見出し画像

【小説】あかねいろー第2部ー 58)まさか

  結局前半はそのまま7点のビハインドで終了した。終盤にかけて、僕らはFWで圧力をかけ、モールを押し、サイドを執拗についたけれども、大沢南の気迫の、鬼気迫るタックルに、もう一息というところでミスを繰り返し、前進はすれどもゴールラインを超えるまで継続しきれなかった。大沢南のタックルは全体的に少し高く入ってくるように感じ、それも僕らにとってはストレスになった。浅岡は顔近くに肩で入られ激昂した。ただ、その程度のことはいつの試合でもありそうなことではあった。

 控室に引き返してきた15人は僕らが思っている以上に沈鬱としていた。全体としてうまくいっていないこともあるし、一太が言ってしまった一言が不協和音を引き出してしまっているようにも見えたし、どこか大沢南の気迫に押されてしまっている、雰囲気で飲まれてしまっているような様子にも見えた。
「タックル高いだろ、あいつら。やばいって」
浅岡が興奮気味にいう。
 確かにそういう場面は何度も見られた。ただ、普段の僕らならば、そのくらいは跳ね返せるはずだ。
「とにかく、後半はFWで徹底していこう。高田、どう?」
外からの戦略的な分析は高田に任されている。
「それでいいと思う」
高田は迷いなくいう。トライを2つ取られたとはいえ、いずれも、崩されたり力で押し切られたりしたものではない。しっかり自分たちの強みを出していけば大丈夫だろうという思いに揺らぎはなかった。

