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【アート】田中功起『誰かのガラクタも、誰かにとっては宝物』

田中功起というアーティストの映像作品で、
『Someone's junk is someone else's treasure.』
(誰かのガラクタでも、他の誰かにとっては宝物)
というものがあります。

その内容は、
アメリカのとあるフリーマーケットにて、
どこにでも落ちているヤシの葉を売り、
そこにやって来た人たちの反応や、やり取りを記録したもの。

この、一見ありきたりで、微妙にありきたりではない、
「?」という状況において、
人それぞれ、咄嗟にいろんな反応が出ます。
――――――――――――――
スルーする。

「はぁ~?」と反応だけして通りずぎる。

興味を持って立ち止まる。

話しかける。

話して納得する。

戸惑いつつ理解する。
――――――――――――――
などさまざま。

その反応自体が、その人の一面、個性や本質だったりするのでしょうか。

いやでも、たまたま急いでいたら興味はあってもスルーするだろうし、
誰かに付き合って会話したら、思いのほか面白かったとか、
偶然の要素も重なるな~となり、それもまた興味深い。

そして個人的には、
こういう「?」とか「!」という状況(一見どうでもいい)、
遭遇する機会が多い方が、人生は面白いよな~と、
鑑賞していて思いました。

アート作品に触れる楽しさのひとつとして、
この「?」とか「!」に遭遇する機会というのがあると思います。


そんなアート作品を繰り出してくれるアーティストに、
ワクワクしながら、勝手にお礼を言いたいのですが、
しかし、いろいろなことを発想したり、発言してみたときに、
「観念」という障壁と、遭遇することがあると思うんです。

例えば、親が
「何くだらないこと考えてるの」
「そんな役に立たないことなんてやめなさい」

例えば、先生が
「そんなことしてて進学どうするんだ」
「君の将来のためだよ」

例えば、クラスメートが
「おまえバッカじゃないの?」

例えば、恋人が
「それの何が面白い?」

例えば、親が再び登場
「そんなもので食べていけるわけがない」
「社会は甘くない」


人生のいろんな段階で、
こういう「観念」に遭遇する機会もあったと想像しますが、その時に、

反発したのか、葛藤したのか、受け流したのか、無視したのか、
気にも留めなかったのか、ものすごい戦略を練ったのか…
対応はそれぞれとしても、何にせよ現状まで至ってくれてよかった。

逆にもし、障壁としての「観念」にあまり遭遇せず、
発想や想像や創造が現状に至ったのなら、
その人の世界は素晴らしいし、
余計なお世話ではありますが汗、その環境にもお礼を言いたいです。

Someone's junk is someone else's treasure.
「誰かにとってはどうでもいいものでも、
他の誰かにとっては大切なものかもしれない」

今更ながら、いい作品タイトルですね。


※ いやしかし、アーティストは、
ギャラリー(アート界)から完全に自由ではないぞ〜、については、
またちょっと別の話なので、それはまたの機会に…

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