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【小説】あかねいろー第2部ー 70)最高のタックル

   SHからSOに向かってボールが出る。今度は10番は少しだけ前に出て、真横のタウファにボールを丁寧に丁寧に渡す。パスをするというより、文字通り、ボールを手渡す。僕らもそこに詰める。ライン間隔はより小さくしている。間を抜かれる可能性は小さい。ならば、彼のする選択はさっきと同じはずだ。
 タウファ。彼を倒さずに、彼を乗り越えないで先にはいけない。ここでトライを許せば僕の秋は終わる。僕の高校ラグビーは終わる。沙織、津雲詩音、いろんなものが消えていく。
 正面だ。正面から当たるんだ。タックルじゃない。正面から彼を倒すんだ。逃げるな、考えるな。自分の全てを賭けて、彼を向こう側に倒すんだ。僕にはその力がある。
 タウファは何を考えていたのだろう。焦っていただろう。きっと。後半30分間近で1点負けている。そして、その1点は、自分のペナルティとシンビンで取られたようなものだ。きっと、僕と同じように煮えたぎっているに違いない。
 タウファはボールを両手で持ち、僕はその少し下、彼の腰に目掛けて、正当なタックルをしにいく。まさに、タックルダミーにするように、一番入りやすいところ目掛けて、自分の一番美しいタックルをする。これだけの雨だ。ボールは滑る。その分、タウファはいつもと違いボールを両手で持っている。普段ならば片手で強烈なハンドオフをしてくるはずだ。しかし、さっきは、ボールを持った状態で僕を吹っ飛ばした。今度もいけると思っただろう。しかし、その分、腰の高い彼の、胸あたりに持ったボールの下、腰回りは、タックルに入るのに最高のゾーンになっていた。
 ここにタックル入ろうとすると、かなりの確率で上手に叩かれるので、僕らとしては、もう少し高い位置へ、ボールを殺しにいきながらタックルに行くというのが、タウファへの対策だったし、それはそれなりに奏功していた。
 が、僕は、それを忘れた。
 かように心は熱く、雨は強く、神はいたらずらだ。
 我を忘れた、迷いのない僕のタックルは、ちょうどすっぽり開いたタウファのみぞおちの少し下あたりに、最高の一撃で突き刺さる。真正面から、何の躊躇いもなく突き刺さり、そして後ろでパックをし、足をかきあげる。なんと温かい、彼の体はなんと温かったことか。初めて、ちゃんと彼にタックルに入れたと思う。濡れた、引き締まった体は、思ったよりも硬くはなくて、しなやかで、そして濡れたジャージはとても温かった。
 タウファは予想もしなかった衝撃に苦悶の色を浮かべ、そして、その衝撃に耐えられず、ボールは大きく前に弾かれてしまう。
 レフリーがアドバンテージを見ることもなく大きく笛を吹く。雨の向こうから、大きな歓声とため息が合わさって聞こえてくる。
 時間は30分過ぎ。
「あとワンプレー」
レフリーは左手を見ながら大きく声を出す。
 僕は、前のプレーの影響もあって少し頭がフラフラする。タウファへのタックルに入って、彼を飛ばすことはできていないけれど、彼にのしかかるように倒れていて、なかなか立ち上がることができなかった。もう一度目の前に火花が散る。かろうじて、彼がノックオンをし、スクラムになったことを理解する。でも、達成感や喜びはない。ただただ、タウファの柔らかい、温かい体の感触だけが残っている。
 なかなか立ち上がれない僕に、先に立ち上がったタウファが右手を出してくる。
「やられました」
タウファは、見た目とは違う高い、少し可愛いカタコトの日本語で話してくる。
 大きく息を吸い、右手を出す。彼は、僕を強烈な力で引き上げる。僕も弾みをつけて立ち上がる。
「ありがとう」
 少しだけ目を合わす。まだゲームセットではない。一瞬だけ顔を見て、すぐにお互いのラインへ戻っていく。

 僕らには、去年の廣岡工業との試合の苦い思い出がある。30分過ぎ、自陣ゴール近くのマイボールスクラム。全く状況は近い。去年は、ここで、このスクラムで痛恨のペナルティを犯し、不可解な判定だったとはいえ、最後の最後に捲られてしまった。
 でも、僕らは、もう、去年のチームのレベルではない。わかっている。最後のプレーで何をすべきかは。
 まして、スクラムは、今日は圧倒している。
「しっかりキープして、それからだそう」
一太と小道、そして岡野が確認してFWに、BKに伝える。
 桜渓大付属はスクラムに全てをかけて、ペナルティ覚悟で仕掛けてくるだろう。それを、しっかり受け止めよう。押す必要はない。押されすぎなければいい。それくらいのことならば、何ということはない。無理に相手の早じかけに対抗して、万が一でもペナルティを受けたら終わりだ。
 でも、それはこの状況では難しいことではない。僕らのスクラムは今日は絶対的に有利だ。
 レフリーの声がかかる。案の定桜渓大付属はボールイン前から押し込んでくる。50cmくらい、少し押し込まれる。でも、きちんとそれを受け止めてから、それを確認してから岡野がボールを入れる。桜渓大付属には、そこから2の矢の放って押し込む力は残っていない。
 NO,8の足元でボールをキープし、そのボールを岡野が持ち出し、パスをすることなく、タッチインゴールの向こうに蹴り出す。レフリーがそれを見て、大きく笛を吹く。
 15ー14。
 ノートライに押さえられたけれど、しっかりスコアを積み重ね1点差で逃げ切った。最後は、ゴールラインで相手の猛攻を、タウファの猛攻を、かろうじて防ぎ切った。
 1つ山を超えた。

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