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【小説】あかねいろー第2部ー 72)続く夢。2通のLINE

  着替えを済ませて、スタンドに上がり次の試合を見る。
 第2シードの廣川工業が東地区の進学校を蹂躙していて、前半だけで40点以上の得点をあげていた。彼らにとっては、この日の試合は通過点にしか過ぎない。もっと言えば、次の僕達との試合も通過点でしかない。花園進出ですらゴールではない。彼らのゴールは、常に花園の優勝だ。流石にそこまでは難しくとも、花園でシード校になりベスト8まで行く、このくらいが彼らにとってのゴールのはずだ。
 僕らの試合の興奮をよそに、少し小雨になった雨の中、面白くもなさそうにトライを重ねていく。雨だから、多少のハンドリングのミスはしょうがないように思えるのだが、ボールをこぼすと、味方同士で怒号が飛んでいた。
「いくか」
なんだか興醒めした気分の一団に、一太が声をかける。廣川工業が強いのも、圧勝するのもわかっている。力の差のある相手との試合を見ても、特に得るものはない。

 駐車場にはバスが来ている。
 去年は、廣川工業によもやの逆転負けを喫し、この駐車場で、みんなで呆然としていたところに、高田が目を覚ましたという知らせが来た。
 あの時から僕らの新しい物語は始まった。
 そして、今日、そのリベンジストーリーは1つの幕を閉じる。僕らは去年の忘れ物を取り返した。最高の形で、だろう。
 だから、ここからは新しい未来を切り拓かねばならない。
 ベスト4。そして、決勝へ。まだ見たことのない景色を見に行かなければならない。
 試合後の興奮の波が引き、廣川工業の厳しい姿勢を見て、行きと同じバスに乗りながら、僕らは、新しい世界へ踏み出していく。確かなその感触を踏みしめる。
 バスが発車する。街を抜け、大きな川の橋を越え、左右に時折工場が見える以外、特に何もない国道を走る。そうして、スタジアムが遠ざかり、代わりに僕らには、来週の試合への思いが、来週の試合が現実にあることが、重たくのしかかってくる。
 ここで終わりではない。来週があることが、喜びではなくて、新たな恐怖、新たな地獄となり心を締め付ける。廣川工業のフィフティーンの鬼軍曹のような顔立ちがよぎる。
 ここが始まりなんだ。もう、今日の試合にうかれている時間は過ぎ去った。
「帰ったら、体ほぐして筋トレするか」
小道が僕にいう。
「だな」
窓の外を見ながら頷く。
 夢にまで、何度も何度も描いた夢は、実現してみれば、そこに辿り着いてみれば、あっさりと次の夢へと置き換わっていた。

 学校に戻ったのが14時過ぎ。明日の練習や、次の1週間のスケジュールの確認をしてから解散する。ただ、2、3年生のレギュラー組は体育館で筋トレをし、残りの1、2年生は、どういうわけか、近くの沼までランニングをしに行った。小雨の中、往復10キロ近い距離を、ジャージに着替えてみんなで出て行った。
「僕らも、何かしたいです」
ということだった。熱さというのは、伝染病らしい。

