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3という数字と子ども その4

そろそろ長男の事について書こうと思う。

私の長男は3人きょうだいの2番目、真ん中。1番上の姉と1歳8ヶ月違い。早生まれの為、学年では年子扱い。

自分にとって初めての男の子はとても可愛く、また宵っ張りの姉と違って良く眠り、良く食べる子ども(母乳をたくさん飲むので私は産後痩せ過ぎる位)寝返りの遅かった姉に比べ、身体の成長発達は教科書通り。安心して子育てしていたのを覚えている。歳の近い長女長男を自分一人で連れ歩くときはしんどい事も有ったが、長女がお姉ちゃんぶりを発揮してくれて助かった部分も多い。

出掛けた先で当時他人に言われ、今も覚えている言葉が有る。

「まあ良く似ているわね双子なの?」

長男が早生まれの割に大きく生まれ大きく育った為、元々歳の近い姉とほぼ変わらない体型。また姉のほうが赤ちゃんの頃から「男の子ですよね」と言われ続ける程の「女子なのにハンサム顔」という事もあったせいか良く言われた。男女で良く似ていた。

そして「いえ違います。でも良く双子って言われます」と返事する。

その後実際双子を育てているママさんに会い思い出したことは「自分の若い頃からの双子への闇雲な憧れ」それで思い直す。

「ああ、神様は私に双子では無く、双子の様に良く似た年子をくださった」歳の近いきょうだいで世話が大変な日々も、そう思う事で少しは心が落ち着いた。それは仲良い姉弟のおかげだった。

しかし長男が2歳前後からだろうか、育てにくさを感じたのは。長女と違う部分。聞き分けが難しい部分。長女はコレ出来たらごほうびにおやつよ、も話がわかる。コレしたらおしりペンよ、も判る。長男はやたらと通じない。わるいことをした上でごほうびも貰おうとする。イライラすると姉の足や腕を噛む事が有る(じきに治る)聞き分けない状況も、程度と場合が有り、保育園や幼稚園の集団生活は出来る。

彼が2歳4ヶ月の時に生まれた弟への愛情は有る様で、優しくあやしたりもする。でも時々、ちょっとしたことでボタンの掛け違えの様な違和感。男の子は女の子と違い、こう言うものだと言われたり、3人きょうだいの真ん中の子は育てにくいとも言われたり(特に2人いる同性の上の方はいじけやすいとも聞いた)色々悩んでも明確な答えは出ず、紆余曲折有った後、長男はADHDと自閉症スペクトラムとの診断で入院になってしまった。

緊急事態宣言のひと月と少し前の話。

治療上、面会謝絶(その内この感染症下で外出も禁止に)

ナースとドクターの丁寧な説明も判るし、一応自分も医療従事者の端くれで有る為、事情は良く判っている。でも入院になった夜、病院まで彼の荷物を送り届けて帰りの車内「自分で産んだ子に会えない、そんな莫迦な話があるだろうか」運転しながら涙が出て仕方が無かった。腕をもがれる心を引き裂かれる、どれが1番近いだろう。とりあえずの入院期間は3ヶ月。3ヶ月。

当たり前にそこに居た3人の子ども全員と一緒に暮らせない日が来るとは思っても見なかった。判っているけど何度数えても子どもは2人。朝のパンのお皿は3枚出して、牛乳のコップを3つ出す日々。買い物に行けば、おやつは3つカゴに入れる。準備する運動靴も上履きも3つずつ。洗濯物もバスタオルも。朝からこの子とその子とこの子に学校の荷物の確認をしていたのに。声を3人分掛けていたのに。

育てる子どもが3人きょうだいになってから7年。染み付いた習慣はそうそう変わらない。前からだけど名前もたびたび呼び間違える。

世話をするべき子供が目の前に2人居る事はそうそう泣いてばかりも居られない良い理由ではあるけれど、誰も代わりにはならない。

大事なものは居なくなって初めて判るとは良く言ったものだ。

「こんなに長い幸福の不在」という詩集のタイトルは、確か銀色夏生だったか。今「こんなに長い長男の不在」

そして、いつもの3人きょうだいに戻る予定が、3ヶ月から延びて延びて、もうすぐその倍の6ヶ月。

やっと来週、長男の退院の日がやってくる。

この半年、思い続けた事。

3人は私にとって必要な数だった、と2人になって良く判る。

3人居るからこその均整が取れていた事、1人足りないと良く判る。

3という数字と子ども。私にはとても意味が有る。

当初の希望通り3人ぶじに授かった事、これは私の人生に於いて最上の喜びだ。



小1の時に小説家になりたいと夢みて早35年。創作から暫く遠ざかって居ましたが、或るきっかけで少しずつ夢に近づく為に頑張って居ます。等身大の判り易い文章を心がけて居ます。