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【小説】あかねいろー第2部ー 69)ゴールライン上にて

   20分を回る。自陣22mの真ん中あたりでのマイボールのスクラムは問題なく岡野の手に渡り、小道にパスがいき、彼が大きく蹴り返す、はずだった。そのイージーなパスを、今度は小道が手を滑らせてしまう。地面に転がるボールに対して、詰めていたタウファがセービングをする。芝生の上を彼の体はボールを抱きしめたまま3mほど滑っていく。その上を桜渓大付属の面々が乗り越えていく。僕らのFWは想定外のことに大きく出遅れている。
 ラックになったボールを、桜渓大付属のSHは今度はまよわずに走り込んできた13番に、小さくそっと渡す。彼は全力でまっすぐに突っ込んでくる。僕らの一人目が飛ばされ、二人目の清隆がようやく彼に絡みつく。しかし倒せない。ようやく3人目、4人目がきて彼を倒すも、しっかりと綺麗なラックを作られる。
 あと5m。白い点線の後の残るあたりでポイントになる。SHがすぐにそこによっていく。例によって彼はタウファを探す。タウファは前のポイントからようやく立ち上がったところだ。僕らもそれを見る。
 その瞬間。
 一瞬、みんなの目がタウファに行ったその瞬間、ラックの左サイドに光が見える。バックスの誰かが外へ出ていく時に、一瞬だけラックサイドが開く。彼はその光を見た。自分でボールを持ち出し、ラックの1m横を突っ切っていく。あと1秒でも遅ければ、そのスペースは僕らのFWが見れたはずだ。しかし、その瞬間を彼はついてくる。
 ラックの横を抜ける。もうあとは飛び込むだけだ。誰もが逆転かと思ったところに、そのラックの一番手、FWとの間に立っていた僕が、タックルというよりも、ゴールライン上、彼が飛び込んでくる真下に、水上スライダーのように滑り込んでいく。そして、その上にSHが飛び込んでくる。僕は、そのボールだけを狙って体をその下にねじ込む。9番は想定外だったのか、慌ててボールを絡まれないように肩を入れてくる。そして、ゴールライン手前50cmくらいのところにダウンボールをする。
 トライセーブのタックルというか、ゴールライン上のディフェンスについては、色々と練習をしてきた。相手のボールを叩くとか、相手より先に下に手や体を入れるとか、相手の体を仰向けにするとか。だから、これは練習の成果だ。
 FWもBKもない。両チームの30人のうち20人くらいがポイントに重なってくる。規律も何もあったものではなくて、ほとんどの人が地面やらどこやらに手をついてしまっている。しかし、もはやそういう問題ではない。とにかく、ボールに働きかけるのだ。自分たちのボールにするのだ。ゴールライン上、この雨の状況で、綺麗なプレーに意味はない。
 密集の向こう、右サイドにタウファが一人目に立っている。彼からゴールラインまで5mだ。次のボールは100%彼に出してくるだろう。ラックの横からは横山と一太が、正面には小道が、その右には清隆が。100%の確率で彼にボールが来ると信じ狙いを定める。
 球出しは遅い。SHはポイントの中で僕に腕を押さえられている。ポイントにはかわりに10番が寄っていく。そして、誰もが疑いのない選択肢を取る。
 10番からボールがタウファに向かって放たれたその瞬間よりも少し早いくらいに、僕らの右サイドの6人のうち4人が彼に向かっていく。ボールを受けたタウファはその状況に対して、さすがに正面からぶつかるのは難しいと思ったのだろう。ボールを受けると、僕らから見ると左側、ポイントの裏に向かって真横に走り出す。そして、ポイントの後ろを回って、僕らの左サイド、反対サイドに周り、斜めに前進を図る。
 この形のプレーは、強いランナーのよくやるプレーで、僕らのFWはこういう時に、反対サイドはサボって何もしないでいるケースが多かったのだけれど、夏合宿で花園の常連校との試合で散々に走られてしまったことを、栂池でしっかり確認をしてきた。強いランナーは、こういう形で反対サイドに来ると、正面に行く時よりもスピードがつくので、無理なことをしているように見えて、実はかなり止めにくい。だから、ボールのでた反対側のサイドもしっかり、FWやBKは一度前にでようということを取り組んできた。
 左サイドに回ったタウファに対しては、大野がしっかり待ち構えている。斜めに走っているのでコースは読みやすい。しっかりと足元に、それこそ脛のあたりにタックルに入る。タウファはそのタックルを足をかきながら交わそうとするも、スピードは確実に落ちる。そこに、笠原が、彼のボールを狙って手を出していく。しかしタウファは頭を下げて笠原に突っかかっていき、二人を引き摺りながら前進を図る。
 そこにさらに僕らのFWが2人、3人と飛び込んでいく。タウファはもがき続けるも、トライラインまであと2mほどというところで観念して後ろを向く。そこに、桜渓大付属のFWが殺到する。
 ポイントになると、さすがにタウファはボールの活かし方が上手で、今度はこれまでと違いすぐにボールが後ろに来る。それを見たNO.8がすぐにボールをピックして、ラックの左サイドを突っ込んでくる。ゴールラインの上まで体はやってくるが、そこは僕らの巨漢FWが待ち構えている。浅岡が、一太が、ゴールラインに足をかけながら8番の胴体を抱え押し戻そうとする。そうはさせじと桜渓大付属のFWも8番ごと押し込んでこようとする。ちょうどゴールライン上で全体が崩れるが、ボールはゴールラインを超えない。
 雨がさらに強くなる。ゴールラインからハーフウエーが見えない。誰の体からも湯気が立ち、ゴールライン付近は濃い霧のようになってくる。もう、僕らにも、おそらく桜渓大付属のメンバーにも、観客の声は届かない。雨と仲間の声と肉のぶつかり合う音しかしない。
 今度はボールがなかなか出てこない。誰かと誰かが地面の上で何かをしている。みんなが使ってはいけない手で何かをしている。
 時間は27分を回る。あと3分だ。
 レフリーから「ユーズイット」の声がかかる。その声に合わせて、2番がボールを右サイドに持ち出す。そこに、彼らの3番と5番もバインドしながらフォローをしてくる。しかし、そこは僕らにとっては鉄のゾーンだ。何があっても行かせない。ゴールラインから2mほど逆に押し返す。ポイントも押し込むけれど、ボールに手がかかるほどではない。 
 桜渓大付属のFWも動きが遅くなる。なんとか下がったポイントに集まりボールを確保する。
 そうして、タウファがラインに戻る。大きく開いた左サイドの2番目、10番の次に立つ。こんな状況で2番手に立てるなんて彼も成長をした。つい先だっての頃までの彼ならば、熱くなったら、いつでもボールがもらいたくて、ポイントの後ろとかに立って、なんとしてもボールをもらおうとしていてた。
 僕らもラインを整える。桜渓大付属FWが、この状況下で僕らのFWからゴールラインを割るのは難しそうだ。勝負はやはりどこまで行ってもタウファ。時計は進む。30分が近くなる。心拍数がもう一度上がる。ここが勝負だ。
 雨空を見る。顔に当たると痛いほどの雨だ。足元はもうぬかるみ始めている。次の試合は雨が止むまで難しいかもしれない。
 懐かしい気持ちになる。そうだよ。この気持ち、雨で、だけど、心が煮えたぎり、沸騰していて、全員が我を忘れてタックルをする。なんと気持ちのいいことか。なんとタックルとは、ラグビーとは素晴らしいことか。

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