 沙織からLINEが来たのが16時ごろ。津雲詩音からLINEが来たのが17時ごろ。僕らはまだ体育館にいたので、そのLINEは通知だけ見て、本文は開かなかった。
 体育館を出たのが17時半ごろ。帰りの電車も数名と同じ方角なので、最寄りの駅で1人になったのが18時半。秋の日はとっくに沈み、すでに十分に暗い。日曜日で、夜の駅から丘の住宅街に向かう人は少ない。
 2台しかない改札の右側を抜けて、コンビニもない駅を左に出て信号機を急いで渡る。100mほど右に歩き、小さな路地を左に入り、急勾配の坂道を登る。街灯はまばらで、平成初期に建った戸建てからの灯りがわずかに道に注ぐ。前後に人はいない。
 そこまで来て、僕はLINEを開く。どうしようか迷うけれども、まずは沙織からのLINEを見る。
 鼓動が激しい。
 BMPは試合前よりも高そうだ。
”すごい試合だったぁ!おめでとう!”
”最後の吉田くん、ちょっと、私の知っている吉田くんじゃなかったな”
”ラグビーって、すごいのね。こんなにドキドキしたのは、もしかしたら生まれて初めてだったかもしれない”
”来週も頑張って”
”まあ、言わなくたって頑張るだろうけど”
”ゆっくり休んでね!”
ここまで一気に来て、そこから20分くらいしてから、もう1つ来ていた。
”弟がね、ラグビーやりたいっ、て。バカだねー男って”
その後、なんだかわからないスタンプが付いていた。
 そこまで読んで、スマホの画面を消す。そして、森の上の、わずかに藍色に見える、夜空を見上げる。
 僕は何かを期待していたのかもしれない。彼女のメッセージは、少し物足りなく、しかし、最後の一言は、これ以上なく僕の心を揺さぶった。ラグビーをやってきて、今が一番感動しているかもしれない。
 やろうぜ、ラグビー。最高だよ、最高。感動も、しんどさも。全部。
 
 坂道は途中で小さなクランクを経て、中学校の校庭の脇まで登っていく。夜の学校はいつも以上にしんとしている。虫の声さえ、少し控えめに聞こえる。
 津雲詩音からのLINEを見るのには、もう一度ためらう。
 見たいし、見たくない気持ちが行き交う。沙織と同じだ。僕は詩音に期待している。異性としての何かを期待している。同時に、そのような自分を否定している。僕らはそんな関係ではないし、なるべきでもない。その気持ちが行ったりきたりしているうちに、中学校の正門を過ぎ、僕らのニュータウンの階段に差し掛かる。もう家まで5分もしない。
”私はとっても複雑です。タウくんが負けてしまって、それからの1時間くらいは、チームのみんながずっと泣いていて、タウくんがみんなんに”ごめんごめん”って一人一人に謝っていて。負けたのはタウくんのせいじゃないでしょ? なのに、彼は、涙一つ流さず、ずっとみんなと話をして、ずっと謝っていて。それで、みんな、彼と抱き合って、日本代表になれよとか、大学でも頑張ろうぜ、とか色々。そんなロッカールームの端っこで、私は何もできなくて。ただただ、みんなを見てメソメソしているだけ”
”全部、吉田さんのせいですよ”
”責任とってください!”
彼女からのメッセージはそこで終わっていた。
 読解力が欲しい。僕には、沙織も、詩音も、なぞかけをしてきているようにしか思えなかった。 
 もちろん、怒っているわけではないだろう。それくらいはわかる。彼女のラグビー理解力は高い。僕の最後のプレーが、お互いにとって最高のプレーだったことくらいわかっているはずだし、それこそラグビーだということも、十二分にわかっているはずだ。
 負けたチームのロッカールーム、そこでのタウファの美しさには、僕も心を動かされるけれど、だからと言って、それ自体が想像もできないような出来事でもないだろう。
 全部、僕のせい?
 全部?
 この試合、桜渓大付属が負けてしまったのは、もしかしたら、僕のプレーによるところも結構あるかもしれない。でも、それ以外に、僕に何の責任があるというんだ?

 もうすぐ家に着く。うちの両親は、今日はテレビ中継で試合を見ていたはずだ。特に何の連絡もしていないけれど、なんだかんだ僕の帰りを心待ちにしているだろう。少しこそばゆいけれど、あれこれ質問されると思うと煩わしい感じもする。それに、僕は今、心がとても温かいんだ。
 少しだけ回り道をしよう。緑道を右に行くところを、左に行き、夜の中央公園へ進む。誰もいない公園を進みながら、スマホを取り出し、2人への返信を考える。


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