰囲気に影響されているように思えたものだった。
今年もそういう時が来るはずだ。ベスト8で桜渓大付属に勝てば、準決勝で廣川工業と、決勝では朝丘と当たる。僕らに地の利はない。単に彼らを上回るだけではダメなんだ、圧倒できる力がなければいけないんだ。そんな思いを新たにする。
僕らのベスト16の相手の廣川西も、地元ということもあり、応援と思われる人たちは随分と多かった。けれども、廣川工業のような強豪校としての熱量はない。頑張った3年間の最後の試合をあたたかく応援しよう、そういう雰囲気だった。
「今日は絶対にノートライに抑えよう」
これが、僕らのテーマだった。
しっかりFW中心に戦えば、勝つことは問題ないし、それなりに点差もつくだろう。大沢南のように苦戦をする要素はほとどない。だからこそ、この試合に意味を持たせるのは、得点を取ることではない。小さな綻びも許さない、1つのトライも許さない、隙のない完璧な勝利を目指すこと、それしかなかった。
「今日は基本的に、無理をした展開はしない。自陣では蹴っていこう。敵陣でも、俺らの強いところで勝負しよう」
「バックス陣と、FWの特にバックローは、常に、自分たちのミスからのブレイクを頭に置いておこう。そういう時があっても、一発でトライまで行かせない、そこを絶対に頭に入れ続けていこう」
リザーブメンバーも含めて、この点をしっかり念押しして試合に向かう。
僕らのキックオフで始まると、彼らはSOから蹴り返してくるも、あまり距離が出ず22mを少し出たくらいのところで、早速僕らのマイボールのラインアウトになる。ここをしっかりキャッチすると、まずはじっくりモールを組んでみる。相手もわかっているので、頑張って当たってくるものの、一人一人が、自分一人で当たってくるだけなので、あまり用をなしていない。サイズでも2回りも3回りも上回る僕らが、逆にぎゅっと小さく小さくモールを組んで、ぐりぐりと前に出る。前が開けて崩れそうになると、最後尾でモールをコントロールしていた一太が右にボールを持ち出していくと、その前には誰もいず、10mと少しを走り切ってあっという間のトライになる。
次のキックオフからは、小道が大きく相手陣に蹴り込んでくる。キック力ではかなりの差があるので、彼らも蹴り返してくるのだけれど、どうしても僕たちが陣地を押し戻す形になる。そして、最終的に僕らのマイボールのセットプレーになると、そこから一気に崩し切ってしまう展開が続いた。
前半だけで7本のトライを浴びせ圧倒する。
ただ、廣川西からすれば、この程度のことは想定内で、点差が開いても彼らの目の色はさほど変わらない。彼らが目指してるのは勝利ではない。1つのトライ、1つの好プレー、1つのナイスタックル。彼らは彼らで、この最後の試合に、青春をかけている。
後半も同様の展開が続く。僕らは、後半から4人メンバーを変え、2年生の数を増やす。彼らにとっては、貴重な公式戦の経験になっていく。点差はあっても、こういうメンバーたちは、全身全霊をかけて試合に臨むので、チームとしての勢いはまるで落ちないどころか、逆に元気になっていく。
60差のついた後半15分に、僕は新田と代わりグラウンドに立つ。
十分に練習はしてきたけれど、試合の場に立つのは、実に50日ぶりくらいだ。スタンドのメンバーたちからは「よーしーだー」の大合唱が響き渡り、僕は小さく、ごく遠慮がちに手をあげる。
ここからだ。
少し長めの芝生に右手を触れて、感触を確かめる。そして、その緑の草息を吸い込む。
僕の青春はここからだ。僕の秋はここからだ。
最初のボールタッチはすぐにやってきた。自陣10m付近から、廣川西のフルバックが大きく蹴り込んでくる。それを、グラウンドほぼ正面でとった僕は、右にいる笠原を少しみる。案の定彼は、「俺にくれくれ」と言っている。みるだけ無駄だ。彼は、いつだって、どんな時だって、自分にボールを回せ、そうすればトライになる、としか思っていない。
そんな彼の様子を確認して、数m前に出てから、相手のオープンサイドの奥、右奥に大きく蹴り込む。今日は、無理をしない、固い試合運びをすると、みんなで決めたのだから。走りたい、相手にぶちかましたい、そんな気持ちを、自陣では封印する。
結局試合は、僕らにとっては大きなピンチらしいピンチもなく、77ー0で終了した。ほとんど自陣で試合をした時間はなく、相手も、ボールを蹴っても、さらに大きく蹴り込まれるし、かといってボールを回しても、流石にそこは力の差があって勝負にならず、なかなか打ち手がなかった。その上、僕らは、ファーストチョイスはほとんどFW周りでのアタックに終始したの、展開をしてミスが出て、大きなゲインをされるというようなこともなかった。
無難な勝利。そして、隙のない勝利。強みをしっかりと活かした勝利。狙い通りの試合を遂行できた。
今日は、同じ時間帯に第2グラウンドで桜渓大付属の試合があり、高田ら数名がそちらの試合に行きビデオを撮っていた。高田によると、
桜渓大付属のタウファは、一人で6トライもとったということだった。絶好調というか、調子の問題ではなくて、彼がボールを持つと、いわゆる力の差のある学校だと、誰も止められない、そのくらい力の差がありすぎるようだった。
「うん。普通に元気そうだったよ」
桜渓大付属は、タウファをセンターに据えて、90ー7で圧勝していた。フルバックの時よりも、センターにいると、タウファのボールタッチの回数が明らかに多くなっていた。
テスト期間を挟んだ2週間後、ベスト8は、彼ら、桜渓大付属との戦いになる。
改めて僕らは、その事実を噛み締める。
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