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【小説】あかねいろー第2部ー 61)今度は逃げない

  ベスト16の試合の2日後に、一太に谷杉からLINEが来る。
「次の試合、吉田にセンターをやらせたらどうだ」

 練習がオフの火曜日に、3年生と2年生のレギュラークラスで行ったミーティングで、この件がテーマになる。
 桜渓大付属との試合に向けては、タウファをいかに止めるかが最大のポイントであるのは議論の余地がないところで、今までは彼は、フルバックが中心で自由にポジションを取ってくるので、なかなか狙いを絞った対処が難しかった。しかし、この大会では彼は、12番、インサイドセンターに立ちプレーをしている。これならば、彼に対しての対策は立てやすいように見えた。センターにいるということは、その狙いは彼のボールタッチの回数を増やしたい、セットプレーからしっかり彼のところでブレイクをしたいということだろう。ならば、僕らもそこにディフェンスにおいて、最大の力点を当てていけばいい。
 ディフェンスならば、清隆はセンスがある。相手のステップに簡単に振られないし、少し腰の高いところはあるけれど、当たりも強いし腕力もある。森谷は小柄だけれども、低い鋭いタックルは相手に嫌がられる。そこに、しっかりNO.8、フランカーが狙いを定めていく、どうせタウファが持つのだから、他のメンバーに多少のブレイクはされても、それでもタウファを止めに行く、チーム全体で止めに行く、なんとなく僕らはそんなふうに考えていた。というか、そういうものだろうと思っていた。
 しかし、その、当たり障りのないありきたりの考えに、谷杉が鋭い矢を放ってきた。
「吉田、どう思う」
谷杉は僕らの試合は見ていないだろう。ただ、僕がこの試合から戻れていることは知っているのだろう。その、怪我上がりの僕に、ポジションはフルバックの僕に、タウファのトイメンに入れと言っている。
 確かに、1年前の僕はセンターが主戦場だったので、経験は十分にある。センターをやれと言われればすぐにできる。
 でも。
 これはつまりは、僕がタウファを止めろということに聞こえる。その役はお前が引き受けろ、と。谷杉のがなり声が聞こえるような気がする。そう指名されるのは悪い気持ちではない。もしも、今のバックスで、タウファのトイメンとして、1対1で勝負できるとしたら僕しかいないだろうと思う。
 けれど。
 それはつまりは、僕がタウファに負けて仕舞えば、スカスカと抜かれ、ボコボコにやられて仕舞えば、タウファを自由にさせることになる。そうなれば、僕らが桜渓大附属に勝つのは難しいだろう。
 だから。
 谷杉は、お前がこの試合のキーマンになる責任を引き受けろと言っているのだ。
 谷杉が移動した後も、引き続き理科実験室がラグビー部のメインの会議室になっている。僕以外の22人が僕の方を見る。外は秋の細かい雨が糸のように降っていて、いつもよりもしんとしている。誰かが引く椅子の音が不自然に大きく感じて、少しびくりとする。
「俺はいいと思うぜ。タウファと吉田。前から絡み合ってるから、ハマるんじゃん」
僕より先に笠原が口をひらく。
「津雲氏のライバルだしな」
続けて笠原が軽口を続ける。
「うるせ」
僕は笠原の椅子を右足で蹴り付ける。
 僕は、自信が持てなかった。タウファとは、試合で2度戦い、さらに県代表のセレクションで一緒にプレーをした。彼と僕では、プレーヤーとしてのレベルは、2つも3つも違う。彼はおそらくこの先、日本代表クラスを狙えるプレーヤーになるだろう。僕は、とてもそういう器ではない。一流の大学でレギュラーになれるかどうかすら十分に怪しい、そういう程度だ。これは、肌を合わせ、一緒に練習したからこそわかる。ものが違うのだ。まるで。
 それでいて、僕とタウファは、試合の中では張り合っている。それは、ラグビーというのはフィールドに30人ものプレーヤーが割拠し、スクラムやらラインアウトやら、さまざまなチームとしての仕掛けがあり、その中では、どれだけ力が抜けていようとも、一人のプレーヤーで打開できることは限られているからだ。もしも、このグラウンドには僕とタウファしかいない、サシの勝負ならば、僕は100回やって1回もタウファに勝てないだろう。間違いなく。でも、ラグビーという試合の中では、そうとは限ららない。それは認識している。それがラグビーだ。
「吉田、お前がやれよ。俺がやるより絶対にいい」
次に口を開いたのは、清隆とともにレギュラーのセンターを守ってきた森谷だった。僕は右後ろにいる森谷を振り返る。
「俺では、タウファは、一人で止めることは、多分無理」
「そんなことないよ」
僕は下を向いたままいう。
「森谷先輩よりも、僕が下がりますよ。僕なんかタウファに何度も吹っ飛ばされてますもん」
後輩の清隆が森谷を立てる。
「清隆、そういうのはいらない。先輩とか後輩とかじゃないだろ、今は」
森谷がピシャリという。
「吉田、どうだよ」
一太がもう一度いう。
「俺は自信がない」
蚊が泣くような、消え入りそうな声で言葉を絞り出す。いや、これは本音ではない。そう言い訳したかった。そうじゃないんだ、上手く言えなんだけど、でも、違うんだ。
「自信がないって、なんだよ」
横から小道が入ってくる。
「自信がないんなら、そんなことで逃げるんなら、試合なんかでんなよ」
小道の冷たい強い言葉に理科実験室がさらに静まる。
「俺はバックスのリーダーで、副キャプテンだよ。だけど、プレーヤーとしてはお前の方がずっと上だってことはわかってる。お前は県代表でも活躍できて、俺はセレクションにも呼ばれない。このチームで、一番のバックスのプレーヤーはお前なんだよ。そのお前がさ、相手のエース止めるのに、自信がないって、なんだよ。ふざけんな」
雨音が遠くなる。代わりに緊張の糸が降り注ぐ。
「お前はさ、去年、キャプテンを決める時もそうだった。谷杉も、俺らみんなも、お前がキャプテンになるものだと思っていた。でも、なんだか言い訳つけて、もっともらしいこと言って逃げただろ」
逃げたわけじゃない。それは違う。でも言葉にはできない。
「お前のそういうところ、ほんとムカつくんだよ。一番力あるくせして、自分は一番前には出ようとしない。矢面に立って戦おうとしない。そして、安全なところで、リスクを冒さずに、常に何かを守りながら、何かを避けながら戦っている。俺は、そういうお前を許せない」
「小道、やめろよ」
熱くなる小道を一太が制する。小道は、鼻から大きな息を吐き出して腕を組む。僕は右ななめ上の時計を見る。秒針が妙にゆっくりゆっくりと動いている。僕の心臓は、秒針が1つ動く間に10回くらい拍動をしているようだ。
「吉田、お前が自信なけりゃみんなないんだよ。お前がなんと言おうと、俺が決める。次の試合は、吉田がインサイドセンター、清隆がアウトサイドセンターで行こう。フルバックは新田で行ける。新田がこの2試合で十分に使えるようになった」
「お前の怪我のおかげだよ」
一太は無理やり茶化して、僕の方を見て小さく笑う。
「いいよな、それで」
もちろんだ。もちろんだよ。もちろん、そのつもりだ。
「うっす」
何か、ちゃんとしたことが言えないものか。やっと出てきた言葉はこれだけだ。
「うおーー、マジっすか、俺、次も出れるんですね!よっしゃ!」
新田が吠える。その新田の方を、きっと睨む。
「森谷、悪いな」
僕は後ろを向き、弾き出される形になる森谷にいう。
「準決勝に行けなかったから、一生恨むからな」
森谷はにこやかにいう。わかってる。僕らはグータッチをする。
「ったく、バカだな、お前は」
僕の隣に座っていた浅岡がみんなに聞こえるような声で言う。
「モテねえわけだよ、吉田は」
「そんなことないっすよ、吉田先輩、次の試合は女子が二人も来るらしいですよ」
新田が調子に乗る。僕は、今度は本気で新田の椅子を蹴る。
「やべ、怒った」
理科実験室が爆笑の渦に包まれる。

