今日会いに行きたい!気になる土偶#057釈迦堂遺跡博物館
博物館や資料館はなんだか堅苦しい…
以前はそんなイメージもありましたが、最近ではイメージキャラクターが博物館の顔となり、明るく楽しい雰囲気作りがされていることも多くなっていますね。
各館イチオシの埴輪や土偶のキャラクターも多く、その愛称が公募で選ばれたりと、より市民に愛される取り組みがなされているようです。
土偶の愛称で良く知られているのは、やはり五体の国宝土偶たちでしょうか。
縄文の女神、縄文のビーナス、仮面の女神、合掌土偶、カックウ(中空土偶)。
「名は体を表す」と言うように、その愛称から感じるのは神々しく恭しい姿。まさしく〝国宝〟土偶たちと言える佇まいですね。
今日の土偶は、
数ある愛称を持つ土偶の中でも珍しい「様」の敬称がつく土偶。
レンコ様
レンコ様は今から約6000年前頃に作られた山梨県の土偶。中部高地(山梨~長野)が繁栄する以前の時代のことです。
名前の由来は、
顔を表している4つの穴が野菜の「レンコン」に似ていること、
出土した山梨県が舞台のドラマに、主人公の友人として「蓮子様」が登場していたことに由来するそうです。
今から約6000年前!と聞くと驚きますが、
土偶の始まりは、約13,000年前頃の2体の土偶。それは実にレンコ様が登場する約7000年も前にもなります。
2体は共に立体的な女性らしいシルエットで、見ての通り頭部はありません。
「女性を象ること」に重きをおいて土偶を作っていたようです。
この最初の2体の土偶が作られてから約6000~7000年間は、あまり土偶は作られておらず、またその形にも大きな変化はありませんでした。
また出土した場所は、縄文時代の初期に人々の営みがあったとされる西日本、少し時代が進むと東北、関東で僅かに出土している程度です。
レンコ様が作られた頃になると、西日本では土偶が作られなくなり、東日本を中心に土偶が作られるようになります。
それはちょうど縄文文化が東日本中心に栄えていくのと重なります。
レンコ様と同時期の土偶たち。
初期のトルソーのような土偶とは違い、板のようにペタッとしています。
何千年もの時間と何百キロの距離に阻まれ、土偶の形は踏襲されなかったようです。
こんな形でいいの?
もっと女性らしい姿にするにはどうしたらいいの?
っと、試行錯誤しながら土偶を作っている様子が目に浮かんできそうですね。
そして、ついに顔の表現へチャレンジ!
それがレンコ様なのです。
穴を開けて、眼、耳?を作る。
大したことのないような、どこにでもある表現方法では?と思ってしまいますが、
「顔面表現の始まり」ともいうべき画期的な造形なのです。
そう、レンコ様は「様」が付くにふさわしい土偶であったのです。
連ドラ「花子とアン」の主人公・村岡花子(1893~1968)は、モンゴメリの「赤毛のアン」を日本に紹介した翻訳家・児童文学者。
そしてドラマの蓮子様は、村岡花子の友人で美貌の歌人・柳原白蓮をモデルにしているそうです。
何千年も前のレンコ様、
そして明治生まれの女性たち。
ここ山梨では、その時々に活躍する女性の姿が多く見られるようです。
参考図書
土偶美術館 原田昌幸 監修 平凡社
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