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マキシミリアノコルベ神父のこと

   
身代わりの死
1941年7月末、アウシュビッツ収容所から脱走者が出たことで、無作為に選ばれる10人が餓死刑に処せられることになった。囚人たちは番号で呼ばれていったが、フランツェク・ガイオニチェクというポーランド人軍曹が「私には妻子がいる」と泣き叫びだした。この声を聞いたとき、そこにいたコルベは「私が彼の身代わりになります、私はカトリック司祭で妻も子もいませんから」と申し出た[32]。責任者であったルドルフ・フェルディナント・ヘスは、この申し出を許可した。コルベと9人の囚人が地下牢の餓死室に押し込められた。
通常、餓死刑に処せられるとその牢内において受刑者たちは飢えと渇きによって錯乱状態で死ぬのが普通であったが、コルベは全く毅然としており、他の囚人を励ましていた[33]。時折牢内の様子を見に来た通訳のブルーノ・ボルゴヴィツ(Bruno Borgowiec)は、牢内から聞こえる祈りと歌声によって餓死室は聖堂のように感じられた、と証言している[33]。2週間後、当局はコルベを含む4人はまだ息があったため、病院付の元犯罪者であるボスを呼び寄せてフェノールを注射して殺害した[34]。
ボルゴヴィツはこのときのことを以下のように証言している。
マキシミリアノ神父は祈りながら、自分で腕を差し伸べました。私は見るに見かねて、用事があると口実を設けて外へ飛び出しました。監視兵とボフが出て行くと、もう一度地下に降りました。マキシミリアノ神父は壁にもたれてすわり、目を開け、頭を左へ傾けていました。その顔は穏やかで、美しく輝いていました。[35]

参考文献:Wikipediaよりそのまま抜粋

コルベ神父


私は自分の弱さを知っている。いざとなれば私は自分が一番可愛い。もしアウシュビッツ強制収容所に自分たち家族、知り合いが送られたら、私は私の家族や好きな人や親友、友人たちのためにありとあらゆる手段を使い、食料、衣服等を手に入れてくるだろう。他人の物も奪ってくるかもしれない。生き残りをかけているから何の良心の呵責もない。それよりやっと手に入った食料を喜ぶだろう。これで何日か自分たちが生き延びられるのだ。人に「良心」がちゃんとあるのは、衣食住がちゃんと確保されている時だけだと思う。飢えている時、例えば戦争が起きて人々が飢餓状態になったら、人としての「良心」なんてあるわけがない。人間だって動物だからだ。
それでもなお、あの悪名高いユダヤ人のアウシュビッツ強制収容所に於いて全くの赤の他人の為に自分の命を捨てたマキシミリアノコルベ神父がいたことは「あの頃の人類の唯一の希望だ」と私は思う。
そして他人のためには絶対命を捨てない自分とコルベ神父との人間性の差をなるべく感じて、私はこれからも生きてこうと思います。

参考文献:「夜と霧」(みすず書房)ヴィクトール・E・フランクル著


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