 ミーティングが終わり、理科実験室から出たところで、小道が後ろから声をかけてくる。
「悪かった、さっきは。言いすぎた」
僕は小道を振り返り、足をとめ、3階の廊下の窓に手をかける。大きなクスノキを見る。
「お前の言うとおりだよ。小道」
「自信がないって言ったのはほんとだぜ。タウファを個人として止められるほどの力は、今の俺にはない。まあ、俺にないんじゃなくて、俺らには誰にもないんだよな」
「そんなこと、谷杉だってわかっているだろ。誰がトイメンになろうと、タウファを一人で止めるなんて無理さ。それなのに、あいつはわざわざ俺を指名してきた。なんでだろうって、ずっと思ってた」
「でも、お前に言われてさ、思ったよ。本当だ、お前の言うとおりだ、って。キャプテンになる時、俺は、自信がなくて、自分の女々しい気持ち勝てずに逃げ出した。そのことは、俺の中にずっとあるんだ。卑怯なことをしたって。負い目としてずっとあるんだ」
「谷杉も当然それはわかっていたよな。俺が逃げたって。そして、そのことは、ずっと引っ掛かっているんだと思う」
「で、案の定さ、俺は、今回の指名も逃げようとした。いや、本当は、逃げる気なんてなかったんだよ。ほんとだぜ。でも、上手く言えなくて」
「お前に、逃げんなよと言われて、正直ムカついたよ。そんな気は無かったから。やってやろうと思ってたから」
「でもさ、違うんだよな。もう、そう言う姿勢が逃げてるんだよな。だって、とか、しかし、とかつけている姿がさ」
「谷杉は、俺に、今度こそ、チームのリーダーとなれ、チームを引っ張れ、って言ってるんだと思う。逃げるとかそんなことじゃないんだ。俺が、向かっていくんだよ。俺が、タウファに向かっていく。そしてボコる」
小道が後ろで肩をくすめ小さく笑う。
「お前、ほんと、バカだよな」
「あん?」
「いいんだよ。お前に火がつきゃ。タウファ、止めようぜ。お前が死んでくれ。俺らが骨を拾う」
「パンツもな」

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