 ドリンクを飲んだり、浅岡や一太はゼリータイプのカロリーメイトを飲んだりしながらコンディションを整える。バックスに対しては、僕から「アウトサイドセンターとウイングの間のスペースを狙ったら」
と伝える。陣形的には、明らかにそこが空いているし、13番は、外への展開を防ぎたいためだろうけれど、少し被せ気味に一人で出てきていて、それが中途半端なので、清隆ならば十分にプレッシャーを受けても捌ける、外に繋げるだろうと思えた。そこに、笠原や新田が走り込めば、大きなゲインができるのは間違いない。モールが止まった後や、アドバンテージをもらっているところなどでのスペシャルプレーとして確認をしていく。
 後半に向けて15人がグラウンドに散っていき、僕らはスタンドへ上がっていく。その途中の階段では、同様にロッカールームから引き上げてくる大沢南の関係者とも一緒になる。
「木田先生、つらそうでしたね」
2段下、斜め後ろを歩く二人組の大人の会話が聞こえてくる。
「試合には来ないんじゃないかと思いましたけれどね」
「奥様を亡くされてはしょうがないですよ、、しかもあんな事件で」
「生徒たちも大丈夫ですかね、メンタル。みんな笑顔ないし、ロッカールームも通夜のようじゃないですか」
人の話の盗み聞きなど・・・とは思うのだけれど、その会話に耳をそばだてずにはいられなかった。木田先生というのは、大沢南の木田監督に間違いないだろう。県内のラグビーのコーチとしては有名な先生だ。僕らも何度もあれこれと話をしたことがある。奥さんが亡くなった、事件?
 席に戻るとすぐに、スマホで検索をしてみる。しかし、なかなかそれらしい事件の報道は見当たらなかった。
 おそらく、彼らの喪章のわけは、木田先生の奥さんが何らかの形で急死されたことに対しての弔意ということだろう。そして、彼らのこの試合に対しての、少し不自然なリアクションの原因もおそらくそこにあるのかもしれない。
 僕はスマホをしまい。グラウンドを見る。後半は僕らのキックオフで、中央には小道がボールを持ってホイッスルを待っている。大沢南の15人もそれに対して布陣を敷き待っている。木田監督は、スタンドではなくグラウンドサイドに立ち腕組みをしている。
 彼らは何を考えているのだろう。何を言われているのだろう。どんな思いでグラウンドに立っているのだろう。
 奥さんを試合直前に亡くした先生。その先生が、最後の大会に挑む生徒たちにどんな言葉をかけ、それを聞いた生徒たちはどんな思いで試合に向かっているのだろう。
 当たり前に試合に向かい、当たり前に勝つことだけを考えて、そこに集中している僕らの心には一点の曇りもない。まるで今日の青空のようだ。秋の快晴のように澄み渡っている。しかし、大沢南のメンバーは違う。全く違うはずだ。3年間の総決算の試合の前にやってきた指導者の不幸。その不幸を背負って彼らは戦っている。僕はそのコントラストに慄然とする。
 なんと残酷なことか。
 同じラグビー、同じ高校生。同じグラウンドに、同じ青空。だけれども、僕らと彼らが直面している状況は全く違う。あまりにも違う。その違いは、高校生たちに何をもたらすのだろう。
 後半のキックオフのボールは、大沢南の8番がキャッチすると、彼は躊躇うことなく、真っ直ぐに蹴り返してくる。それに対して、大沢南のウイング、FWたちが猛然と追いかけていく。その様子は明らかに「狙いを持った」ものに感じられた。
 キックは意外とのび、清隆がキャッチをすると、「当たれ!」という誰かの声に促されて、彼は真っ直ぐにプレッシャーの壁に向かっていく。腰の高い彼のあたりは、強さはないけれども、うまく相手のタックルの芯を外す感があって、上手にボールをいかす。一人目が彼の太ももあたりに絡んできて、清隆は右からくるだろうFWを感じ、オフロードできるかどうかを探る。その瞬間。彼の頭付近に、大沢南の黄色のジャージが飛び込んでくる。清隆の顔の左に腕が強烈にヒットし、彼は腰からひっくり返る。
 すぐにレフリーが笛を吹く。もちろん、ハイタックルのペナルティだ。ただ、そのタックルは、僕らには意図的に見えた。見えた、というよりも、間違いなく意図的だった。「高くともいい」という思いを持っているのは間違いないように見えた。
 清隆は明らかに頭を強打しており、少し立ち上がれなかった。
「ヘッドインジャリー、ドクター入れて!」
レフリーが時間を止めて、大きな声でメディカル方向に向かって叫ぶ。清隆の周りには人だかりができる。
「触っちゃダメだよ、動かさないで!」
レフリーが選手たちを制する。
 その向こうで、浅岡がたまりかねたように、タックルをした大沢南の6番にくってかかる。190センチ120キロが170センチくらいの6番の前に立つ。
「ふざけんなよお前ら、わざとやってるだろ、前半から」
実際のところ浅岡はチキンハートなので、手を出したりは絶対できない。でも、絵柄だけ見れば、大男が小さい相手に迫っている図に見える。一気に大沢南の生徒が集まり、それを見て僕らのFWも集まっていく。
「おい、君たち、そんなことしている場合じゃないぞ!」
レフリーの先生が怒気を込めていうが、彼は今清隆にかかりきりだ。
「謝れよ、お前。完全なハイタックルだろ。ふざけんなよ」
浅岡が6番に迫る。しかし、6番は浅岡を睨め付ける。
「バカじゃねえのお前。死ねよ」
6番から出てきた意外な言葉に、一瞬集まったメンバーが静まる。彼の言葉の意味、意図を図りかねる。しかし、次の瞬間、そんな意図など関係なく、新田が脊髄反射する。
 輪の少し外にいた彼は、輪を掻き分け、一直線に6番に向かい、6番の胸ぐらを掴む。
「お前が死ねよ。清隆に何やってくれんだよ!」
一太と浅岡が慌てて新田のジャージを掴み、引き離そうとする。しかし、相手からも新たに11番が加わってくる。小道も加わって、何とか新田を引き剥がそうとする。
「なんでっすか、なんでっすか、あいつが悪いんじゃないんっすか」
スイッチの入ってしまった新田が喚き続ける。
 ようやく、大沢南も、キャプテンの8番が6番を羽交締めにして、輪の外にへ連れ出していく。連れ出されながらも、興奮したまま何かをずっと叫んでいた。

 そんな喧騒の彼方側では、清隆がドクターに囲まれていた。高田がスタンドから走っていき、吉岡先生もグラウンドへ降りていく。幸い意識はあるし、体も動くようだけれども、脳震盪の疑いはかなり強いので、「動かさないように」ということで、8人ぐらいの大人が出てきて担架に乗せられていく。ピッチでは22番の2年生のセンターの村田が準備をする。彼は彼で、2年生の中ではNO.1のレベルのラン能力を持っている期待のプレイヤーだ。清隆の代わりであっても不足はない。ただ、公式戦の出場は初めてだった。急に巡ってきた出番に、彼は元気にベンチコートを脱ぐけれども、その表情は明らかにこわばっていた。花園予選だ。初戦だ。しかも、まだ負けている。
 
 二つの事件が同時に起こり、随分と長い時間プレーは中断した。大沢南の6番にはイエローカードが適用され、彼はシンビンとなる。そぞれのチームのキャプテンが呼ばれ、レフリーから長い訓示が与えられる。キャプテン同士がしっかりと手を握ってから分かれ、チームの輪に戻りそれぞれがレフリーからのコーションを伝える。
 ただ、その様子は対照的だった。
 僕らは神妙に一太の話を聞き、そして浅岡が反省の弁を述べ、そして今一度気合いつける。よくある普通の光景だ。
 それに対して、大沢南は、小さな輪になり、誰も喋らない。ほぼ無言でキャプテンの話を聞いている。そこには、殺気のような、武士が死地に向かう前のような悲壮感があった。少しして、彼らは全員が握り拳をひと所に集めて、それをグッと押しつけ合う。声はない。

