見出し画像

読書の記録 8月

読書
2023年は月に二冊ずつ読もう。それで何かしら感想を書き残そう。

8月

①空港にて 村上龍


あらすじ
:夫と離婚し、子どもを育てながら風俗で働く「わたし」は、客として来た会社員の「サイトウ」と関係を深めていく。ある願望を抱えた「わたし」は、「サイトウ」にそのことを打ち明け、共に熊本へ行くことになる。

感想「この物語には希望がある。」
熊本へ向かう空港で「サイトウ」を待つ「わたし」の中に渦巻く感情とたった今目の前で繰り広げられる空港で過ごす人たちの何気ない日常の所作の行き来が不協和音として響く本作。読み手の不安は彼女の社会的な負い目とぴたりとリンクして次第に大きくなってゆく。「サイトウ」を待つという全く受動的な行為や飛行機の最終搭乗時間が迫る緊迫感にはリアルなものがある。空港という人や物が流動的な空間にも、「空港の日常」という切り取り可能な瞬間が存在するあまりの平凡さは、「わたし」の視線を通してみるとやけに感傷的に映る。細く、今にも千切れそうな糸がここで一番人間性を際立たせ、最後の場面ではまるで自分ごとのようにジーンと胸が熱くなる。

負い目がない人間はいないが、負い目を持つべきでは無いという戒めに二重の負い目を感じる人もまた多いのではなかろうか。どうしてこうも弱さを持つことを非として虚栄を続けてしまうのだろうか。そうした個人個人の内なる冷気に、まるで人の肌に肌が触れるかのようなあたたかい物語。もう無理だと思った先に、希望がある。僕が言うのもなんだけど、本当に傑作だと思う。

②月と六ペンス サマセット・モーム 金原瑞人訳

あらすじ:あるパーティで出会った、冴えない男ストリックランド。ロンドンで、仕事、家庭と何不自由ない暮らしを送っていた彼がある日、忽然と行方をくらませたという。パリで再会した彼の口から真相を聞いたとき、私は耳を疑った。四十をすぎた男が、すべてを捨てて挑んだこととは――。ある天才画家の情熱の生涯を描き、正気と狂気が混在する人間の本質に迫る、歴史的大ベストセラーの新訳。(Amazonより)

感想「誰にだって生き様はある。但し、辿った道を思い出すことができさえすれば、或いは誰かが語り継げば」
妻子を捨て、絵を描くことに魂の発現の活路を見出そうとしたストリックランド。「おれは、描かなくてはいけない、といってるんだ。描かずにはいられないんだ。川に落ちれば、泳ぎのうまい下手は関係ない。岸に上がるか溺れるか、ふたつにひとつだ」という力強い語りからも彼の描くことへの情熱は感じられる。この小説は小説の体を取っているが、書き手の「わたし」が要所で介入し、当時を振り返ったり補足を入れたりしており、ドキュメンタリーやルポタージュの要素が強い。だからこそ、物語の内部は客観的で、「わたし」の他者の内面考察も無駄がなく行き届いている。登場人物も魅力的な人ばかりで、読んでいて飽きない作品だった。特にストリックランドがタヒチ島に渡ってからの妻「アタ」の献身的かつ夫に忠誠を尽くす姿は、もちろん家父長制の側面が色濃く出ていて(実際にストリックランドが「犬のように扱っても」と発言している)看過されるものではないにせよ、胸を打つものがたくさんあった。

今も述べたように書き手である「わたし」の介入ということをもう少し掘り下げて言えば、「わたし」は洞察力が極めて優れており、物語内で起こる具体的な事象や発言を、一般化したり抽象度を上げて書いている場面がしばしば登場する。出版されてから100年以上が経った現在を生きる我々にも迫ってくるものがある。
例えば作中では「頭には思いが渦巻いていても結局はお手本のように退屈な会話しかできない。」というような文章にぶち当たる。我々が人と対峙し、関係を築く時にはいつも、言葉を尽くせど尽くせど本当の気持ちが届かない感覚に陥る。小沢健二は「ありとあらゆる種類の言葉を知って、何も言えなくなるなんて、そんなバカな過ちはしないのさ」と「ローラスケート・パーク」の中で謳った。「しないのさ」とは言っても、実際に言葉を尽くそうとしてしまうのが僕たちで、それでも絶えずリマインドしよう、そんな歌詞にも感じられる。実際、2019年、彼はTwitterでこんな風に「リマインド」している。

言葉の数を増やしても、伝えたいのが「ここにある気持ちや思い」である以上、「ここにある気持ちや思い」が枯れることなく豊かに湧き起こるためにできることをしたいと思う。

最後に、ストリックランドのような人物を特異な人として扱ってしまうと、この物語はそこで閉じていく勿体なさを感じる。これは1919年に出版された物語であるが、現代社会を生きる今の我々にこそ訴えかけてくるメッセージがたくさん詰まった物語であった。「現代社会」という言葉を私のお粗末な解像度で紐解くつもりは無いが、なんだかストリックランドの生き様はそんなに特別なものではなく、我々も自分の気持ちに正直になる回数を増やしていけば自ずと大きな物語になりうる人生を歩めるのではなかろうか。そんなことを思った。

この記事が参加している募集

#スキしてみて

526,895件

#読書感想文

189,685件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?