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【小説】あかねいろー第2部ー 63)僕が力強くなれるのは、僕たち、のことだけ

  24時近くになる。
 普段は僕は、できる限り日は跨がないように寝る。朝は6時に起きる。そして7時半には学校に行き朝練をする。
 寝なければ、と思う。でも、何かが引っ掛かっている。誰かが僕を呼んでいるような気がする。まだ何か忘れている。何かをやり残している。出かける前に、何かやり残したことや忘れ物がないか不安になる、それに近い違和感を感じる。
 もう一度、小窓から空を見上げる。漆黒の夜空を。星は見えない。月もいない。
 沙織だ。
 沙織にLINEをしなければ。
 夏の初めの花火大会の時、彼女に、試合を見にきて欲しいと言った。彼女も、そうする、といった。僕らはそこから何かが始まりそうな気がした。けれど、彼女の話の重たさや、僕の怪我やらで、そして津雲詩音の登場で、彼女とのLINEはほとんどなくなっていた。でも今、僕の心のどこかの記憶が、僕のことをこんこんと叩いている。沙織にちゃんと連絡をしろ、沙織を忘れていないか、と。
 忘れていたわけではない。彼女も当然日程は知っている。大会が始まる前にその確認はした。ただ、実際、僕が試合に復帰し、しっかりとベスト8の日程と相手が決まってから、特段の連絡をしていないだけだ。
 しかし、津雲詩音からLINEがきて、危ういやりとりを彼女に救ってもらって、ちょっとしたジェットコースターのような時間を過ごして、そうした興奮の中で、僕は沙織のことを思わずにいられなかった。
 24時だ。躊躇する時間ではない。大学受験生はこんな時間に寝てなどいない。
”吉田です。10月19日、県立競技場で11時10分からの第2試合で、僕たちのベスト8の試合があります。相手は桜渓大付属で、これはなかなかの難敵です”
そこで一回深呼吸をする。既読がつくのを待つ。
”怪我も万全です。ぜひ、見にきて欲しい”
僕の心拍数は幾つだろう。ラグビーの試合中よりもはるかに上がっているように思う。さっきまで80もなかっただろうから、沸騰するかのような急上昇だ。病院にいたら、看護師さんがきてしまうかもしれない。
”知ってる”
沙織からの返信は、一瞬できた。相変わらずの口ぶりに少し心が緩む。
”見にいくよ。この日は、弟と一緒に行く”
そこにある、彼女の事情、彼女の気持ちに少し思いを馳せる。
”勝つよ。絶対”
彼女に言ってるというよりは、自分に言い聞かせるように送る。
”勝つとどうなるの?”
僕は一瞬固まる。何を言っているのだ。勝てば花園に近づく、準決勝に進むんだよ。後2つになるんだよ。そのための大きな大きな関門を突破するんだよ。そんなこと、聞く必要があることだろうか?
 でも、そんなこと、LINEする必要があるだろうか。そんなことわかっているはずだ、彼女も。それなのに、なぜこんなことを聞いてくるのだろう?僕の頭の中がぐるぐるする。それも、同じ方向だけではなくて、右にぐるぐるしたかと思えば、左に少し戻したりしながら、不規則な回りかたをする。
 勝つと、どうなるの?
 一体、これは、何を意味しているのだろう? 彼女は何が言いたいのだろう。
 時間が経つ。何か返信しなければ。でも、僕の頭は混乱し続ける。
”ごめんなさい”
”気にしないで”
”絶対に勝ってね。負け試合を見せられるのはごめんだわ”
詩音といい、沙織といい、なんだか僕の気持ちが手に取るようにわかるようだ。そういうものなのだろうか?この時分の女子と男子の関係は。
”2年前、負けちゃったからね。今度の方が相手は厳しいけれど、勝つよ”
僕が力強くなれるのは、僕たち、のことだけだ。僕自身のことになると、すぐに思考停止になってしまう。
”楽しみにしてる。遠出するのも久しぶり。天気が良くて、吉田君たちが勝ってくれたら”
勝ってくれたら?
”最高”


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