 試合は僕らのペナルティキックで再開する。小道が22mの少し内側に蹴り込み、マイボールのラインアウトになる。マイボールはキャッチできたものの、モールは崩れてしまい、サイドをついていく。小さな前進をくりかして行くものの、なかなか決定的なブレイクができない。大沢南の一人一人のタックルが、引き続き少し高く、強いので、僕らはそのタックルになかなか前に出ていくことができない。最終的にゴール前5mくらいまで行ったところで、無理してオフロードをしようとしてノックオンをしてしまう。
「レフリー、ハイタックルじゃないですか?」
一太がたまらず不満を漏らす。しかし、レフリーは首を振る。一太の不満げな顔は、レフリーには面白くなく映ったかもしれない。
 スクラムはプッシュするも何とか大沢南がボールを出し、キックでテリトリーを挽回する。
 こんな展開が後半10分程度続く。彼らは、ラインアウトを競るかわりにモールを崩しにきており、なかなかモールが組めず、サイドアタックは大きなブレイクができない。とにかく、大沢南はタックルに賭けているように見えた。一人一人のタックルが強く、しっかりボールを殺しにくるので、なかなかいいリズムでつなげない。バックスもかなりラックサイドのディフェンスに巻き込んでいるし、一人少ないわけで、僕らとしては一気に外に回せばトライを取れる!という気持ちがあったが、僕と清隆、二人の核のいない状態では、積極的に展開をしよう!という声もかかりにくかった。
 後半20分前に、ようやく、ラインアウトからモールがしっかりくめ、10mくらい押し込んでいく。たまらず相手が崩しくるな、というタイミングでモールを右に動かして一気に加速していく。ようやくゴールラインを超える。 
 しかし、ゴールキックは、右端の難しいところからということもあり外れてしまう。
 12ー14。
 残り10分弱。相手も15人に戻っている。僕は手に汗をかき出す。まさか、がよぎり出す。
 中心選手二人を欠いているバックスにはなかなか回しにくい。FWは徹底してモールを研究されている。そして、タックルについては、大沢南は何かに取り憑かれたような、鬼気迫るものを続けている。会場は、盛り上がるというより、何か張り詰めた緊張感に包まれている。大沢南のギャラリーが大きく盛り上がるということもない。僕らのスタンドからの怒声とため息ばかりが目立つ。
 こんなはずではなかった。僕らは大沢南レベルのチームに苦戦をするチーム力ではないはずだ。しかし、現実的に残り10分を切り2点差で負けている。
 このまま終わってしまったら、僕の高校ラグビー生活が終わる。最後の大会、試合に出ることもなく、僕の高校3年間の夢は散っていく。そんなことが起こりうるのだということは、考えたこともなかった。正直、一度もなかった。しかし、その可能性が現実のものとして目の前に迫っている。僕は、言葉が出なくなる。全身から血の気が引いてく。まさか、そんなことが。何も考えられなくなっていく。目の前の景色が色を失っていく。
 その時、少し後ろの1、2年生の席から大声が飛び始める。
「浅岡ーーー押せーーー」
「一太ーーー押せーーー」
「古道先輩、がんばれーー」
「新田、走れるぞ!!」
などなど、1、2年生がキックオフ前のメンバーに対して、誰彼問わず、大声を張り上げて鼓舞をする。先輩も後輩もない。全力で、腹の底から声を張り上げている。
 その声は、遠くグラウンドの15人に届いただろうか。
 少なくとも、僕には届いた。僕の心の中、奥深くにある、僕の闘争心にしっかりと届いた。起きろ、立ち上がれ、できることをするんだ!と。僕は、お腹の内側あたりから何かが湧き起こってくるのを感じる。そして、席を立ち、階段を猛スピードでかけおり、ピッチサイドに降りていく。
「小道、蹴るなよ!笠原と新田で絶対に振り切れるぞ!」
「一太、押せなくなったらバックス行くぞ!」
「新田、抜けた後、抜けた後だぞ。絶対に後ろからついてきているからな。活かせよ!絶対にいるからな、フォロー」
「村田ーー!13番ボコせ!お前の敵じゃないぞ!」
「笠原ー決めろよ!頼むぞ!」
今まで出したことのないくらいの大声で、とにかく伝えたいことを全力で伝えようとする。一人一人が、手を挙げて答えてくれる。スタンドからも60人の部員が全力で声を張りあげる。
 僕らは15人じゃない。25人でもない。80人だ。あと10分。80人で戦うんだ。一太がこちらを見て、親指を立てる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?