読書の記録 3月

読書
2023年は月に二冊ずつ読もう。それで何かしら感想を書き残そう。 

3月
①芥川龍之介「杜子春」
②村上春樹「ねじまき鳥クロニクル」3部

①伊坂幸太郎が「小説ドリームチーム」と呼ぶ大好きな小説を集めた本「小説の惑星ノーザンブルーベリー篇」の中で、未読だった芥川龍之介の『杜子春』に強く胸を打たれた。
 洗礼された文章はそのリズムが究極の領域で、声に出して読むだけで満足感を得られる心地よさ。スマホやPCへのタイピングは僕らの脳の回転スピードより遥かに速いらしい。手書きの時代には脳の回転と手の運動との歯車をカチッと合わせることができて、重厚な思考が、或いは弦楽器のような深みのある文体が生まれたのではなかろうか。

②年明けからだらだら3ヶ月読んでしまった。最後の最後まで読んでなお、これは一体何のメタファーなのか?という大きなハテナが頭に浮かぶ。(何かの象徴や何かの喩えとしての表現が何層にも重ねられていただけなのか。)物語には筋が存在するという前提がある。前から後ろへ、一本の筋が通っているというもので、読者側が物語に相対す際に求められる前提だ。それは我々読者が現実世界で感じている時間感覚・空間感覚と近似している場合に理解容易く、そうでない場合には物語で使われている感覚に現実のそれを擦り合わせていく作業(=チューニング)が必要になる。(魔法が存在する世界や鬼から妹を守る世界)このような読者の理解を担保にして物語というものは成立する。「ねじまき鳥」中の時間感覚と空間感覚は当初我々のそれに近しいものとして描かれるが、物語が進むにつれ徐々に歪みが生じる。一度チューニングした物語中の時空の感覚にズレが生じる事で、物語は複雑で難解なものへと変わっていった。物語を通してこの歪みを味わうことで自分の存在する世界への疑問も生じるのだと思う。

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