見出し画像

美しいひと

とても美しいひとが、生前にテレビで話していた「彼女を思うあまりに苦しかった過去の恋愛」についての告白動画をみた。
普段テレビを観る習慣がないし、私は特別彼のファンだったわけはない。

私の友人のひとりが彼の大ファンで、「彼が夢に出てきた!」とだけの他愛もないLINEをわざわざよこしてくるほどには大好きで、正直彼女から聞いてやっと名前はわかるぞというぐらいにしか認識していなかった。

恐らく私と同じようにテレビでその姿を追っかけるほどの熱狂的な愛はなくとも、彼の自死に衝撃を受けた日本国民は多いんじゃないかと思う。

なぜだか私は、彼がこの世を去ってしまってからの数日間、彼のことが頭から離れず、出演していたバラエティ番組でのトークの切り抜きなんかをひたすら何度も繰り返し見続けていた。インタビューの受け答えや、芸人とのやりとりのたった一部しか見ていないのに、見逃せない「何か」がある気がした。

まもなく彼の三回忌を迎えるわけだけど、たまたま改めて例の動画がタイムラインに流れてきた。

彼の告白を聞いた共演者たちは「なるほど」と言いながらもあまりピンときていない感じで、ひとりは彼の気持ちを理解しようと想像していて、もうひとりは「あの時のあれはそうだったのかあ!」とテレビ的に盛り上げなきゃと空気を読んだだけなのかはわからないが、正体不明だった感情にたった今をもって気付かされた様子を表現し、いずれにせよ一旦深く落とし込まなければ共感できないようなリアクションをとっていた。

私自身も、「独自の感じ方」というのが存在していることを、なんとなく学生の頃から気付きはじめていた。私にとってはごく普通で、それを他のみんなと同じようになんでもない会話として話しているつもりなのに、どうも噛み合わない。
例えばそれは、相手から返ってくる「なるほど」というなけなしの一言だったり、腕を組んだり顎に手をかざして「考える人」のポーズをとりながら私の話に耳を傾ける相手の仕草だったりを通してわかってしまっていた。

日々、いろんなことを頭の中で考え、心や五感で感じているのだけど、私の感じるあれこれを「わかる!自分も一緒!」と言ってくれるひとが身近にいないので、人生ではじめて有料でプロのカウンセラーの方にカウンセリングをお願いしてみた。

数年前に、例の俳優さんのことが大好きな友人から「カウンセリングええで!」と言われたことがきっかけだったのだけど、実際にセッションで何から話せばいいのかわからないし、限られた時間の中で私の散らかった思想を丁寧に話す自信も沸かずに、気付けば数年経過していた。

私はこの数年間、生まれ育った地元を離れては常に自分を新鮮な環境下に置いて、新しいひとと出会ってきたのだけど、どこに行っても虚無感を拭えなかった。自分は人としてなにか欠陥があるのかもしれない、「変わっている人」「難しい子」「一筋縄ではいかない感じ」などと言われるたびに、誰かにとっての1番の親友になることもできず、社会にも適合せず、平凡な恋もできないのではないかと考えてしまう。

普通に会話を楽しみたいだけなのに、目の前に座っている相手の頭からは「?」の吹き出しが出ているのが見える。だったら、理解されようなんて期待もしないで、私の胸の内なんて共有しなければいいと、新たに派生していく苦悩を最小限にしようという努力をした結果、どんどん殻に篭るようになった。

私のことをなんにも知らないけど、知らないからこそ変な建前などなく、専門的かつ客観的に分析できるプロに「あなたはもっとこうしたほうがいい」と指摘して欲しかったのだと思う。どうしたら今よりもっと自分自身とうまく付き合っていけるのかとか、世の中生きやすくなるのかというハックを見出したかった。

でも、先生から言われたことは「あなたは何も悪くない」という期待を裏切るアドバイスだった。決してリーズナブルでもない金額を払ったにもかかわらず、求めていた答えは何も得られなかったことに少しがっかりした。先生でさえ腫れ物に触れるように私に接しているのではないかとさえ思うほどに落ち込んだ。

私の場合、そんな自分とどう向き合ったかというと、ただ受け入れた。

自分を理解してもらえないということは、自分が人と違う感性を持っていることに変わりはないけど、それはただ他の人が感じとることが難しいところを感じとれてしまうだけ。
そのせいで人より少ししんどい思いをするかもしれないけど、そのおかげで私にしかわからないこともたくさんあるということに感謝してみる。

私にしかわからないのだから他人からの理解を求めようと思ったならば、むしろ殻に籠もらずにきちんと表現していかなくてはいけないなと思うようになった。

多くの人が生涯で感じることのできない感性や感情を持ち合わせているのだから、そりゃ普通に生きてるつもりでもしんどいはず。
常に肩凝りに悩まされてるけど、慢性化していてもはやその苦労が当たり前になってしまって「なんでただ生きていくということがこんなにもしんどいんやろう」と思うのは、おかしなことでもなんでもないやんと受け入れた。

正しい解決策なのかはわからない。
だって、受け入れたとて理解者の数が増えたわけではないから。問題は、共感してくれる人があまりにも少ないと、とても孤独を感じるところ。

「芸術は、死にたいと思った人たちのために存在しているものだ」という言葉を聞いたことがあるけど、だからアーティストは孤独で、ただひたすら表現していく人たちが多いのかもしれない。

なので私も時々アウトプットしていく。
自分と対話して、考えを整理していくことが一番の目的ではあるけど、noteを書こうと思ったのも、本やアート、音楽などのコンテンツを通じて、その誰かと繋がれたら、この美しい彼のような選択をしてしまう人は減るんじゃないか。というか、どうかそうであってほしいと思ってる。


#nowplaying

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?