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今日会いに行きたい!気になる土偶#039千葉市埋蔵文化財調査センター

えっ、なに?!
思わず2度見。

一旦、目をそらし、宙を見つめる…。
(頭の中で考えを巡らせる瞬間、なぜかいつもこうなります)
それから室内を見廻して、
ここは縄文前期の企画展であることを確認。

令和4年度特別展「遺物から見える地域文化の発達」

で、冷静になって、いったいこれは⁉

千葉県成田市南羽鳥中岫1みなみはとりなかのごきいち遺跡

訪れたのは、約6,000年前の千葉県の縄文時代の前期後葉~末葉の遺物が並ぶ企画展。

まるでデスマスクのようにも見える「人頭形土製品」のレプリカです。

高さ15.1cm、最大幅13.5cm

この「人頭形土製品」が出土した南羽鳥中岫1みなみはとりなかのごきいち遺跡は、19棟の竪穴住居が環状に配置され、その内側には墓と考えられる約250基もの土坑どこうが密集していました。

墓であると思われる土坑どこうから見つかったのは、赤く塗られた土器や耳飾り、琥珀こはく蛇紋岩じゃもんがん製の装飾品等々、そしてこの「人頭形土製品」

これらは死者を埋葬する時に副葬品として納められたと考えられるそうです。

出土時の写真(展示パネル)

出土時の写真も展示されていました。
顔の左を下にして、横たわっているようにみえますね。
死者にそっと寄り添っていたのでしょうか。

縄文時代の「人形ひとがた」と言えば土偶ですが、その殆どが住居跡や貝塚、祭祀の場所などの生活の場から見つかり、祭祀などの際に「祈りの道具」として使われたものと考えられています。

しかしながら、墓と思われる場所から見つかることが全く無いという訳ではなく、国宝「仮面の女神」や「中空土偶」など墓から出土したと考えられている土偶もいます。

では、墓から見つかった「人頭形土製品」はいったいどのような存在なのでしょうか?
土偶的な存在?
それとも、古墳時代の埴輪のような存在?

土偶は「墓から見つかる土偶と「そうでない土偶」がいることを考えると、土偶と言っても一言では言えない意味や役割を持っているのかもしれません。
更にこのような土偶とは全く異なる「人頭形土製品」となると、今まで私達が考えている以外の当時の人々の〝祈り〟や〝死生観〟があるようにも感じられます。

約6,000年前の縄文前期、
全国の土偶を見廻して見ると、ようやく顔の表情が付けられるようになった頃です。
そんな時代にこの「人頭形土製品」はどのように作られたのでしょうか?

実は一般の土偶とは違い、土器作りから生まれた形であったことが分かっています。
壺形の土器を逆さまにして、頭部を丸く削り、粘土を貼り付けて目鼻口といった表情を作り出したということです。

土器から作ったデスマスクは、だれも想像していない縄文時代の姿が隠されているようです。

*解説は、企画展パンフレット、千葉県教育委員会のH.Pを参考にしました。

最後までお読みいただき有難うございました☆彡


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