見出し画像

【小説】あかねいろー第2部ー 73)こんな自分に、生きている価値があるのだろうか?

 公園の道は、街灯に照らされてぼんやりと白い。200mほど歩き、大きな広場に出る。小さい頃には、ここでいつもいつも野球をやっていた。道路と反対側の、灯りからは遠いベンチに座り、夜空にすっとできた飛行機雲を見る。
 何から考えたらいいのだろう。僕らにとって、僕にとって、1つの夢を叶えた夜。そして、2人の女の子たち。僕は何を考えたらいいのだろう。黒さを増した夜空を見上げて、息を吸い込んでみる。
 僕は、自分の中で何かが引っ掛かっていることを感じている。それが何か、しっかりと自分の内側をのぞいてみる。逃げずに。隠れずに。
 向こうの道路を救急車が通る。丘の向こうには総合病院がある。

 僕は、自分に嘘をついているのではないか。自分を騙しているのではないか。あるいは、そのような、偽った自分で、みんなと接しているのではないか。
 僕の心の奥底にある違和感を言葉にすること、多分、こういうことだろうと思う。
 僕は、彼女たちからのLINEを開くとき、彼女たちからの恋のメッセージのようなものを期待してしまっていた。そして、はっきり言えば、僕らにとっての天王山である試合の前よりも、緊張していた。僕らの試合に、僕のプレーに対して、彼女たちからのロマンティックな言葉を期待していた。
 僕はそれを必死に否定しようとした。そんなわけはない。僕は、この日の試合のために1年間をかけてきた。高校生活をかけてきた。骨折をしてからの2ヶ月を捧げてきた。ラグビーが、その仲間たちが、僕にとってもっと大事なもののはずだ。そこに疑いの余地など一寸もないと思っていた。
 でも、そうではなかった。
 僕は、試合よりも、彼女たちからの言葉に期待をし、緊張していた。
 そして、そこにある言葉たちに、今、試合後の僕以上に動揺している。
 その事実に、そのような自分に気づくと、僕の腹の底に書いてある言葉を見つけると、どうしようもなく自分が汚らしいものに思えてくる。
 なんだよ、結局、綺麗事言っているけれど、女にモテたいだけじゃないか。ラグビーよりも女じゃないか。
 僕の思っていた僕は、まるで違う人間だ。昨年のリベンジを胸に、高田の思いを胸にラグビーに青春を捧げ、この1戦に全てを捧げる、そういう純粋なラグビー小僧だ。
 でも、そうではなかった。
 僕は、所詮、女子にモテたいんだ、モテない男の僻み根性でラグビーをやってきただけなのだ。

 喉が渇く。最後に水分を口にしたのはいつだろう? 試合後に、スポーツドリンクを2Lくらい流し込んで以来、何も飲んでいないのではないだろうか。口の中で唾液が粘度を増してくる。僕は自分で自分に緊張してくる。

 一瞬だけ、冷たい風が吹く。こんな自分に、生きている価値があるのだろうか、と。
 風は通り抜け、さっきまでは聞こえなかったマツムシの声が聞こえてくる。

 いいじゃないか、と思う。
 晴れた日に、海も綺麗だし、空も綺麗だと思うのはいけないことだろうか? 
 僕のラグビーに対する思い、そこかけてきた熱量に偽りはあるか? 何か、仲間を偽るようなことをしてきたか?
 絶対にそんなことはないはずだ。
 同時に、沙織に、詩音に好意を抱き、彼女たちと付き合ってみたいと思うこと、そのために、ラグビーでいいところを見せたいと思うのは、不自然なことだろうか?
 そんなことは、世界中の18歳になりたての高校生にとって、あまりにも自然なことではないだろうか。
 そして、そういうことに、迷い、苛まれ、苦しむことも。

 LINEの通知がくる。詩音からだ。
”さっきはすいません!変なと言ってしまって。だいぶ興奮してしまって。ほんと、すいません!”
迷う必要はないし、躊躇する必要もない。ただ、自分の気持ちに素直になるだけだ。
”大丈夫。返事が遅くなってすまない”
”勝ったからさ、次の試合に向けての準備をね”
少し嫌味を入れてみる。
”タウファに伝えて欲しいんだ。さっきはほとんど話せなかったから”
”絶対に花園行ってくるから。テレビで見ててくれ、って”
それでも、少しだけ躊躇する。でも、大きく息を吸い込む。
”詩音さんにも”
もう一度唾を飲む。
”次の試合も見にきて欲しい。今度は僕を見に”
もう、喉はカラカラに干上がっている。水が飲みたい。でも、まだだ。まだ帰れない。
”わお!ありがとうございます!絶対行きますね!”
”お疲れ様です!楽しみーーー”
詩音からのメッセージはすぐにやってきた。

 もう一つ。沙織にもLINEをしなければ。
 もう一度自分の中を覗く。
 沙織と詩音、僕はどっちを求めているのか、決められない。わからない。だから、両方に僕のラグビーを見てほしい。ただそれだけだ。ただそれだけのことだ。もしかしたらそれは、よくないことなのかもしれない。わからない。わからないならば、今は、勢いつけていくさ。
”返事が遅くなった”
”見にきてくれてありがとう。ちょっとはいいとこ見せられたかな”
”忙しいと思うけどさ、次の試合も絶対見にきてほしい”
ほんの少しだけ間があく。僕は、スマホの向こうに沙織の存在を感じる。画面を見て、指を動かすことを少し躊躇っている彼女の姿を目に浮かべる。
”ほんと?”
”弟君を、ラガーマンにするために”
”ばか”
最後の2文字に心が和む。長い付き合いだ。

 ベンチから立ち上がると、体は、重たい鉛が取り出されたように軽くなっている。
「よし」
こぶしを小さく握りしめる。
 タウファに勝った。ベスト8を超えた。ここからが本番だ。ここからが、本当の僕たちの勝負だ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?